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第五章

 甘い香りがする。

 さらさらと冷たいけれど触り心地の良いものが肌に触れている。

 そう、冷たい。顔も腕も、そしてお腹も。


 わたしは異常に気がついて瞼を開けた。いや、開けようとした。実際にはあまりにも外が眩しくて一度には開いてくれなかった。ひどくもどかしい。光との格闘を繰り広げながら、とりあえず現状の把握をしてみることにする。

 今この時点でおかしいこと。まず第一にさっきから鼻をつく物凄く華やかな香り。決してきついわけではない香りだけれど、こんなに香るものをわたしは知らないし病室にあるはずもない。それからこの触り心地。病院のシーツはこんなに決めの細かいものじゃなかった。というよりもそもそも綿じゃない気がする。それに…どんなにわたしの寝相が悪かったとしても、ワンピース型の寝巻きが捲くれあがってお腹まで出ることなんてないと思う。足は冷たくないのにお腹は冷たいし。捲くれてるわけじゃない。

 少し、少しだけ今この現実を拒否したくなってきた。

 確か、朝美幸さんに会ってからすぐにお昼ご飯が運ばれてきて…食べれないから桃のゼリーを代わりに食べて。夕方ごろに先生が検診に来てくださって、夕飯が運ばれて…久しぶりにご飯を口にして…またアラビアンナイトを読み始めて。読み始めて…?それで…?

 それで、どうしたっけ…?

 

 思い、出せない。


 病院で記憶がなくなるのだとしたら、その原因はある程度限られてしまう。

 発作か記憶喪失か。あるいは…眠ってしまったか。

 病院というものはそれなりのセキュリティーを持っているはずなので、不審人物が気が付かないほどすばやくわたしの病室に現れてクロロホルムを嗅がせた、なんてゆう線はないはず。

 

 考えていても一向に埒が明かない。そうこうするうちに目が光に慣れてくるのが分かった。ゆっくり開いてもすばやく開いても見える光景に違いはないはず。なら。

 わたしは瞼を開く。ぼやける間も余裕も与えないようにすばやく。

 

 天井が見える。よく見るとそれが天井でないことに気がつく。それは…昨日はじめて目にした天蓋というもの。もちろん「夢」がはじめてとカウントされるなら、という話だけど。

 天蓋からはふわふわの紗が重なって垂れてきていてベッド全体を覆っている。昨日の記憶と比べると少しだけそのふわふわ度合いが高い。色合いも昨日と比べれば遥かに柔らかい。

 つまり…これは夢だ。

 わたしはきっとアラビアンナイトを読みながら眠っちゃったんだろう。明日起きた時に体が不自然に固まっていないことを祈った。それにしても現実世界で眠ったら夢の中で目が覚めるなんてうまくできすぎてる。普通夢っていうものはどこからともなく始まるものだったと思うんだけど…。わざわざベッドで寝てるし。

 待っていても目が覚めそうもないからとりあえず起き上がろうとした。

 しゃらり、と金属がこすれるような軽い音が耳を掠めて…右足に激痛が走る。

 「…っ、いたっ」

 横たわっていた体を起こそうとして敷布を蹴った途端、右足が火に当たったような熱を帯びる。その上良く動かない。

 病院内ではあまり経験することのない痛みに生理的な涙がこみ上げてくる。

 片目をうっすらと開いて、涙でいやおうなしに滲んでくる視界の中で右足を見つめる。かすかに頭を動かすと、また金属のこすれるような音が耳元で鳴る。

 ぼやけた視界の中、目が右足を捉える。右足には…包帯がきつく巻かれていた。もちろんそれが痛みの原因じゃない。この痛みは包帯の下に隠された足首だ。添え木はないから捻挫だろう。

 そのまま視線を滑らせていく。情けないほどに痩せ細った足。ゆらゆらと煌くがず多くの燭台の光を映して青白く見えてしまうほどに白い。まるで幽霊みたいだ。

 そしてことの異常さはまだ続く。…というよりももっと異常な状態だということに気がついた。

 「な、な、何!?この格好…」

 脳内で処理しきれないほどに謎が渦巻いた状況に言葉が溢れてくる。もちろんそれだけで混乱が解決するはずもない。

 わたしは自分の下半身を覆う布を摘み上げる。それと同時に上半身にも目をやる。

 思考が止まる。油の足りない機械仕掛けの人形のようにぎくしゃくと思考を進める。

 両手で掴んだ布は、今までに一度も触ったことがないくらい柔らかなもので一枚一枚がとても薄い。薄いというよりも半透明だ。寝台が布を通して透けて見える。それが幾重にも幾重にも重なってスカートとして機能しているらしい。この布だけでもかなり高価、なはず。微妙に作られた青色のグラデーションが何ともいえないほど綺麗。腰にはその布をまとめるためか細い金属細工で作られたベルトのようなものがはまっている。どうみても伸縮性はなく、留め金で開ける形のものらしい。細い蔦を模したうねりの中に薔薇に似た装飾が入れられている。素材は…考えないことにした。なんだかすごく後悔しそうだ。とにかく、高い。絶対にこれは高い。ベルト…仮にこれをベルトというなら、から垂れ下がる金属の飾りも高価そうな輝きを放っている。

 上は…胸の部分しか覆われていない。冷たいはずだ。お腹を覆っているものが何もないのだから。かろうじて寒くないのは外気温が暖かいせい。じゃなかったら風邪を引いている。その布も細かい装飾の光る織物だ。間違えなくその道を極めた者によるもの。下部にはベルトと同じように金属の飾りがついている。

 引きつっていく顔と同時にかすかに体が動いたらしく、ベルトについた金属がこすれあい、しゃらりと音を立てた。

 それはいたるところから響いてくる。詰まるところ、耳にも腕にも揃いの金属の飾りが付けられていた。

 思考が停止した脳の中で、現実逃避をする部分がつぶやく。

 ただでさえ貧相な体なのだから、それを際立たせるような服はやめてくれ。


 思考にかけられた小さな鍵がかちゃりと回る。

 困惑で真っ白になった脳裏に黒い染みが滲み出てくる。それは疑い。

 これは、夢。日本、それも病院にいるわたしがこんな部屋にいるなんて現実では考えられない。じくり、と右足が主張するように痛む。存在を忘れるなと強く訴えかける。夢では痛みを感じない。だから夢か現実かを見分けるために頬をつねる。なのに。この痛みはあまりに生なましい。まるで、昨日の夢の続きみたいな状況。痛む右足が昨日美幸さんに似たあの女の人を助けようと思って捻った時のことを思い出させる。だいたい現実では右足に痛みなんかなかった。2日間に渡って同じ夢を見るだけでも珍しい話なのに、ここまで夢が引き継がれるなんてできすぎている。だいたい何故何の変哲もないワンピース型のパジャマじゃなくて、このやけにアラビア調の服になっているのか分からない。想像力は乏しいほうじゃないけど、こんなに細かいところまで服を想像できるとは思えない。それに何より、夢の中でこんなにはっきりと思考をもてるなんておかしいとしか言いようがない。

 

 「はぁ……」

 疲れた。考えても一向に答えなんて出ない。細いため息が否応なしに口から漏れ出る。

 脱力して背後に寄りかかると、思いのほかクッションが柔らかくてそれに埋もれる形になる。


 「起きられたのですか?」

 鼓膜をかすかに震わせる低い声がする。頭がオーバーヒート気味で良く考えられない。

 「ジンニー様?」

 飽和している頭の片隅でその言葉が変換される。ジンニー…魔人。そうわたしのことを呼ぶ人は一人しか知らない。

 軽く閉じていた瞳を大きく開く。

 目の前にいたのは…あの王様じゃなかった。亜麻色の髪を一まとめにした柔和そうな顔立ちをした上品な女の人。かすかに浮き出た皴は左右対称で、良い年の重ね方をしてきたんだなぁ、と感じさせる。

 少し小太りな豊満な体をしたその人はわたしと目が合うと驚いたように目を丸くして、そしてにっこりと微笑んだ。

 「おはようございます。お目覚めのようですね。」

 持っていたトレーをベッドの枕元にある豪華なテーブルの上に置く。綺麗な曲線を描いた水差しの中から、氷のようなものがぶつかる澄んだ音が響いた。

 「よくお眠りになれましたか?」

 柔らかい笑みを作ってわたしに問いかける。

 そう問われても、夢の中でよく眠れたかなんて分からない。困ってわずかに顔を傾ける。

 「あら、私としたことが。ジンニー様に眠りは必要といたしませんわね。」

 何故だかジンニーという名称が定着しちゃっているらしい。そのうえあらぬ誤解まで受けている。このままだといつの間にか雨でも降らせられることになってしまいそう。

 「い、いえ。わたしはジンニーじゃ…」

 ないです。

 そう続けようと思ったのだけど急に女の人が近づいてきて言葉にならなかった。まじまじと見つめられて、言いようのないやりにくさ。

 覗き込まれることが気恥ずかしいやらなんやらで目をそらす。

 「あら、似合いますわね。その色。」

 じっと見られていたのは服が似合うかどうかを検分していたかららしい。とりあえずは及第点みたい。…こんな服が似合うって現代日本じゃ何の取得にもならない。

 「あ、あの。」

 何だか思案し始めた女の人に声をかける。少し、いやかなり遠慮がちになってしまった。女の人がこちらを向く。今度は顔を近づけてきたりはしない。

 「わたしはジンニーじゃないです。」

 少し安心しながら、言いたかったことを言葉にする。女の人はぱちぱちと瞬きをした。戸惑っているらしい。昨日のこととあわせて考えれば、わたしのことを伝えたのは王様だ。王様しかわたしのことをジンニー、と呼んだ人はいないから。

 「飛鳥です。」

 戸惑っているのをいいことにまくし立てるように名のる。激しい感情とともに記憶すると良く残るというし。

 「…それはお名前ですか?」

 「はい。名前です。あなたのお名前は…?」

 いい加減に女の人、で考えるのはややこしくなってきた。できれば固有名詞を知りたいところ。自分が名のって、相手の名前を聞く。順番にものっとっている。とりあえずはにこにこ笑って返答を待ってみる。

 「も、申し訳ありません。御恥ずかしながら少々浮かれすぎていたようですわ。」

 浮かれる?いったい何に浮かれたのだろう。

 「申し遅れました。私はシーラと申します。シャハリアール王の命により、アスカ様に仕えさせていただきます。至らぬ点もございますでしょうがよろしくお願いします。」

 しっかりと背を伸ばし、理想的な角度で女の人…シーラさんは一礼をした。卒業式とかのお手本になりそうな綺麗な礼。思わず見惚れる。


 そして、その内容に気がついて頭が真っ白になった。

 アスカ『様』、『仕える』

 まるで使用人のようなその言葉。間違えていなければその対象はわたし。


 疲れが体中を浸す。

 夢はまだまだ醒めない。

 大きめにとられた窓から三日月がのぞいている。その空はとても綺麗で。電気にも人間の営みにも侵食されていない純粋な闇が広がっている。


 夜は明けそうにもない。


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