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迷走

(さて、どうしたものか……)


如月は仕事用のタブレットを使いながら職員室の裏にある教師たちの喫煙所からぼんやりとグラウンドを見つめ、胸ポケットに忍ばせていたマルボロを一本取り出してそれに火をつけていた。

考え事をしていると無意識ではあるが、煙草を吸う本数が増える。

丁度同じく講義を終えて休憩タイムに来た長谷川が如月を見てあれ?と大きな声を上げて驚いていた。


「今まで一度も喫煙所ここで会わなかったし、先生も吸うなんて意外でしたよ」

「えぇ、ちょっと……吸ってないと気分が落ち着かなくて」


苦笑しながら再び胸ポケットから1本取り出す。ガスの切れたジッポをカチカチしていると横にいた長谷川がどうぞ、と笑いながら火をくれた。

ふぅーと煙を吐き出しながらこの期末テスト前の忙しさと、会議ラッシュを振り返る。


学校教師というものは講義だけが仕事ではなく、その後の日誌や会議、保護者との将来についての三者面談や、個別に電話での相談を受けたり、部活動の担当になってしまうとなかなか家に帰れない。

しかもそれは全て慈善事業のようなもので、残業手当などはない。

幸い、臨時教師の如月はそういう立場にはなかったが、長谷川は生徒会の顧問も兼ねているので文化祭時期が近くなると帰れなくなると嘆くらしい。


「しかし、今日は忙しかったですね。先生もお疲れでしょうし先に帰っても大丈夫ですよ?」

「そうですね…これ吸ったら帰ります」


最後の一本をジュッと潰し、長谷川に今日分の日誌をお願いしてお先に失礼しますと頭を下げる。

立ち去ろうとした如月に、あぁそうだ!と思い出したような声がかかる。


「杉崎のこと、本当にありがとうございました。先生には生徒のことで世話になりっぱなしで」

「いえ、杉崎のお父上とは両親同士の交流あるんで。そのツテですね」


あまり深く介入されて詮索が入ると厄介なので、少しだけ言葉を選ぶ。決して長谷川が口が軽いだろうとか、良くない教師連中とつるんでるだろうとか、そんなことは一切思わないのだが、余計な知識は入れないに限る。


志信の父親と、如月の両親は大学のサークル仲間であり同大の先輩・後輩としての関係性である為、交流がること自体嘘ではない。それに、志信の父親から勉強を見て欲しいと頼まれたことも紛れもない事実だ。

しかし長谷川はあまり二人の関係性について気にする様子も見せず、それ以上のことについては突っ込んで聞いて来なかった。

ハイライトを吸いながらにこにこ嬉しそうに如月を見つめている。


「如月先生のお父さんも英語教師なんですよね?いやー…先生が来てくれて本当にありがたいです。杉崎はあの通りご両親が日本に居ないものだから、心を開いてくれるまで相当時間かかりましてね…まぁ、でも先生とはあっさり打ち解けてるみたいだし助かってます」

「――そうだといいですね…それではまた明日」


如月は切れ長の眸をふっと柔らかくすると、長谷川にそれ以上のことを聞かれないように言葉を遮った。

職員室のドアノブに手をかけてふっと失笑が零れる。



(お父上、ね……)



志信のことは彼が中学2年生の時から知っている。

当時まだ幼い彼がネトゲにはまった理由も、かなり複雑な家庭環境が災いしている。


水商売からの成り上がりで結婚した華やかな志信の母は、夫が海外赴任で殆ど居ないことを良いことに、朝方まで色々な客と濃密な夜を過ごしていたらしい。

志信と初めてネットゲームを介して一緒に遊んだ時、女の子キャラを使っていても「彼」が心を閉ざした思春期真っ只中の少年であることはすぐわかった。

時折、母親へ向けられる強い嫌悪の感情。女言葉を使っていても、時折見える少年の影。


教師このしごとをしていると、ある程度の会話で相手がどのような環境にあるのか、何となくわかってしまう。

最初は”良き相談相手”になろうと聞き役に徹していたが、彼があまりにも自暴自棄になる時は親の代わりに激しく叱ったりもした。


今まで一度も本気で怒られたことのない志信にとって、如月の言葉はストレートに胸に刺さり、新鮮だったらしい。

心を閉ざしていた彼は、嘘偽りのない言葉をくれる如月によく懐いた。


――気がついたらこの関係ももう丸3年が経過している。

スカイプと、ネットゲームというものだけでよくもまあこの関係が続くものだ。

志信は自分が高校に上がる前に、母親の浮気について父親に告げ口をしたのだとスカイプで聞いた。

別れ話になると面倒だと思った志信の母は、そのまま夫の赴任先に着いていき、結局そのまま帰って来なくなり、現在に至っている



(愛してると先に言ったのは俺だが……)



……まさか、こんなことになるとは思っていなかった。

彼が、ぼんやりしてボールにぶつかったのは、あの夜に余計な告白をして精神的な動揺を与えてしまった自分のせいだろう。

瞳の下にみえていたくまも、授業中の眠そうな様子からも多分あの日は全く眠れていなかったのだろうとすぐわかる。


――言わなければよかった。

……この想いは自分の中でだけ消化しておけば、何も変わらない今まで通り「ネトゲ相棒の関係」だったのに。

如月の携帯には、まだ既読していない志信からのメールが届いている。


「……にゃんこを、お家に帰してあげるか……」


ひとつ大きく息を吐き出し、パタンと携帯の画面を閉じた。




***************************************




如月がマンションについた時、既に暗いというのに部屋の電気が1つもついていなかった。

不思議に思い鍵を開けて玄関の電気をつけると、綺麗に並べられた志信の靴が置いてあり、帰った形跡はなさそうだった。


「杉崎……?」


リビングに入り電気をつけると、猫2匹と一緒に身体を丸めてソファーで眠る志信の姿があった。

近づいて見てみると、口を半開きのまま天使のような可愛らしい寝顔で眠っている。


「……こんなトコで、俺の理性を試すなよ……」


参ったなとくしゃりを前髪をかき上げ、如月は持っていた仕事用のバッグを静かにフローリングの上に置くと、眠っている志信の頬を指の腹でぺちりと叩いた。

それでも全く起きる気配がないため、青紫になっている右目尻をそのまま指でそっと撫でる。

……この内出血が引けるまで数日かかるだろう。綺麗な顔なのに、本当に可哀想なことをしてしまった。


「――俺の、所為だな」

「ん…………!?先生、帰ってたの!?」


指が眸や頬を撫でていく感触でようやく目覚めた志信は、耳まで赤くなりながら上体を起こしソファーの上で何故か慌てて正座した。

突然ソファーが波打ち動いたことでびっくりした猫達も同時に目を覚まし、トコトコとキッチンの方に歩いていく。


「お、おかえり……なさい」

「ただいま。って随分待たせてしまったな……夕飯食えそうなら簡単なもの作るよ」

「あ!……にゃん吉とシノブにご飯あげなきゃ」


時計は19時を回っていた。お腹が空いてキッチンに向かったのであろう猫達を追いかけ、志信は勝手知った様子でキッチンの上にある戸棚から猫缶を取り出していた。

ごめんな、と二匹の猫を微笑みながらあやしている志信を見ているとこちらまで幸せな気分になる。

志信がしゃがみながら猫の相手をしている間に、如月はパスタを茹で始めた。


「とりあえず何か適当に作るよ」

「先生……俺…色々……迷惑かけてごめん。――ありがとう」

「いいよ。頼られるのは大歓迎だ」


手慣れた様子でパスタソースを作っている如月をじっと見つめる。

彼は大人の対応で、あの時志信が言った言葉など、実はもうあまり気にしていないのかも知れない。

――あれだけ何て言おうか考えていたのが嘘のように、如月と過ごす時間は勉強を教えてもらった時と何も変わらなかった。


「先生、料理するんだ?このソース手作りだよね?ご飯美味しいし、部屋は綺麗だし、仕事も出来るし、何で彼女いないの?」

「褒め殺しと思ったら最後だけガッカリだな」


ガッカリと言いながら特に傷ついた様子もなく、如月は皿を洗い終えてリビングまでゆっくり戻って来た。


「なんか、怪しい趣味とかで彼女と別れたとか?」

「全く…最近のガキは変な知識ばっかりつけてくる。それはノーコメント」


如月は切れ長の眸を緩めてふっと笑いながら、ソファーでにゃん吉と遊んでいる志信の頬にそっと手を添える。


「俺が――いつも煙草吸ってるから、嫌われちゃうんだ」

「……そん、なの…別に気にしない人だって……」


――マサの顔が近い。こちらを見つめてくる色っぽい双眸にどきどきする。

にゃん吉を抱きしめていた手が強かったのか、嫌そうに身じろいだ猫が腕からするりと逃げて行った。

猫が居なくなったことで、如月もソファーに座る。視線はにゃん吉を追っていたが、身体が金縛りにあったみたいに動かない。

緊張のあまり喉がカラカラしていた。隣に座る如月の距離が近かったので、ほんの少しだけ座る位置をずらす。


「……シノ」

「ッ……」



キスされる。



ぎゅっと目を閉じると唇にそっと暖かい指が当てられた。


「!?」

「杉崎、期末テストが終わるまでお前は自宅療養な?」


切れ長の眸を優しく細めて笑う如月の声は、何故かすごく嬉しそうだった。


今、俺は何を待っていたんだろう……恥ずかしい……何で、目なんて閉じたんだ……

マサがうちの学校に来てからよくわからない気持ちに振り回されてばかりだ。

そうだよ、マサは教師。最初から、生徒に手は出さないって言ってたじゃないか。


ソファーから腰を上げ、いつもの場所に置いてある車のキーと、ソファー横に置いてあった志信のバックを持ち、如月は何事もなかったように玄関へと向かう。

こっちにおいでと手招きしたにゃん吉を片腕で軽々と抱き上げる。

まだ呆然としている志信はにゃん吉の目でここは家じゃないんだということに気付いて慌てて如月を追いかける。


「しっかり自宅療養しろよ」

「……はい」


靴を履く間も恥ずかしくて顔を上げることが出来ず、顔を赤らめたままいつまでも項垂れている志信の頭を、いつものように優しく大きな手が撫でた。

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