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枯れる涙

木曜日の夜に如月と会ってから丸1日寝込んだお陰で熱は下がったが、洗面所の鏡に映る自分の姿は情けないことに別人のようになっていた。

声も出なくなる程泣いた目元全体腫れており、食事もとれなかったせいか少しやつれている。

……男が泣く姿などみっともないと思うが、正直何が悲しくてあれだけ泣いたのかよくわからない。


マサがロスに帰ることを、最後まで自分の口から教えてくれなかったことか。

……それとも、俺を杉崎と呼ぶことで虚勢を張り、現実リアルとネトゲの境界線ボーダーラインを作っていたのか。

――あの時、抱けばいいとか、キスをしてもらえなくて駄々をこねた子供みたいになっていた。


「何、言っちまったんだろ俺……バカみてえ……」


今思うと物凄く大胆で恥ずかしいことを口走ったと思う…

言ってしまった言葉はもう修正出来ないが、あの時如月はお前は熱の所為でそういうことを言っていると言ってくれたのでそういうことにしておく。

しっかりしろと自分の頬をぺちぺち叩いて気合いを入れなおした。


「にゃん吉、そろそろお風呂入れなきゃ」


すっかり熱も下がって身体も動くようになったので、風呂嫌いの猫を洗うついでに自分もシャワーを浴びることにする。

降り注ぐシャワーが嫌いなにゃん吉は泡を落とす途中で想像通り脱兎の如く逃げ出した。

この光景は毎度のことなのだが、それを捕まえようとする度に家の中は泡だらけになる。

そういえば、マサのところのシノブはどうしてるんだろう?同じくシャワー嫌いで逃げ出したりするんだろうか……

折角捕まえたのに、そんなことを考えていたらまたにゃん吉に逃げられた。


「こらっ!逃げるなって、お前まで風邪ひくぞ!」


腰にバスタオルだけ巻いた状態で、リビングまで逃げ出したにゃん吉を何とか捕まえる。腕の中で暴れる猫を再び脱衣所まで連れて行き、毛をドライヤーで乾かしているとインターホンが鳴った。

再びにゃん吉が逃げないようにしっかり両手で押さえながら脱衣所横にある玄関との通話用受話器を取る。監視カメラに映っていたのはこちらに手を振る加奈子だった。


「悪ぃ、猫が逃げるから勝手に開けて入って」


お邪魔しますと加奈子が挨拶しながら玄関に入って靴を脱いだ瞬間、再びにゃん吉が志信の腕から逃げ出した。


「こらっ!!にゃん吉」

「こっちで捕獲しとくから大丈夫だって。よしよーし、にゃんちゃん可愛いね」


ドライヤーから逃げ出してまだ少し生乾き状態のにゃん吉は縋るように加奈子の足元にすり寄っていた。何も知らない加奈子は微笑みながらにゃん吉を両手で抱き上げてその小さな頭を撫でている。


「加奈子、まだにゃん吉濡れてるから――」


仕上げ拭き用のバスタオルを持って脱衣所から出て来た志信の姿を見て、顔を真っ赤にした加奈子は口をぱくぱくさせて顔を覆っていた。


「し、志信ちん……!お風呂入ってたなら先に言ってよっ!!」


ふと自分の恰好を見てあぁと気付く。猫の方に専念してて自分の身支度をすっかり忘れていた。

幼馴染とは言えやはり年頃の女子には異性の裸は刺激が強いらしい。バスタオルだけでも巻いておいて良かった。


「と、とにかくっ。にゃんちゃん見ておくから早く着替えてきなさいよっ!」


志信の手から仕上げ拭き用のバスタオルを奪い取るとにゃん吉を抱えてキッチンの前でしゃがんでいた。その後ろ姿を見るだけでも真っ赤になっているのが分かる。




着替え終わった志信は加奈子にごめんと詫びながら乾いた喉を潤す為に冷蔵庫の中から麦茶の入ったペットボトルを取り出す。

幸せそうに膝上に乗っているにゃん吉の頭を撫でながら、加奈子は深いため息をついた。


「……志信ちんってさぁ、本当色々無防備だよね」

「はぁ?まさか俺の裸体に見惚れたの?」

「……バカ」


にゃん吉を撫でていた手を離し耳まで赤くなっている加奈子を見下ろしていると、あー女の子だなあとつくづく思う。志信は静かにペットボトルをテーブルに置いた。


何となく肌で悟ってくれる空気を感じられる加奈子は自分にとって心地よくて本当にいい幼馴染だった。

水商売という職業を使って父親が不在の間に母親が男漁りなんてしていなければ、もう少し女性に対していい付き合い方が出来たかもしれない。


……多分、加奈子とだったら今以上のもっといい関係を築けただろう。

彼女自身も、志信に対してただの幼馴染以上の関係を求めているのは知っている。

けれども、その気持ちに答えることは出来ない――


「……志信ちん、昨日泣いてたの?」

「ん……?何で……」

「如月先生、ロスに戻るって」


――昨日1日学校を休んだだけなのに。みんなが知っていて、俺だけが知らない情報――


1限目の英語でいきなりそんな情報こと言われて、女の子みんな泣いて泣いて……授業にもならないし、テストなんて受けたくないって騒いで大変だったんだよ。

わざわざ細かく説明してくれる加奈子の声がひどく遠く聞こえる。

――俺だって、泣きたいよ……


「先生さ、志信ちんに個別授業してくれてたでしょ?本当いい先生だよね、格好いいし、優しいし……」

「加奈子……?」


どうして加奈子までマサが俺に対して個別授業をしてたことを知っているのだろう。

確かに目を見てれば俺をずっと見ていることくらい分かると横宮が言っていたが、個別授業の件に関しては如月か、長谷川しか知らないはずだ……


「加奈子、どうして如月先生が個別授業してくれたこと……」

「分かるよ。だって私……」


加奈子はごめんと言いながらテーブルに突っ伏し顔を覆っていた。

消えそうな声で如月先生、志信ちんまで取らないで欲しいと言う。


――可愛くて、明るくて、俺に対して物凄く心配性の良き幼馴染。

中学は別々だったので少し疎遠となっていたが、家も近所で、高校でまた一緒になってから再び学校で交流を深めていた。


当の本人から告白をされたことはないが、彼女の友人からの話だと加奈子はずっと志信一筋で小さい頃から一途に想いを寄せていたという。

もしかしたら、今の関係を壊したくないから加奈子は何も言わなかったのかも知れない。

俺も同じだ。加奈子にもし告白なんてされたらきっと今の空気みたいに心地よい関係が崩れてしまう。

顔を覆っている彼女にどう声をかけたら良いか悩んでいる間に、加奈子は自分で顔を上げた。


「テストが終わるまで、先生いると思うし、志信ちんはちゃんと早く元気になって学校行った方がいいよ。もうあと数日しか先生と一緒に居られなくなっちゃうんだし」

「……ごめん」


何で謝るのよと笑われたが、加奈子に対してはお礼と謝ることしかできない。

椅子から立ち上がり、キッチンで気合いを入れなおして料理をする加奈子の背に、心の裡でもう一度ごめん、と呟く。

少し赤くなった加奈子の眼をまともに見ることはできなかった。


「食べられそうなもの作ってから帰るから食べてね」

「……うん……」


料理が得意の加奈子は消化に優しいメニューを作ると玄関に向かっていた。靴を履きながらまたねと言っていつもの笑顔を浮かべて出ていった。



如月がどうして金曜日の朝にこの期末テストが終わったらロスに戻ることを告げたのか。そればかりが頭の中でぐるぐる回っている。

臨時教師としての契約は多分三ヶ月~半年期間だったはず。この微妙な時期にいきなり居なくなるなんて話は最初から聞いていない。


それに、月曜日が生徒にとって一番大事な期末テストだというのに、生徒全体の士気を下げるようなことを何故このタイミングで言ったのだろう……

その意図は、今ここでぐるぐる考えても本人に聞かない限り分からない。


「……よし」


またこうして悶々と如月のことを考えていたら眠れなくなるだろう。

志信は泣いてまだ目尻が赤くなったままのひどい顔を隠すため、深く帽子をかぶって最低限の荷物だけを手に家を飛び出していた。




*******************************************




――如月にアポを取っていない。今日は土曜日だからって家で仕事をしているかなんて分からない……それでも確認したくて志信の足は如月のマンションへと向かっていた。

そんなことを勢いで家を飛び出して、このエントランスホールにたどり着いてからはたと気付く。

……おまけにこのマンションはオートロックで、電話か何かで部屋主を呼び出しするか、部屋の鍵を直接入れない限り開かないんだった。


「……やっぱ、電話するしかないよなぁ……」


志信は意を決して如月の電話番号をコールした。いつもであれば3コール以内に出る電話は機械音声の留守番サービスへと繋がった。

録音をお願いします――の機械音の後、志信は言いかけて言葉を噤んだ。

大体、約束をしているわけでもないのに、何を言えばいいんだ……震える指で電話をぷつりと切る。


「……帰ろう……こんな自分、頭おかしい。まだ熱あんのかな……」


一体何がしたくてここに足を向けたのかわからなくなっていた。わざわざマンションまで来なくても月曜日にロスに帰るって本当?と聞けばいいだけの話だったのに。

小さくため息をついてエントランスホールを出た瞬間、ピリリッと志信の携帯が鳴る。

慌ててポケットから電話を取り出し、電話に出ると如月が電話越しで怒鳴っていた。


『お前、本当にバカだな。まだそこら辺ウロウロしてんだろ!開けてやるから早く上がって来い、いいな?』

「は、はい……」


ぷつり、と一方的に電話が切れたと同時にエントランスホールのセキュリティが開けられてドアがかちゃりと開く。

志信は何故か怒っている如月に対して、話の切り口をどうしようか考えながらエレベーターに乗り込み15階のボタンを押した。

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