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繋がる糸

「お、邪魔します……」


如月の部屋のドアには鍵がかかっておらず、玄関に入って靴を脱いでいると猫のシノブが嬉しそうに駆け寄って来た。

先ほどまでにゃん吉を洗っていたので、志信の身体からは雄猫の匂いがするのだろう。


熱烈な雌猫の歓迎とは対照的に、如月はこちらを冷たい眸で見下ろしてきた。

いつもと違うその目が怖い。思わず視線を泳がせていると、如月は持っていたクリスタルの灰皿をガラステーブルに置き、リビングのソファーに腰を下ろして長い脚を組んでいる。

珍しく口にはマルボロをくわえており、もう一度煙を吸ったところでその小さくなった残骸を指で潰し灰皿に押し当てている。

如月がこんなに苛々した様子も、この部屋で煙草を吸っている姿も初めて見る光景だった。


「……どういうつもりで此処に来たんだ?」


こちらを一度も見ることもなく放たれる如月の声は相変わらず冷たいままだった。

隠れみののように、シノブをぎゅっと胸に抱きしめながら言葉を探す。マサに聞きたい事は山程あるのに、こういう時に限って言葉が何も出てこない。

こっちに座れと顎で促され、如月の隣に腰を下ろす。いつまでも喋らない志信に痺れを切らしたのか、ため息をついた如月が箱からもう一本マルボロを取り出し、カチカチと火をつけている。

吐き出されるため息混じりの白い煙を横目でちらちら見つめながら、志信はぼそりと呟いた。


「煙草……部屋で吸わないんだと思ってた……」

「あぁ。そうだな……意思が弱くて結局このザマだ」


いつもの優しい如月とは想像もできないくらい、フランクな言葉と態度。間違いなく何かに苛々しているようだった。それは何も考えずに来た志信のことだろうか。

こんな如月の一面もあるんだと、教師だからってやっぱり同じ人間なんだから苛々するよなとか妙に納得したが、ここまで一緒に居て息が詰まりそうになるのは初めてだった。


「か、帰るね、何も考えないで来ちゃってごめん、先生」

「待てよ……シノ」


ショルダーバックを握りしめてソファーから立ち上がろうと腰を上げた瞬間、横から力強い腕に捕まれる。

志信を見つめてくる瞳は冷たいままだが、その腕の力を弱めようとする気配も感じられない。

――カツアゲしてきた高校生を全力で殴り飛ばした時の冷たい如月の眼と一緒。

その冷たい眸を見ていると背筋がゾクリと粟立った。一体何を考えているかわからない如月が怖い。


「い、痛いよ……先生」

「――俺はいい教師じゃないんだよ、シノ。お前は期末テストが終わったらと自分に枷をかけたはずなのに、簡単にそれを外して俺の縄張りにやってくる。これは一体どういうことだ?」


いつものように杉崎じゃなく、シノと呼ばれると変な気持ちになる。

名前で呼ぶということは今の如月は教師ではない。マサだ。


「お前が此処に来る度、どうしようもない程ダメな俺がいつも囁く……俺が余計なことを言わなきゃお前は今まで通り俺に接してきただろう。でも……それももう限界だった」


如月の切ない告白のことだ。

――ネトゲから始まった関係だったが、3年間も志信に対して全く変わらない愛情を持っていた如月に、志信はまだ何も答えを返していない。

期末テストが終わったらひとつの答えを出そうと思っていたが、それを出す前にこうやって何も考えないで如月のマンションまで来てしまっている……


くくっと低い声で笑う如月は、俯いている志信の腕を引っ張り、再びソファーに座らせる。

俺の白い頬にそっと長い指が触れてきた。目元がまだ腫れていることに気付いたのか、少し赤い瞼と目尻を指がゆっくりなぞっていく。

灰が落ちそうになっている二本目の煙草を灰皿で潰し、今度は両手で頬に触れてきた。


「……シノ、これが俺の自惚うぬぼれでなければ、お前が俺を想って泣いてくれたんだと思いたい」


息が詰まりそうだった。

――ここで逃げて返事をしなければ、きっとマサはこのまま俺の前から消えていくだろう。

もうネトゲでは必要とされなくなった俺。お互いゲームをしなくなったことで必然的にあれだけ交わしていたスカイプはしなくなった。

今、返事をしなければ――俺は、マサを失ってしまう。


「……そうだよ、俺はマサのことばっかり考えてる。オカシイんだよ!マサはっ!」


顔に添えられてる両手に自分の手を重ねる。あれだけいつも落ち着いている大人の男が、少しだけ手が震えていた。

あぁ、そうか。マサも不安なんだ――この関係が、少しずつ変わっていくことに。


「マサは、ゲームのキャラに向かって愛してるって毎日言うし、本当に変な男だと思ってた。でも……その言葉に支えられて、今まで頑張れていた俺がいるんだ」


俺は再び目頭が熱くなるのを感じた。感情のまま、全てをぶつけてしまったらきっと言ってしまう。

気持ちとは裏腹に、溢れてくる感情の波を抑えることが出来ず、目尻から伝い落ちてきた涙を自分の腕で乱暴に拭う。


「……マサ……俺を一人にしないで……もう、嫌だ……」

「それだけか?シノ」


如月の手が涙を拭ったばかりの頬を優しく撫でていく。先ほどとは全く違う優しい如月の声がふわりと志信の全身を包み込んだ。



「……ロスに、行くなよ……」



溢れた綺麗な涙がつぅっと頬を伝い落ちる。駄々をこねて泣いている姿を見られるのが嫌で、俺はマサの白いシャツを掴み、その広い胸に顔を埋める。

頭の上で大きな手が髪を優しく梳いた。片手で背中を抱きしめられ、すっぽりと胸の中に躰が納まる。


「――もう一言、好きだって言ってくれればいいのに」

「……ッ」


志信が涙に濡れた顔を上げた瞬間、優しく微笑む如月の手が顎に触れ、くいっと顔を軽く引き寄せられた。

近づく顔。同時に、そっと唇に触れるだけの軽いキスが落ちる。

一瞬のことで、何が起きたのか理解できず、まだ目を見開いている志信の頬を如月の手がするりと撫でていった。


「――嫌?」

「……びっ、くり…した……」

「じゃあ、もう一回」


正直な感想を告げると、ふふっと色気のある如月の瞳が笑う。再び唇が近づいてくる感覚に、志信はぎゅっと眼を閉じた。

ちゅっと触れる甘い音。ふっくらした柔らかい唇の感触。軽く開いた志信の口の間を割って生暖かい何かが侵入してくる。


「んんぅっ……」


口の中が少しだけ苦かった。触れ合う舌から感じる煙草の味……啄むような2度のキスの後、如月はくくっと笑いながら腕に抱きしめていた志信を少しだけ開放する。


「いかん、理性がぶっ飛びそうだ……あともう1年間我慢しなきゃいけないなんて切なすぎる」

「え……?」


呆然としている志信の眸を真っすぐに見つめ、如月は志信の唇をゆっくりと指先でなぞった。


「お前のこと抱いちゃったら、俺は捕まっちゃうな」

「そんな…別に……」

「人というものは簡単に心変わりする生き物だ。お前はまだ若い…違う出会いもあるだろうし、そのうち彼女だって出来るだろう」


「彼女」という言葉が心の中に重く圧し掛かる。俺とマサの関係について語って泣いていた加奈子の顔が一瞬過ったが、そう言われても身近にあんなにもいい幼馴染がいるというのに、自分の最悪な母親の影が重なってしまい、女性に興味が持てない。


今更ながら、初めてマサに会った時に人をホモ扱いするなと怒った自分が恥ずかしい……

自分自身も他人に対して、「愛情」というものを今まで誰にも向けてこれなかったのだから。


最初から志信を男であると知っていたにも関わらず、日本で一人寂しく過ごして居る志信の孤独を埋める為に、ずっと一途な愛を囁き続けてきた如月の存在……


「俺……マサに、彼女どうしていないかって聞いたけど……もしかして、本当に男の人が好きなの?」

「あのなぁ……俺だって別に男が好きなわけじゃない。大学の頃教授に付き合わされて毎度帰りが遅くなる度に彼女のご機嫌取りをして……論文で忙しい間の自分の時間を削って会っていたってのにそれでも信用されなくて、もう女は要らんと正直うんざりした」


ソファーから身体を起こした如月はキッチンへと足を向けた。その後ろを猫のシノブがとことことついていく。心配そうな顔をしている愛猫に、喧嘩はしてないよ?と優しい声で囁いている。

マグカップを取り出しポットのお湯でいつものようにコーヒーを淹れ始める。

カップを持って再びリビングに戻ってきたところで、途切れていた話の続きを教えてくれる。


「……俺が女に疲れて面倒になった時に丁度あのゲームに出会った。まさか日本人がいると思わなくて興味本位に話しかけてみたら、お前はすごい懐いてくれて」

「だって、あの時マサが居てくれたから俺は一人じゃなかったんだし、親が側に居ないからってずっと相談を聞いてくれて……本当に嬉しかった」


寂しくて、誰かに必要とされたい、愛されたいと願う志信と。

束縛にうんざりして、自分から愛を探し求めた如月と。


ネットゲームという偶然の出会いだったが、今もそれが互いの心を深い絆で繋ぎとめていてくれる。


淹れたてのコーヒーをカチャリとガラステーブルの上に置き、ソファーに座っている志信の隣に腰を下ろす。

暖かいマグカップを両手で持ちながら、志信は隣に座る端麗な男の横顔を見つめる。

どうして、愛してるなんて言ってくれるんだろう。男が好きなわけじゃないって言うくせに、その言葉は矛盾だらけだ。


「……ねえ、マサは……どうして俺に愛してるなんて言ってくれるの?」


右手でマグカップを持ち、コーヒーを飲みながら左手はずっと肩を抱いてくれている。

ソファーで隣同士で座っている距離がすごく近くて、胸がずっとドキドキしていた。


「そうだなあ……お前が高校をちゃんと卒業したら教えてやるよ?」


右手にはマグカップを持ったまま、左手は力強く肩を抱いてくれている。

肩に頭がこつんと当たり、明後日のテストなんて忘れてこのまま時が永遠に止まってしまえばいいのにと無茶なことを思う。


「お前の気持ちは?シノ」

「……俺は――……」


マグカップをガラステーブルに置くと、隣でコーヒーを啜っている如月の頬に、決意を込めて口づけた。

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