第六章
「む、無理です。食べれません!」
嗅覚を刺激する程よいスパイスの香り。
どうしてこういうことになっちゃったんだろう…。
目の前いっぱいに並べられたお皿というお皿、ボールというボールに食べ物が綺麗に盛り付けられていた。その上、そのお皿もボールも…ものすごく繊細な細工がされていてこの上なく高そう。
「あら、当然全てを召し上がりにならなくてもよろしいのですよ?アスカ様がどのようなものを召し上がりになられるのか分かりませんでしたので。お好きなものだけお召し上がりになられてくださいませ。」
シーラさんは呆然としているであろうわたしの前でにっこりと笑みを浮かべた。
『様』付けはやめて欲しいと頼んでみたものの、ひと悶着あって結局はそのままで落ち着いてしまった。
その笑顔の前にすごく…言い出しにくい。
「あ、あの…そうでなくて…少しも、食べれません。」
言葉の終わりがかすれてしまった。言いようのない罪悪感がこみ上げてくる。まだ、湯気を立ち上らせている目の前の食べ物は、おそらく…絶対にわざわざわたしのために作られたもので。
誰かが、わたしのために作ってくれたものであることにはきっと、違いなくて。
それなのに、少しも食べれない自分が歯がゆい。
きっとここで食べれば十中八九戻してしまう。ここは夢だけれど、いつ醒めるか分からないなら、シーラさんの前で気分を悪くしてしまうかもしれない。もともと、何日も固形物をまともに入れていない胃だから、受け付けないことなんて目に見えている。
「でも、昨晩からなにも口になされておりませんでしょ?」
それどころかもう何日もこんなしっかりとした食事はとってない。ちゃんと口から入れたのは桃のゼリーだけ。
結局わたしは何もいえない。幾重にも重なったふわふわのスカートの間で手を握り締める。目の前に浮かぶシーラさんの笑顔がとても苦しい。いっそのこと何も食べないことに怒って、この食べ物を全部片付けて、もう二度と食事なんて運んでこないと言われたほうが楽なのに。
少し伸びてしまっていた爪が手のひらに食い込んで、痛い。
「何をしているんだ?」
低く、よく響く声が頭の上から降ってくる。
「あら、シャハリアール王。本日の政務はもう終わられましたの?」
「終わったからここにいる。」
にべもなくシーラさんの問いかけに応えて、王様はわたしの目の前に並べられたたくさんの食べ物に目をやった…らしい。
とてもじゃないけれど、その顔を見上げることなんてできない。そもそも昨日…昨日かどうかはよく分からないけど、わたしが倒れてからどうなったかなんて分からないし、なんでこんな格好させられているのかも分からないし、しかもなんかやたらといい扱いをされている理由も分からない。
第一、あの綺麗な顔に見られるのは…なんだかとても緊張する。
「で、なんだこの料理の山は。」
呆れたような王様の声。
王様にとってもやっぱりこの量は尋常ではないらしい。だって、無駄にもほどがある。大人5人が集まって食べてもたぶん食べきれない量。わたしを100人集めても食べれない。
「アスカ様がどのようなものを好んでお召し上がりになるか分かりませんでしたから。それに、厨房のほうに王がこんなにかわいらしいお客様を招かれた、ということを伝えましたら自然とこうなってしまいましたのよ。」
シーラさんはころころと笑う。嬉しくて、嬉しくて仕方がないというかのように。
とりあえず、わたしは王様の「客人」としてここにいるらしい。そしてなんでか分からないけど、お城の人たちに嫌われてはいないらしい。…どう考えても夜中に増えた客人って怪しさ満載なんだけど…ジンニーならなんでも許されるのかなぁ。
富も名誉も何にも、わたしは王様に与えられないんだけど…
ただの人、だから。
これを言ったらわたしはどうなるんだろう。
王様の持つあの三日月刀がわたしの首にかかって、シーラさんがそれを見ている。
気持ち悪さがこみ上げてくる。ジンニーではないけど、異質な存在でしかないわたしの居場所はここにはない。どんなにやさしく扱われても、どんな素敵なものを与えられても、それはわたしがジンニーであることが必要なら、そのやさしさも何もかもわたしのものじゃない。
「だが、何一つ手がつけられていないように見えるんだが?」
華奢な生地に包まれた自分の背中が一瞬動いたのが分かった。ぎくり、という効果音がとても似合いそうな反応をしてしまった。きっと無駄に伸びてしまった髪の毛のおかげでぜんぜん分からないだろうけど。むしろそうであって欲しい。
王様がわたしのことを見下ろしているのが分かる。なんかもう野生の勘じみてきているけど、絶対にそうだって言える。
「それが……アスカ様はお召し上がりになられないそうで…」
シーラさんが少し困ったように王様の問いに答える。
シーラさんは責めているつもりはないのだろうけど、その響きがまるで責めているように聞こえて、いたたまれなくてより深くうつむく。悪いのはシーラさんじゃない。もちろん丹精込めてたくさんの料理を作ってくれた料理人さんたちでもない。
一番悪いのはわたし。なのに勝手に被害者面をしている自分がたまらなく、嫌だった。
「と、言うわけで王。まだお食事はお済みではございませんでしょう?頑張ってくださいませ。」
「は?」「へ?」
びっくりしてシーラさんを見上げる。
さっきまでは顔も見れないと思っていたのに、びっくりしすぎてそんなことは吹っ飛んでしまった。
シーラさんはにっこり、と形容するのがふさわしい綺麗な笑顔を王様に向けている。…なんか邪気がなさ過ぎて逆に有邪気。
「この料理は王のお腹に納まりますので、アスカ様はお気になさらないでくださいね。」
シーラさんはわたしのほうを向いてやさしく目を細める。目じりにしわがよっていて、それはひどく温かくて。
滲んできた涙が全く違った意味合いのものになって、瞳を潤ませた。
「…こんなに食えないぞ。」
王様はもはや諦めたかのように低くつぶやき、わたしの対面の席に乱暴に座った。
用意された葡萄酒らしき飲み物が華奢な杯の中で揺れる。
片っ端、という言葉がすんなりと当てはまるような動作で王様は料理に手を付けていく。憮然としながらもシーラさんに言われたとおりに消費していくその姿はとても子供っぽく。
口元に笑みが浮かんでくることをどうしても止められなかった。
「何を笑っているんだ。」
至極不機嫌そうに切れ長の黒曜石に睨まれた。
わたしに問いかける一方でその手は優雅に、しかし絶え間なく動き料理を切り分けている。相当の速さで料理は納まるべきところへとおさまっていく。
粗悪で慈悲のかけらもないシャハリアール王。王は殺す。その寝殿に召された貴妃たちを。
「お前も何か食べろ。少しは手伝え。」
しかしやはり理不尽さは感じるようで、王様は手にしたフォークで減りつつある料理をしゃくる。確かにわたしのために用意されたものをわたし以外の、それも王様に食べさせるのはどうかと思う。
できるだけ胃に負担がなさそうで
消化しやすそうなモノを探して視線をさまよわせる。
豚の丸焼き(の一部と思しきもの)
香辛料で色づけされた野菜いため(なぜか特定の野菜だけが残されている)
パンに似た平たい焼いたもの(ちょっとかたそう)
エトセトラ、えとせとら
……あまりない。
伸ばしかけた手がたどり着くことなく宙で止まる。困った。
「アスカ様、こちらの果物などいかがですか?カチュラルといって、今年は豊作だったと献上されたものですわ。」
シーラさんが何かを汲み取って救いの手を差し伸べてくれた。
差し出されたのは程よく赤く色づいた香りのよい果物。皮はちょっと食べれなそうだけど、シーラさんが小さなナイフを持っているからたぶん剥いて食べるんだろう。
でも。
「献上品ってわたしが食べてもいいんですか?」
きっとその献上した人は王様に食べてもらいたかったから献上したのだ。色つやも、大きさも形も今年採れた中で一番良いものを選んで、王宮まで持ってきたはず。間違ってもわたしみたいな身元不明、職業ジンニー(しかも嘘)な人間に食べてもらいたかったわけじゃない。
「かまわん。食べろ。全ての献上品を俺が食べることなどできないしな。」
「ええ。その通りですわ。献上品は多いので、王の口にはいるものはほんの一握り。ですので王の客人であらせられるアスカ様に食されるというのは十分に光栄なことなのですわ。」
王はぶっきらぼうに、シーラさんはにこにこしながら言葉を返す。シーラさんは拒絶ではなく疑問で返したわたしを見て、とても器用にカチュラルと呼ばれたその果物の中身を差し出してくる。中身は皮とは違ってほんのりと桃色に染まった白い身。とろり、と甘そうな果汁がそれをおいしそうに見せている。
少しだけ、桃に似ているその果実をとろうか、とるまいか。
「・・・口を開けろ。」
「へ?」
情けなくも間の抜けた声がでてしまった。
と、同時にそのわずかな隙間から何かが入ってきた・・・もとい押し入ってきた。
「むぐっ!?」
結構な体積のそれは一瞬息が止まるには十分で、驚いたのにあわせて口の端から液体が伝わるのが分かった。
甘い
「・・・甘い。」
最初のは、わたし。じゃあ後者は?
傍若無人に人の口の中にモノを突っ込んだ人間、王は自分の指をぺろりとなめている。
「まったく、食べろと言ってるのだからさっさと食べればいいものを。」
カチュラルをわたしの口の中に入れた王。きっとシーラさんが剥いたやつをそのままとってわたしの中に入れたんだ。だから手が汚れてて、それを舐めとって・・・
舐めとって?
今、わたしが発作を起こした時みたいに機械につながれていたら、きっと危険を指し示すアラームが鳴り響いていると思う。
つまるところ。
自分でも感じられるくらいに心拍数だとか血圧だとかが急激に跳ね上がったわけで。
美人さんはもういやだぁ・・・
すっごく、すごく。
自重してほしいです。
甘い口の中を飲み下して、それと一緒に意識がとんだ。




