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メビウス  作者: うちょん
5/7

タ―シャ

 私は、祈り続ける。

 この血を終わらせるために。



















 第五性【タ―シャ】














 私は、売女として生まれ育った。

 だから、小さい頃からそれが当たり前だと思っていた。

 想いなんてない男性と出会い、ただ身体を与えて、それに見合ったお金をいただく。

 男の方だって、そういうものだと思っていた。

 私のことが好きなわけではなくて、欲求を満たす為の道具。

 「タ―シャちゃんって言うのー?可愛いねー。今日は何してもらおうかなー」

 最初は気持ち悪いとしか思わなかった。

 だって、卑下た笑みを向けてくるから。

 他の売女の方も、何も考えない方が良いと言っていた。

 「タ―シャちゃんの黒髪は、本当に綺麗だよねー」

 「ありがとうございます」

 黒髪のストレートロングに、茶色の目。

 特に際立った外見ではないけれど、黒髪が好きな男性も結構いた。




 「お疲れさん」

 「ルシュ―ムさん、お疲れ様です」

 私には、友人と呼べる人がいた。

 それが、ルシュ―ムさん。

 同じ売女なのに、気高いように感じるのは、ルシュ―ムさんの金色の髪と真っ青な目のせいか。

 「あれ?」

 「何?」

 「ルシュ―ムさん、お腹大きくなってません?」

 「あ、バレた?」

 へへ、と笑うと、ルシュ―ムさんはお腹に赤ちゃんがいることを教えてくれた。

 酒場で出会った男性との間に出来た子のようだ。

 「ムーランさん、でしたっけ?」

 「そうそう。酒癖悪くってね。困ってるのよ」

 そんな文句を言いながらも、ルシュ―ムさんは幸せそうだ。

 羨ましいな、なんて思っていると、こんなことを言われた。

 「そうだ!今度、気晴らしにコロシアムにでも行かない?仕事抜きで!」

 「え、休みもらえますかね?」

 「貰うわ!」

 最近、コロシアムという競技場が出来た。

 その中では、選りすぐりの剣闘士たちが戦い、強さを競っているとか。

 勝ち進んで行った上位の人は、また次の戦いに出る。

 それによって、お金を貰えるようだ。

 「殺し合いなんて、怖いよ」

 「殺し合いじゃないわよ。殺すのはご法度だって聞いたわ。だから平気よ」

 「そうなの?」

 あまり気が進まなかったけど、ルシュ―ムさんと一緒ならと、私はコロシアムに行くことにした。

 「すごい人!」

 右を見ても左を見ても、人、人、人。

 なんとか席には座れたけど、立ったまま観戦する人までいる。

 ドキドキしながら、始まりのゴングが鳴るのを待っていた。

 ゴ―ン、ゴ―ン・・・

 瞬間、周りが一斉におおおおおお!!っと雄叫びを出した。

 思わずビクッとなって、目を大きく見開く。

 何十人、それ以上の何百人といるだろうか。

 何回かに試合を分けて、上位の人達同士でまた戦うようだ。

 怪我をして去っていく人が続出する中、私はある一人の人に目を奪われた。

 その人は、とても綺麗な銀色の髪をしていた。

 背も回りより少し高いので一八〇くらいあるだろうか。

 その人は剣を持ち、無駄な動きをせずに相手を倒していく。

 楽しそうでもなく、つまらなさそうでもなく、なんというか、淡々と。

 でも、蝶のように舞う姿は、剣闘士とは思えない。

 日が暮れて、決着は明日にまで伸びてしまった。

 「あー、ここしばらく女抱いてねぇな」

 会話が、聞こえて来た。

 「この辺で女売ってるとこあったか?」

 怖くて、顔をあげられなかった。

 「おい、あそこに良さそうな女いるじゃねーか」

 ルシュ―ムさんも気付いていたのか、男たちの言葉を聞くと、私の手を握った。

 そして勢いよく走って逃げようとしたけど、男たちに囲まれてしまった。

 「姉ちゃんたち、どうせ売女だろ?」

 「一回相手してくれよ」

 「あ?そっちの女、腹出てねえか?」

 すぐにルシュ―ムさんのお腹に気付くと、男たちは一斉に私を見た。

 「腹ボテ女はいらねえよ。おい、こっちの姉ちゃんでいいや」

 「ちょっと!この子に触らないで!」

 「邪魔だよ!」

 「ルシュ―ムさん!!」

 地面に叩きつけられるように、ルシュ―ムさんは投げ飛ばされた。

 私は何も出来ず、きっとこのままこの男たちに抱かれるのか。

 けど、決して神様は私を見放さなかった。

 「女二人に男何人がかりで口説いてんだよ」

 「なんだと!?」

 ルシュ―ムさんは倒されることなく、金色の髪を靡かせた男性によって支えられていた。

 その男性は赤い目をしていて、背もとても高い。

 「おい、こいつハボックだ!」

 「ハボック=ソワレか!!?やべえ・・・」

 私は初めて聞く名だったけど、その名にはルシュ―ムも聞き覚えがあったようだ。

 ハボックさんから逃げようと、男たちは走りだそうとしたけど、一瞬にして持っていた剣が、鞘ごと斬られてしまっていた。

 何が起きたのかと思っていると、先程自分が見入っていた人がいた。

 「・・・何事だ」

 「セドル、何事だって聞いてから普通は攻撃するんだぜ」

 「やべえ!セドルまで来やがった!!!」

 ひいーっと叫びながら、男たちは走り去ってしまった。

 セドルさんというようで、目は青くてとても綺麗だった。

 「セドル、ほらこの子。あの時の酒場の子だよ」

 「・・・・・・」

 「何だよ、覚えてねぇのか?酒のんで暴れてた男、いたじゃねーか」

 そのハボックさんの言葉でようやく思い出したようだった。

 詳しいことを聞いてみると、ルシュ―ムさんとムーランさんが出会った酒場に、ハボックさんとセドルさんが来たことがあるようだ。

 その時もムーランさんがお酒を飲んで暴れて、ハボックさんが止めに入ったとか。

 セドルさんはじーっとそれを見ていただけのようだ。

 「気をつけて帰りなよ。お腹の子もね」

 「ありがと。ハボックもセドルも、怪我しないようにね」

 「はは、ありがとう」

 セドルさんとはあまり話せなかったけど、二人とも良い人だった。

 自分が売女であるなんて言えなかったくらい。

 いや、知っているのかもしれない。




 あの日からしばらく経って、私はまた知らない男性に抱かれようとしていた。

 目を瞑って終わるのを待っていると、男性の勘に触ったらしく、怒って帰ってしまった。

 ルシュ―ムさんは子を産むために仕事を辞め、ムーランさんのところにいるらしい。

 だから、私には誰もいなかった。

 私たち売女を取り仕切っている女性に、今日の男性から連絡があったようで、お仕置きされてしまった。

 身体のあちこちが痛いし、でも抵抗も出来ない。

 手足を縛られ、ただ鞭で叩かれるのを我慢していた。

 「あんたら、拾ってやったのになんだい!次から次へと問題起こしやがって!!!」

 肌や向けて血が出ても、止めてもらえない。

 こんな汚い身体、彼には見せられない。

 こんな醜い肌も心も、彼には知られたくない。

 ちっぽけな私の意地だったのに。

 「そのへんにしてやれ」

 「ああ!?」

 こんなにも、私の中に留まっている。

 「あんた、誰だい」

 「名乗るほどのもんじゃぁない」

 「はっ。この子に同情でもしてるのかい?なら、金払って買ってやりな。それがこの子のためさね」

 もっと綺麗な洋服を着て、もっと綺麗に髪を梳かして、もっと綺麗にお化粧をして、貴方に会いたかったのに。

 ジャリン・・・

 「なんだい?これは」

 「金だ。この女の一生分のな。いいな」

 袋に入ったお金を確認すると、女性は嬉しそうに媚びを売り始めた。

 無言で私の縄を解くと、私の身体を担いだ。

 「え!?」

 近くの宿に連れて行かれ、ベッドに座らされる。

 私の一生分のお金を払ったということは、きっと一生相手をしろということなのだろうか。

 彼も男なのだから仕方ない。

 そんなことを一人で思っていると、白い服を投げつけられた。

 広げてみれば、きっと彼のものなのだろう大きさのシャツであった。

 「(着ろってことかな)」

 それにしても、話さない人だ。

 「あの、ありがとうございます。えと、私は何をすれば?」

 「・・・・・・」

 彼は椅子に座って足を組み、手も胸の前で組んだ。

 相変わらず、綺麗な髪だ。

 「もうあんな仕事しなくていい」

 「え?」

 「・・・聞いてなかったのか。俺はお前の一生分を買った。もう過去のことは忘れろ。これからは俺といればいい」

 「・・・はい?」

 目をぱちくりとさせてしまった。

 だってだって、いや、だって。

 彼が言った内容はまるで、その、世間一般でいうところの、プロポーズのように聞こえてしまったから。

 傷は大丈夫かとか、シャワー浴びてこいとか、とっても不器用に接してくるけど。

 無条件に差し伸べられる彼の言葉は、何よりも嬉しかった。

 私は思わず泣いてしまったけど、彼はずっと私の背を摩ってくれていた。

 それから彼と過ごすことになったけど、コロシアムで剣闘士として戦う彼が心配でないといえば嘘になる。

 ルシュ―ムさんには便りを送って、ハボックさんにはなぜか彼とのことがバレていた。

 ハボックさんにも大切にしている女性がいるみたいで、名はラヴィをいうらしい。

 彼が強いことは分かっているけど。

 そう言うと、ハボックさんは笑って、頭を撫でてくれた。

 なんでも、コロシアムに出る人達というのは、そのほとんどが、いなくなっても困らない人と言われているそうで。

 セドルさんは私に出会えてよかった、なんて言われてしまった。

 でも、それは私の方とも言えず。




 ある日、彼のことを知りたくて、思い切って聞いてみた。

 「あの、セドルさんにはご家族は?」

 「母親はもう死んだ。父親は知らない。妹はいる」

 「妹さん?」

 「ああ。ムーランとルシュ―ムが会った酒場の店主やってた」

 「え!?」

 どうやら、たまたまハボックさんと行った酒場で、妹さんが働いていたようだった。

 しかも店主なんて。

 見た目も似ているようで、銀の髪に青い目。

 「なんて言うんですか?」

 名前・・・と続けると、彼は照れているのか、頭をぽりぽりかきながら答える。

 「スカルモ」

 「スカルモさん?私も一度会ってみたいです」

 なんて、きっとそう簡単には会えないだろうけど。

 でも、彼のことをひとつでも多く知りたいの。

 それは欲張りなことかしら?

 でも、彼はスカルモさんのことを色々話してくれた。

 スカルモさんは酒場の店主をしていて、常連客の男性と仲が良かった。

 その男性客はロマーレ=ビーといって、青い髪に水色の目をしているという。

 顎鬚を携えていて、セドルさんが言うには、自分が思っていたよりも若かったとか。

 威厳があるように見えたのか、それとも単に老けて見えたのかは、私にはわからない。

 背も彼くらいあって、愛想も良い優しい方のようだ。

 「スカルモさんとは、お話出来たんですか?」

 「いや」

 スカルモさんは、彼のことに気付かなかったようだ。

 彼も声をかければ良いのに、と思ったけど、それが出来ないことくらい、私は知っている。

 「そのときに、その、ルシュ―ムさんの旦那さんが?」

 「ああ。ハボックが止めに入ったから良いものの、下手すりゃ店ん中メチャクチャだっただろうな」

 「セドルさんも止めればよかったじゃないですか。そんなに強いんですから」

 「ハボックが行ったから大丈夫だと思った」

 きっとハボックさんのことを信頼してるんだろう。

 彼らしいと言えば彼らしい答えに、私は思わず笑ってしまった。

 それにつられてなのか、彼も小さく笑ってくれた。

 「そういえば、ハボックさんとは今でも会ってるんですか?」

 「たまにな」

 コロシアムで色々な剣闘士と出会うようだが、気が合うのはハボックさんくらいらしい。

 だが、最近はハボックさんの恋人のラヴィさんのお腹にも子供が出来て、コロシアムの仕事を辞めるかもという話をされたようで。

 「寂しいもんだな。知り合いが一人、去っていくだけで」

 「また会えますよ」

 しばらくすると、ルシュ―ムさんもラヴィさんも次々に出産した。

 ルシュ―ムさんのところは男の子が生まれ、トマと名付けられ、ラヴィさんは女の子を産み、マナと名付けた。

 そんなことを言っている私にも、ようやく赤ちゃんのいる気配が出てきた。

 そのことを彼に伝えると、彼はただ黙って抱きしめてくれた。

 不器用な彼の、精一杯の喜びの表現なんだと勝手に解釈して。

 ただ、ソルガ―=ウィンという男にだけは気をつけろと言われた。

 なんでも、彼とソルガ―さんは過去に一度だけ戦ったことがあり、その時にソルガ―さんに負わせた傷のことで、今でも彼は恨まれているという。

 どうしてそうなったとか、詳しいことはわからないけど、ソルガ―さんは片目を失うことになったらしい。

 でも、それが心配になったのかは定かではないけど、彼はコロシアムを止めて、田舎暮らしを決めた。

 のんびりとした場所で、美味しい空気を吸いながらの生活は、私には合っている。




 「母親って、すごいんですね」

 「なにがだ?」

 「自分のお腹の中に、別の命を持っているんですよ?まさしく一心同体です」

 正直なことを言うと、折角剣闘士として名を馳せていた彼を、こんなところで働かせて良いのかと思っていた。

 でも、彼は以前よりも表情が柔らかくなっていた。

 本人が言うには、ピリピリしていない、ということらしい。

 「また大きくなったな」

 「ええ」

 彼は私の隣に座って、お腹を摩る。

 時々お腹の子が動くと、彼はピクッと反応を示す。

 それが面白いだなんて、言えないけど。

 「セドルさんのお母さんは、どんな方だったんですか?」

 「・・・・・・」

 急に黙ってしまった彼に、聞いてはいけなかったのかと、慌てて謝った。

 けど、彼は怒っているわけではなかった。

 「もう、話しても良いと思うんだ」

 「?」

 その時は、何のことかわからなかった。

 だって、彼はいつだって真っ直ぐに生きていて、いつだって輝いていた。

 まるで私とは違うその生き様に、憧れさえ持っていたのだから。

 彼は私の前に椅子を持ってきて、その椅子に座ると、正面を向きあった。

 ちょっとだけ、鼓動が高鳴る。

 「俺の母親は、サウトゥーレ。俺の髪も目も、母親からきた」

 サウトゥーレさんは街で出会った男性と結ばれた。

 男性は栗色の髪をしていて、アルドレーヌというようだ。

 そのアルドレーヌという人との間に産まれたのが、セドルさんとスカルモさんの二人だった。

 でも、アルドレーヌという人はとても女癖が悪くて、他にも関係を持った女の人がいたらしい。

 一度だけ、サウトゥーレさんはアルドレーヌさんが女の人と会っているのを見たことがあった。

 その人は品性があり、紫の綺麗な艶の髪に、オレンジのぷっくりとした唇をしていた。

 それでもサウトゥーレさんは、二人の子が生きるためにも別れないでいた。

 そんなある日、アルドレーヌさんを少し咎めたところ、頬を叩かれてしまった。

 豹変したアルドレーヌさんは、サウトゥーレさんを床に押し倒し、何度も何度も、血が出ても叩き続けていたそうだ。

 セドルさんとスカルモさんが止めに入って、ようやく手が止まった。

 頭を下げて謝ってきたけど、もうすでに愛情が冷めきっていたため、二人を連れて家を出て行ったようだ。

 その後ろから、罵声を浴びせられたけど、サウトゥーレさんは何も言い返さなかった。

 二人が大人になって、サウトゥーレさんのもとを離れるときにも、涙目になりながらも、何も言わなかったという。

 「俺は何も返せていない」

 「・・・セドルさん」

 彼は、後悔の念にかられているように見えた。




 「あ」

 その日、ハボックさんから便りが届いた。

 「セドルさん、ハボックさんからですよ」

 それは、二人の子もマナのことだった。

 『マナはラヴィに似ていて、青い綺麗な髪をしている。きっと将来、もっと美人になるだろう』

 ざっと、そんな内容のことが書かれていた。

 「親馬鹿か」

 「ふふふ。よっぽど可愛いんでしょうね」

 その便りから数ヵ月後、私たちにも子が誕生した。

 名付けるとき、色々と候補を出したけど、彼は呼びやすいのが良いと聞かなかった。

 母親の名が長かったからなのか、それともハボックさんの娘さんの名が余程呼びやすかったのか。

 セナ、と名付けることにした。

 ちなみに、セドルさんのセ、である。

 銀の髪に青い目、セドルさんに似た整った顔立ちの女の子。

 「セナ、またトマト残してー」

 「おいちくないっ!」

 「美味しくないじゃないでしょ」

 「やー!」

 先が思いやられると思ったけど、楽しかった。

 一日一日、成長するのがとても早くて、自分が早く歳を取ってる気分。

 私と彼もそれなりの歳になって、セナが一人前の女性となった。

 それはあっという間の時間。

 こういうのを、確か何処かの国の言葉で、光陰矢のごとし、といったような。

 セナの髪はお尻まで届くほど長くなり、背も私より高くなった。

 「アレン?」

 「そう。結婚しようって言われてるの。今度お母さんたちにも会いたいって。連れてきても良いでしょ?」

 「まあ、いいけど。お父さんには聞いたの?」

 「お父さん、喋らないから」

 年頃の子というのは、父親が苦手なのか。

 とはいえ、セナの性格にお付き合い出来る男性がいるのかと、そっちに感心した。

 小さい頃から活発で、木のぼりやかけっこ、水遊びなんかが大好き。

 それに、普通の女の子ではあまり見かけない、虫や昆虫などを平気で触れる子だった。

 蛇を手掴みで持ってきたときは、私は思わず発狂してしまった。

 「いいわ。連れて来なさい」

 セナは喜んで、ベッドへと入った。

 私は彼の部屋に行って、二人でゆっくり話をした。

 「そろそろセナも家庭を持つ歳ですかね。ちょっと早い気もするけど」

 「セナの人生だ」

 「そうね」



 それからわずか二年後のこと、セナはアレンと二人で家を出て行った。

 アレンは金色の髪に、セナと同じ目をしていて、綺麗だった。

 にこりと笑うアレンは、彼とは違う優しさを持っているように感じた。

 「いつでも帰ってきなさい」

 とだけ伝えて、セナとアレンを見送る。

 彼は終始黙っていたけど、その横顔はなんだか切ないもので。

 きっと、これは彼にとっての三度目の別れだから。

 「身体に、気をつけてな」

 やっと口を開いた彼は、セナのことをじっと見つめていた。

 そして、今度はアレンを見た。

 「セナのこと、頼むぞ」

 「はい」

 女の私には分からないけど、彼とアレンの間には、見えない絆があるのだろう。

 セナとアレンがどんどん遠のいていく。

 そんな背中を見ているだけで、こんなにも悲しくなるのはなんでだろう。

 「寂しくなりますね」

 「・・・ああ」

 本当に、不器用な人だ。

 さらに数年の月日が経つ頃には、セナとアレンの間に子供が出来た。

 名をセシウスとつけ、セドルさんのセ、とつけたよ、と便りに書いてあった。

 髪も目も、セドルさんにそっくりの女の子だそうだ。

 「良かったですね」

 この時、彼は初めて、泣きそうな顔をして笑っていたのを覚えてる。


 一方で、スカルモさんにも子供がいた。

 男の子でスノンといい、大きくなって結婚をすると、二人子供を産んだという。

 ストゥーボとサンディと名付けたようで、男の子一人と女の子一人だ。

 セナがアレンと家を出てしばらくした時、スカルモさんから便りが届いたのだ。

 彼は始め、読むことを拒んだけど、私が勝手に読んでしまった。

 酒場に来ていたことも知っていたし、自分を気遣って声をかけなかったこと、人づてに彼が結婚したことを知り、便りを送ったことなどが書かれていた。

 「セドルさん、返事書かないんですか?」

 「・・・苦手だ」

 「そんな感じしますけど」

 「代わりに頼む」

 「私が書いたって仕方ないじゃないですか。文章云々、内容云々よりも、書くということが重要なんです。気持ちです。さ、ペンを持ってください」

 「・・・・・・」

 彼に軽く睨まれた。

 昔からきっと怯んでしまっただろうけど、今は怖くない。

 彼が本気で怒っているか、それとも拗ねているだけかなんて、すぐにわかってしまうから。

 母親になると、こうも強くなれるものか。

 彼は渋々ペンを持ち、頭を抱えながらテーブルに向かっていた。

 かつての剣闘士も、今ではただの父親。

 「ふふ」

 丸くなったその姿に、愛おしさが込み上げてくる。

 ねえ、私、今とても幸せです。

 真っ暗だったあの場所から、こんな陽のあたる場所に連れてきてくれた貴方が、大好きです。

 強いところも、弱いところも、照れ屋なところも、強がりなところも、不器用なところも、真っ直ぐなところも。

 そしてなにより、私を導いてくれた、その輝く髪も。

 「セドルさん」

 「なんだ?まだ書き終わってないぞ」

 「違います。そっちは頑張ってください」

 「・・・・・・」

 あ、少し膨れた。

 「セドルさん、折角ふたりに戻ったんですから、私、少しだけ旅がしたいです」

 「旅?」

 「ええ。遠くなくて良いんです。セドルさんと、色んな景色を見たいんです。色んなところに行って、もっともっと、一緒にいたいんです」

 「・・・・・・」

 少しだけ動きを止めて私を見てくれたのに、またテーブルに戻ってしまった。

 ちょっとだけ便りにジェラシーなんて。

 邪魔にならないように部屋を出て行こうとしたら、彼に呼びとめられた。

 「決めておけ」

 「え?」

 「どのあたりに行くか、決めておけ」

 「はい!」

 やっぱり私は、あなたが大好きです。

 あなたがいてくれる限り、私は幸せでいられます。

 だからどうか、私よりも長く生きてくださいね。

 「タ―シャ?」

 ベッドに横になって、眠ってしまったのだろうか。

 タ―シャは規則正しく呼吸を繰り返しながら、気持ちよさそうに寝ていた。

 「はあ。風邪ひくだろうが」

 布団をタ―シャにかけて、ベッドの端に座る。

 俺にはない、綺麗で艶やかな黒髪を撫でる。

 「ゆっくりおやすみ」

 次に目を開けたとき、きっとタ―シャは驚くのだろう。

 銀髪の男がぐーすかと目の前で寝ているのだから。




 かつて、白魔女と呼ばれた女がいた。

 彼女は何をしたわけでもないのだが、人々から恐れられていた。

 彼女は決して、男性を許すことがなかった。

 彼女は一生を純血の処女で貫き通し、その身体に宿っている血を途絶えさせようとしていた。

 そのことからも、『最後の白魔女』と呼ばれていた。

 彼女の名は、サブリナ=ジュノドワ―レ。

 銀に輝く髪はうねりながらも伸び、背中を隠すほどだった。

 そして空よりも青い真っ青な瞳は、彼女の冷静さを現すようだ。

 彼女は樹海の森の奥に住み、一人で生活をしていた。

 彼女が魔女と呼ばれることになってしまった、決定的な出来事がたった一つ。

 それまで普通の人間と変わらぬ生活をしていた彼女のもとに、衛兵を引き連れた若い夫婦がおとずれた。

 「あなたが魔女のサブリナね!?お願い!!私達の子を助けて!!!」

 「恐れ入りますが、私は魔女ではありません」

 「どうか!お助けください!」

 夫婦の必死の姿に、彼女は話だけでも聞くことにした。

 夫婦の腕の中にいる、まだ生まれた間も無い子はすでに、冷たくなっていた。

 「ようやく出来た子なんです!」

 どうやら、夫婦は何度も何度も夜を共にしているというのに、なかなか子が出来ない体質なようだ。

 出来たと思っても、すぐに流れてしまう。

 結婚してから早九年、ようやく子をお腹から取り出すことが出来た。

 だが、その子もすぐに息を引き取り、そのことが受け入れられないでいるそうだ。

 「何度も申し上げますが、私にはどうすることもできません」

 彼女の言葉は真実だった。

 だが、魔女だと信じ切っている彼らからしてみれば、嘘偽りを述べられているのと同じことだった。

 彼らは彼女が自分たちの子を殺したのだと喚きだし、彼女を火炙りにすべく、連れ出そうとした。

 だが、天候が急変し、雨風が吹き荒れ、雷も鳴りだした。

 彼女はそれに乗じて逃げ出した。

 当然のように衛兵は彼女を追いかけてきたが、大木に雷が落ち、彼らの行く手を妨げた。

 丸一日ほど走り、彼女は疲れ果てた。

 一度は街に行こうかとも思った彼女だが、行けばきっと子を殺した罪人としてすぐに捕まってしまうだろう。

 彼らを見てすぐ、王子と王妃だと分かった。

 死んだ人間を生き返らせるなど、神だろうと悪魔だろうと魔女だろうと、出来るはずはない。

 ましてや彼女は魔女などではないはずなのだから。

 水を吸い込んで重くなった洋服を脱いで、彼女は洋服を絞った。

 洋服が乾くまでの少しの間、身体を洗う事にした。

 とは言っても、川で身体を清めただけ。

 その時、不思議なことがあった。

 川の流れに逆らいながら、海蛇ならぬ川蛇が現れた。

 「珍しい」

 その蛇に触れようとすると、蛇は彼女に牙を向けてきた。

 ―裁きの刻だ。サブリナ=ジュノドワ―レ。

 「裁き?一体、何のことだ?」

 ―神に選ばれし者よ。その身に血を宿らせるのだ。

 「何を言っている?」

 蛇は彼女に近づくと、彼女の周りをぐるっと一周した。

 すると、突如、彼女の身体は異変を感じ取った。

 「!!!ぐっ!!」

 下腹部に強烈な痛みをもよおし、気を失ってしまいそうになる。

 その間、蛇は彼女の様子を見ているだけ。

 「!?そんな・・・!!!」

 彼女のお腹はみるみる大きくなっていき、重みも出てきた。

 お腹に何か詰まれたにしては、どこか温かさを感じる。

 「何をした!?」

 彼女にしては珍しく、声を荒げて叫んだ。

 ―神からの贈物さ。

 「!!!いらない!」

 ―いいかい。もしもそのお腹の子を殺そうものなら、お前は一生死ぬことが許されない。もしも棄てようものなら、お前は一生俺のものになる。だがもしも・・・愛情を持って育てたのなら、きっとお前は、幸福を覚えて生涯を終えることが出来るだろう。

 「・・・!!?」

 ―忠告はした。あとは己の心に従え。

 今度は、蛇は川の流れに流されながら去って行った。

 「馬鹿な!」

 彼女は腹立たしげに水浴びを止め、まだ半分ほどしか渇いていない洋服を着る。

 樹海の森の奥、もっともっと奥深くまで行くと、誰も住んでいない小屋があった。

 とりあえずそこに身を顰めることにし、彼女はどうやってお腹の子を殺そうかと考えていた。

 枝でお腹を刺そうか、お腹に衝撃を与えれば良いのか、色々と考えてみた。

 だが、いざ行動に移そうとすると、空耳が聞こえてくるのだ。

 まだ生まれてもいない、子の声が。

 「うっ・・・!!!」

 ようやく、この穢れに満ちた血を終わらせることが出来ると思っていたのに。

 ようやく、自由になれると思っていたのに。

 結局、彼女は子を産んだ。

 自らの手で抱きしめた子は、とても小さく、とても温かかった。

 「ごめんね・・・」

 彼女は泣いて謝った。

 こんな私のもとに産まれてきてしまったことに対して。

 こんな無情な世に解き放ってしまって。

 こんな穢れた血を受け継がせてしまって。

 彼女の血を引いた子は、銀色の髪に青い目をしていた。

 「愛しているわ、サウトゥーレ」

 交わりもなく子を産んだ女の噂は、瞬く間に街に広まった。

 彼女は子を守る為に、自らを殺す。

 子を教会に置きざりにし、彼女は名だけを記した。

 そして、きっとまたいつか、彼女の意志を受け継ぐ者が生まれると信じて。




 一人の少女に、男が近寄っていく。

 「サブワロール」

 名を呼ばれても、少女は男の方を見ない。

 「また、祈っているのかい?」

 「ええ、神父様」

 「いつも何を祈っているんだい?」

 教会の中、天井にぶら下がる大きな十字架の下、一人の少女が膝をついて祈っている。

 「私の罪を」

 「君の罪とは?」

 「それは神のみぞ知る、よ」

 少女は、毎日教会に通っていた。

 銀色の綺麗な髪は長く、少女は膝をついているため、床にまで伸びていた。

 ゆっくりと目を開ければ、そこに見える血のような赤い目。

 神父が奥の部屋に行くと、少女は言葉を紡ぐ。

 「主よ。私の血は穢れています。どうか、この血が私で終わりますように」

 少女は、ただ祈る。

 少女は知っている。

 自分の身体の中には、様々な人間の血が入り混じっていることを。

 両親の目は青いのに、なぜ自分は赤い目で産まれてきたのかを。

 少女は新しい血筋の誕生ともいえる。

 血に飢えた獣の血、愛した男を殺した女の血、子を殺した男の血、欲望に塗れた人間の血。

 「主よ。どうか」

 最も穢れた血であることを。

 「私に裁きを」


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