第三章
いったい全体どうしてこんなことになってしまっているのか、全く分からない。いや、理由ならこれ以上にないほど明快なのだが、そこじゃない。
何でわたしが王様の広いベッドに乗っかっていて、あまつさえ顔をつき合わせているのですか――?
確かに、確かにだ。
誰がどう見ても、このベッドは2人の人間がすごすには十分に広い。むしろ広すぎだ。だから問題はそこじゃない。紗が何重にも重なった帳がかけられていて、これ以上ないくらいに宝石やら刺繍やらで飾り立てられたそれは寝るには適していないように見えるが、実はふわふわしていて気持ちがよい。
自分の頭に処理不能というレッテルが貼られた箱が積み重なっていく。わずかに残った処理機能が保たれている部分で、自分がとても支離滅裂なことを考えていると認識をする。大声でまくしたてたせいか軽い息切れがする。運動不足、という文字が頭を掠めた。
自分の死について考えを張り巡らせていた時間が懐かしい。
「話をするなら、早くしろ。日が昇るだろ。」
最後の砦とばかりに思い浮かべた現実逃避は、相も変わらず不機嫌そうな王様の声によって破られた。かちこちに固まって、今までにないほど背筋を伸ばしているわたしとは打って変わって、王様は優美に黒豹のように自らのベッドに寝そべり、立てた肘に顔をのせてこちらを見ている。
やりづらいことこの上ない。
美形な人に見つめられると言葉をなくすということは本当らしい。
呆けているわたしに王様は怪訝な顔をする。不機嫌さに怪訝さが付加されたため、より凄みが増す。苛立ちが許容を過ぎたのか形のよい眉を大きくひそめて王様は言い募った。
「ジンニーよ。早くしろ。俺は気が短い。」
じんにー…塵にー…ジンニー。
わたしはその意味を正しく捉えてぎょっとした。眼が飛び出るほど驚くことは本当にあるのだと思った。今日ははじめてづくしだ。
ぜんっぜんありがたくない。
この王様は部屋の上から降ってきたわたしを女ではなく子供でもなく、魔人として捉えてしまったらしい。この際邦訳が精霊か妖怪か魔人かなんてどうでもいい。個人的には妖怪はいやだけど。
困る。非常に困る。わたしは姿を変えることも、ご馳走を出すこともできない。人間なのだから魔法なんて使えない。
「わたしは魔人ではありません。」
「じゃあなんだ。悪いがここは王宮だ。それなりに警備もしてある。ましてや王の間においそれと人間が入ることはできまい。それともなんだ、お前は腕利きの変な趣味をした賊か?」
へ、変な趣味?確かに王様のようなアラビア風の服は着ていないけれど、それを変の一言で片付けてしまうのか。そもそもわたしがアラビア調の服を着ていたら、それこそ問題だ。瞬く間に病院中の噂になること間違いなし、だ。
そんなわたしの事情は置いとくにしても、ジンニーの次は賊なのですか?それにしては対応がなおざりだ。賊ならば切り捨てるべきだろうに。おあつらえ向きに剣も揃っている。
その不思議さが顔に出てしまったのか王様は低く、笑った。
そう、笑ったのだ。残虐な笑みではないそれは麻薬のようにわたしの中を駆け巡った。顔が、体中の血が集まってきたかのように熱る。無性に感じるのは・・・
は、恥ずかしい。
何が恥ずかしいのかも分からないがとにかくまずかった。
そんなわたしにかまわず王様は告げる。
「こんなひ弱なやつが腕利きの賊だとすれば世間はもっと、誠実に生きている人間は損しぱなっしだろ。」
だからお前はジンニーでしかない。
そう王様は笑って続けた。
それはわたしの中にあったシャハリアール王とは全く違った少年のような笑み。
なんかもう、どうでもいいか。
不意に肩の力が抜けた。相変わらず鼓動は速いが、緊張が解けて息が楽になるのが分かった。
「とにかく、違います。わたしは飛鳥です。」
「ア・・・カ?それは何だ。」
「名前です。あ・す・か、です。」
もうかまわない。シャハラザードのように綺麗ではないし、人外のモノとして見られているようだけど、話くらいはできる。アラビアンナイトどおりに話せばよいのだろう。正直面白い話ばかりとは言い難いけど、生々しいのも多いけど、それでいいだろう。
いいでしょう?
結果からいえばぜんぜん駄目だった。
話し始めてわずか5分。だんだんと険しくなってくる王様の顔を見てわたしも不安になってきた。変な、ことを言ってしまっただろうか。一字一句同じとはいわないがそれなりに記憶力はあるつもりだ。間違いなく、アラビアンナイトの話をしているはずなのに。
「それが世にも面白い話?笑わせるな。そんなのは大昔からあるただの童話じゃないか。俺をからかっているのか。」
女として捉えられていないためか殺気は出されない。ただ低い声が響く。またもや王様を怒らせてしまったらしい。
お手上げだ。
わたしが知っているアラビアンナイトの話を王様は全て知ってしまっている。自分の鼓動がひどく速い。
おろおろしているわたしを尻目に王様はふと床に目を向けた。
飽和していた頭が冷えた。
逆にどんどんと血が引き下がっていくのが分かった。
わたしが落ちたのは王の寝室。つまり、ここ。かなりの騒ぎだったはずなのに、落ちてから様子を伺いに来た人はいない。わたしは貧弱。王様は無関心。
したがって美幸さんに似た女の人はまだ床に横たわったまま。
王様。女嫌い。美幸さんに似た女の人。瀕死。関心。
考える必要のないくらい最悪の結果は分かりやすくて。先ほどから焦ったり騒いだりして、とっくにレッドゾーンを振り切ってしまっている体力の針を、気力を振り絞って正常に近づける。さほど成功した気はしないが、わずかに湧いた力で王様の手首を両手で掴む。掴むといってもさほどの力は入れることができないから、ただ触れているようなもの。筋肉質の手によく言えばほっそりとした、悪く言えば肉付きの悪い指が絡む。
それでも、王様は振り返った。
普段では考えられないほどの運動をしたせいで呼吸がしにくい。心臓が五月蝿い。王様がどんな顔をしているのか、分からない。
あと、少し。すこ…し、だけ
「お…おさま。いま、から白…雪姫のお…話を」
いたします。
そう続けるつもりだった。白雪姫なんてアラビアンナイトと少しの関係もない。それしかとっさに出てこなかった。とてもとても認知度の高いおとぎ話。
視界が歪む。ぼんやりと見えていたはずの王様の顔が幾重にも重なって見える。
また…?
体が崩れ落ちるのが分かった。ふわふわのベッドとは違う何かに体が当たる。
意識が急速になくなっていく。
何一つ面白いお話をしていないのに、夜はまだ明けていないのに。
もう、瞳を開けない。