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メビウス  作者: うちょん
1/7

パール

 私は、祈り続ける。

 この血を終わらせるために。




















  第一性【パール】













 私の夫が、殺された。

 誰にかと聞かれても、私にはわからない。

 彼のことは誰よりも知っていると思っていたけど、それでもわからない。

 ただ、彼が殺された日、一人の女の姿が目撃されたらしい。

 その女は、綺麗な紫色の髪の毛をしていて、カールがかかっていたとか。

 かくいう私自身も紫の髪の毛であるが、ストレートで瞳は赤い。

 女の瞳は茶色で、真っ赤な口紅をしていたようだが、未だに誰かは判明していない。



 夫の名はトマという。

 彼は輝くような金色の髪の毛をもち、吸い込まれそうな茶色の瞳をしていた。

 身長は一八〇ほどあっただろうか。

 私とは三〇センチ弱の差があった。

 私は小さい頃から親に愛されておらず、よく一人で遊んでいた。

 父親も母親も互いに恋人をつくり、相手のことなど気にしていなかった。

 それでも、私は二人がいるなら良いと思っていた。

 だがある日、私は突如、身売りするよう言われた。

 それは私の身体が、子供から大人へと変わりだした頃。

 顔立ちも女性らしくなり、指もほっそりと長くなり、足だってスッとしている。

 一番自分で変わったと思ったのは、胸だ。

 ぺったんこで、何もなかったそこには、徐々に膨らみが出始めた。

 私は最初、嫌で嫌で泣いて懇願した。

 こんなことはしたくない、と。

 すると、母親は冷淡な目を私に向け、こう言ったのだ。

 「身売りのひとつも出来ないで、ずっとこの家にいるつもりかい?」

 絶望を突きつけられただけだった。

 肩や足が出る服を着せられ、私はその身ひとつで出かける日々が続いた。

 「私を、買いませんか?」

 笑顔で男に媚びを売っている、そんな自分が嫌いだった。

 男は私の身体を舐めるように下から見て行くと、喉を鳴らして私に触れる。

 「君、名前は?幾ら?」

 「パールといいます。沢山頂けるのなら、サービスします」

 お腹の出た男も、不細工な男も、乱暴な男も、我慢した。

 男は満足すると、金を置いて帰っていく。

 私はただ、汚れた身体を綺麗にすることもなく、天井を眺めるのだ。

 「これ、今日の分です」

 「これっぽっちかい。もっと稼いできな」

 男から貰った金は、全部親へと渡す。

 もしもこっそり懐に隠そうものなら、身体中痣だらけにされてしまう。

 身売りを始めてからどれくらい経った頃だろうか、一人の男に声をかけた。

 「私を買いませんか」

 感情なくそう言えば、男は口を少し開けたまま、私を一瞥した。

 「おいで」

 いつものように男に着いて行くと、そこはいかがわしい店などではなく、小さな喫茶店だった。

 なんだろうと思っていると、男は私に向かって椅子に座るよう勧めてきた。

 静かな雰囲気の店内に慣れていない私は、あたりをキョロキョロ見渡した。

 「コーヒー飲める?」

 「え、あ、いえ」

 「ラテとかは?」

 「ラ、ラテ?」

 ほとんど水しか飲ませて貰ってなかった私には、初めて聞く単語だった。

 そんな私の反応を見て男は笑った。

 「コーヒーとラテひとつずつ」

 ラテとはなんだろうと思いながら待っていると、なんだかほのかな甘い匂いを感じた。

 自分の前に出されたソレを、緊張の面持ちで手に取り、口に運んだ。

 「!・・・美味しい」

 「良かった」

 久しぶりの温もりに、思わず泣いてしまった。

 男は私を慰めてくれた。そして、身売りをしていた理由を聞いてくれた。

 正直に話すと、男は私を連れ去ってくれた。

 何処をどう走ったのか、今頃親は心配しているかなんて、どうでも良かった。

 きっと私なんかいなくても、困りはしないだろう。

 いや、困ったとしても、金のことくらいだ。

 男の綺麗な金色の髪の毛は、まるで太陽のように光っていた。

 「俺はトマ。よろしくね」

 「私は、パールです」

 そして私達は、結婚をした。



 そう、トマの話をしましょう。

 トマはムーランという男と、ルシュ―ムという女の間に産まれた。

 ムーランはある酒場でよく飲んでいたのだが、酒を飲むと暴れてしまう性格だったようだ。

 ある日も、酒場がめちゃくちゃになってしまうくらい暴れ出した。

 だが、酒場の常連客の青い髪の顎鬚を携えた男と、たまたま酒場に来ていた金色に赤目の男によって抑えられたようだ。

 また、その中に、女も交じっていたとか。

 黒髪を靡かせていたその女は、旅人の格好をしていたようだ。

 その女は何処へ行ったのか、それはわからないが。

 酒場の店主の女性と、その常連客は恋仲だったとか、そうじゃないとか。

 店主は銀色の短い髪に青い目をしていて、確か名前はスカルモ、といっただろうか。

 後にその二人は結ばれたという話を聞いたそうだ。

 一方、トマの母親であるルシュ―ムは、売女だったようだ。

 ムーランは茶色の髪と目、しかも隻眼だ。

 トマの金色の髪はきっと、母親のルシュ―ムの遺伝だろう。

 ルシュ―ムは金色の髪に、青い目をしていたとか。

 売女ときくと、正直良い印象はないが、ルシュ―ムも私と同じ境遇だったらしく、それを助けてくれたのが、きっとムーランだったのだろう。

 酒癖の悪かったムーランも、ルシュ―ムがトマを身篭ってからというもの、酒を控えていた。

 売女として罵られていたルシュ―ムは、トマを連れて街を出たようなのだが、ムーランは残ると言い張ったそうだ。

 そこでの暮らししか知らないムーランと、売女としてあちこちの世界を見てきたルシュ―ムは、その後出会うことはなかった。

 だからこそ、私はトマと出会う事が出来たのだが。



 私のお腹には、生命が出来た。

 そのことにトマは喜んでくれたし、女の子だと聞いて、更に喜んだ。

 私に似るのだろうか、それともトマに似るのだろうか、とても楽しみだった。

 予定よりも早く生まれたが、健康体で出てきた赤子は、トマに似た綺麗な金色の髪と、茶色の目を持っていた。

 「見て、あなたにそっくり」

 「可愛いなぁ」

 そんな一時が、幸せだった。

 でも、私は以前から知っていた。

 トマに、私以外に女がいることくらい。

 きっとトマは私が知らないと思っているのだろうけど、女には分かるものよ。

 不自然な行動だったり、匂いだったり、ひとつひとつの仕草が私に教えてくれた。

 それでも良いと思っていたの。

 だって、トマは私の夫であって、この子の父親だから。

 彼が“ヴィル”にしようと、考えてくれたこの子の名だって、私は愛していたの。

 「ねえヴィル、綺麗な髪ね」

 キャッキャッと笑うヴィルの笑顔だけが、私の力になった。

 朝早くから出かけて、私達のために働いてきて、空が暗くなると帰ってくる。

 最近はヴィルの寝顔しか見ていないと、残念そうにしていた。

 毎年毎年、ヴィルや私の誕生日にはプレゼントを用意してくれた。

 「ありがとう。忙しいのに、悪いわ」

 「いいんだよ。君にはヴィルの世話をまかせっきりだしね」

 そう言って、にこりと微笑む彼が好きだった。

 嘘じゃないわ。本当よ。

 ヴィルが成長して、確か一〇になった頃だろう。

 彼の遺伝を確実に受け継いだヴィルは、その金色に輝く髪の毛を靡かせながら、よく走りまわっていた。

 私はその髪が羨ましかったけど、ヴィルは私の紫の髪も綺麗だと言ってくれた。

 そんな些細な幸せが、いつまでも続けば良いと思っていたの。

 「そんな・・・」

 愛しのヴィルは、突如病死してしまった。

 生まれてすぐにかかった細菌のせいらしいが、話を聞いても良くは分からなかった。

 目の前にある、娘の遺体だけが真実味を帯びている。

 その時よ。今まで胸の内に隠していた憎悪が、ふつふつとわき上がってきてしまったの。

 ヴィルの容体が急変して、私が一人で病院まで運んだ。

 すぐにトマにも連絡を取ろうとしたけど、まったく取れなかった。

 仕事だから仕方ないとか、忙しいからしょうがないとか。

 そんなことをしているうちに、ヴィルは死んでしまったの。

 「そうか・・・。そんな時に、俺は。一人で辛い想いをさせたね」

 「・・・・・・」

 「今日はもう、ゆっくり寝ると良い」

 ねえトマ。私、知ってるのよ。

 貴方がどんなに素敵な言葉を並べても、どんなに綺麗な笑顔を向けてきても。

 それは、虚像であることを。



 「ねえトマー。今度はいつ会えるのー?」

 「モナファ、しばらくは無理だって言ってるだろ」

 「なんでー?赤ちゃん出来ちゃったからー?トマがちゃんと避妊しないからじゃない」

 「うるせぇな」

 「それに、身体売ってる女助けるなんて、馬鹿じゃない?女だってそれなりに楽しんでんのよ、それ。放っておけば良かったのに」

 「黙ってろよ」

 トマが、モナファに覆いかぶさり、口を塞ぐ。

 時折、モナファの艶やかな声色が耳に響く。

 モナファは長いカールのかかった紫の髪をベッドにちらつかせながら、真っ赤な口紅でトマを誘う。

 ベッドは二人の重みで軋み、沈んで行く。

 「ん、あら?帰るんじゃなかったの?」

 「ああ?誘っておいてそれか?」

 「ふふっ。自分の子供が危ないってときに、よくこんなこと出来るわね」

 「それを知っていて、よく俺を誘えるな」

 「あら、じゃあお互い様ね」

 絡み合う吐息は、やがてひとつになる。

 時間だけが過ぎ、ようやくその熱も収まったとき、トマはやっと身体を起こす。

 脱ぎ捨てた服を手に取ろうとすると、背中からお腹に向かって回された腕によって、阻まれる。

 「モナファ、いい加減にしろ。終わりだ」

 「私と同じ髪の女のとこに行くの?罪悪感とか感じないのね?」

 「余計なお世話だ」

 腕を外すと、モナファはシャワーを浴びにシャワールームへ向かった。

 トマは乱れた髪や服を整え、鏡でチェックする。

 すると、シャワールームから声がする。

 「奥さんにバレてないのー?」

 「さあな」

 「あら、そう」

 この時、モナファはトマとパールが別れることを望んでいた。

 だからこそ、わざと匂いはつくように、香水をつけていたのだから。

 「(バレてないわけないと思うけど)」

 心の中では思っていても、言わない。

 シャワールームから出れば、すでにトマはいなかった。

 部屋代を置いて、書き置きもなく。

 濡れた髪の上にタオルを被せたまま、モナファは薄く笑うのだった。



 彼の事は信じたかったの。

 でもね、一度だけじゃない過ちを繰り返してる彼を、これ以上信用することなんて、出来ないでしょう?

 ヴィルが亡くなってからも変わらなかった彼の行動に、私は何も言えないまま。

 ヴィルを失ったこともあって、私は二、三日家を開けることにした。

 もちろん、トマも了承してくれた。

 「家のことは心配しなくて良いから」

 「はい。わがままいって、ごめんなさい」

 「いいんだよ。行っておいで」

 少しの荷物を持って、私は家を出た。

 遠出をするわけでもなく、ただ、家にいたくないという気持ちがあったから。

 彼から感じる別の女の匂いも、その女に触れた手で私を触ることも、愛を謳うことも。



 パールが家を出てからすぐ、トマは電話をいれた。

 誰にかと言うと、あの女にだ。

 「ああ、今日明日は確実にいないから、来ると良い」

 『あら本当?じゃあ、お言葉に甘えて』

 スリットの入ったワンピースを着て訪れたのは、モナファだ。

 そして、家に入るなりトマに抱きついてキスをせがんだ。

 ベッドに横になると、モナファはトマの耳に口を近づけた。

 瞬間、トマはモナファから離れた。

 「何言ってるんだ」

 「何よ。だから、出来たのよ。私にも。子供が!貴方の子よ!産んでいいわよね?」

 「ふざけるな!産むなら勝手に産んで、一人で育てろ」

 「どうして?!あの女の時は喜んでたじゃない!」

 「相手がお前じゃ話は別だ。ならさっさと帰れ。二度と俺に近づくな」

 「なっ・・・!!!」

 そう言って、モナファに背を向けたトマ。

 モナファの心を支配したのは、愛憎。

 唇をぎゅっと噛みしめ、ベッドのシーツを強く掴んだ。

 背を向けたままのトマは、パールが作って行ったサンドイッチを頬張っていた。

 ―殺してやる。

 ―愛してくれないなら。

 ―私だけを見てくれないなら。

 ―殺してやる。

 モナファは静かに立ち上がり、護身用にと太ももに隠し持っていたナイフを手に持つ。

 ―私は、貴方を愛していたの。

 ―子供が出来れば、貴方が手に入ると思ったの。

 ―例えそれが、貴方の子じゃなくても。

 一歩一歩、近づいていく殺気に、トマもようやく気がついた。

 だが、振り向いたときには、遅かった。

 「モ、ナ・・・ファ」

 「さようなら。私の愛した人」

 お腹から血を流して倒れて行くトマは、痛みからか、苦痛に歪んだ顔をする。

 それを眺めながら、モナファは残りのサンドイッチを食べた。

 キッチンからワインを持ってくると、グラスに注ぐことなく飲みだす。

 そして、そのワインをトマに口づけて飲ませた。

 すでに息絶えていたトマの顔周辺には、ワインとも血とも言えない赤い液体が広がっていた。

 モナファはそのまま優雅な歩きで去って行った。

 三日後、帰ってきたパールによって発見されたトマの周りには、烏がいたそうだ。

 それから、いつもの匂いも漂っていた。

 犯人は未だ捕まってはいないそうだ。

 しかし、それは今の私には関係ないことだ。

 私の夫は殺された。

 私の娘は病死した。

 私は孤独になった。

 それだけが事実。

 それから、これは私だけが知っていること。

 トマの遺体の唇には、真っ赤な口紅の痕がついていた。

 ねえ、私、あなたが羨ましいわ、トマ。

 だって、今頃、ヴィルと一緒なんでしょう?


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