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第二十三章


左の手の甲を見る。

全体的に骨っぽさがなくなってきたものの、相変わらず細く頼りのない手。日の光を浴びる機会が増えてきたところで、その病的な白さが変化したとは言い難い。

血管が透けて見える手の甲を、さらに見つめる。

ゆらり、と手の甲の表面の空気が蜃気楼のように揺らめく。

そこに現れたのは、手の甲いっぱいに張り巡らされた不可思議な文様。白い手に赤い文様が生々しい。


「なんか、大変なことになった気がする…」

王様の応接間。相変わらず無駄に豪華なソファーにおかれた、いくつものクッションに埋もれるように体を沈める。おおよそ慎ましい、だとかこじんまり、とかいう言葉とは無縁の王宮の中でもこうすると疑似的に落ち着ける狭さを体感できる。

クッションに圧迫される視界に手をかざす。

ちら、と見る分にはごく普通の刺青に見える。……そもそも刺青自体が普通じゃないのかもしれないけど。

よく見てみればただ色が付いているわけではなく、刻々とその色が変化して揺らめいているのが分かる。しかもその文様の下にあるはずの皮膚の存在が全く感じられない。その文様だけがどこかに繋がっている様な、そんな感じ。

もはや銭湯への入場を断られるだけじゃ済まされない、気がする。

「実際、繋がってるんだよね。」

紅蓮の、額に。


名前を付けたことに起因するものなのか、いや、そうとしか思えないけど。

あの赤いジンニーに名前を付けて、彼がそれを承認した瞬間。わたしの手と紅蓮の額が光を放った。

その結果がこの文様であり、紅蓮の額の文様だ。

全くもって紅蓮にとっても予想外であったらしく、しばらく2人…もしくは1人と1ジンニーで茫然としてしまった。

紅蓮は自分の額に刻まれた文様と、どこか『変質』した自分の体を探り、結論を出した。

「繋がっちゃった…って軽々しく言わないでよぉ…」

意識を少しそらせばすぐにかすんで見えなくなる文様。見えなくなるだけで、そこにあることはその奇妙な違和感から分かる。

弊害はほとんどない、らしい。かっこ仮かっことじ、が付く程度の精密さでだけど。

わたしが紅蓮を呼んだ時、紅蓮に伝えたいことがある時、それが無条件で届くという奇妙な能力があるだけ、と言っていた。……それもどうかと思うけど。時間も距離も関係なく、さらには実際に声に出さなくても『聞こえる』らしい。

逆を言えばそれ以外は特に影響がないようだ、というのが紅蓮の見解。

とはいえ、おおよそあっちの世界じゃ考えられないくらいのファンタジーな出来事を体感してしまって軽くパニックだ。

「意識して見ないと見えないくらいだからまだいい、か。」

まっさらに戻った手を見て、違和感はともかく見た目に変化はないことを確認する。



その違和感を頭から追い出そうと、両手で視界をふさぐ。

元々クッションに浸食されつつあった視界が完全に遮断されて、瞼の裏の闇が広がる。

煌びやかな部屋も、非現実な世界も、何もかもが見えなくなって、頭の中が冷えていく感覚。


毎日が、あまりに楽しくて、色づいていて。知らないがいっぱいで、できることもいっぱいの日々。

だからなのかもしれない。

わたしは忘れてしまっていた。

どうにもならない死に行く現実を前に、夢でもいいから何かをしたいと願った、その理由を。

バザールで思い出したそのことは、きっともう二度と忘れることなんてできない。


夢は、醒めた。

遅すぎるくらいだった。

もっと、早く。醒めなきゃいけなかったのに。


「美幸さん…」


間違えなくわたしの世界の中で一番大切な人。

世界を超えたのだから、わたしが助けようとしたあの人は美幸さんじゃない。

そんなの当たり前。

でもわたしがここへ来た理由であることには変わりない。

美幸さんに似たあの人をわたしは無視なんてできなかった。


それに。

わたしがこの世界に来た、その意味を見つけられる気がするから。

わたしは知らなくてはならない。





「……何をしている。」

作り出した闇の先から声が聞こえる。

視界をふさぐ手をどければ、ぼんやりとクッションの間から人影が見える、気がする。

それなりに明るい室内は闇に慣れた目に悪い。それでもこの人が誰かなんて疑問はおきない。

「王様。」

光に慣れた視界の中に、ずいぶんと慣れてきてしまった秀麗な顔が見えた。相変わらず、見慣れてしまった事実が何だか非現実的なお顔立ち。

「何をしている?」

今度はちゃんと語尾が上がった疑問形。

「考え事をしていました。」

「…寝ていたわけじゃなかったんだな。」

……王様の中でわたしは一体どんなキャラになってるんだろう。今はいわゆるおやつ時って言うやつで、実際シーラさんはお茶の用意をしに行ったところだ。寝るには時間が微妙すぎる。

と、まぁ。心の中でだけつっこんでみる。

「あら、陛下。」

クッションに埋まったままのわたしとそれを見下ろす王様、というある意味とっても奇妙な構図に出くわしたであろうシーラさんの声が聞こえる。…いい加減にこの埋没状態から抜け出す必要がありそう。

「政務はいかがされました?」

この言葉。

最近では何となくテンプレートになりつつあるように感じるのは気のせいじゃないと思う。

「休みに来た。」

何故だか分からないけど、王様が政務をほったらかしにして部屋に戻ってくることが多くなった。実際ほったらかしかどうかはわたしの知る所じゃないけど、頻度と時間は確実に多くなった。

「また叱られますわよ?」

……サボりすぎはいけません。しかも学校をさぼる1生徒とはわけが違う。国の元首のさぼりとか、規模が大きすぎる。

「元々働きすぎなぐらいだったんだ。問題ない。……何をしている。」

王様が心底呆れたように溜息をついて、わたしの腕をとらえて、引っ張る。

ふわふわのクッションから抜け出すのに苦労していたのが嘘みたいにあっという間に地面に足が付いた。

「…すみません。」

「あら、アスカ様は本当にそこが好きですわね。」

実はクッションから救出されるのは初めてじゃない。王様が遭遇したのは初めてだろうけど、シーラさんは結構頻繁に遭遇している。

「そんなに頻繁に埋まっているのか。」

呆れを多分に含んだ王様の口調に、気まずさがこみ上げる。埋まってるって……確かにその通りだけど。

そんなわたしと王様をみてシーラさんがくすくすと笑いをこぼす。ティーセットが乗ったお盆を優雅な仕草でテーブルへと起き、流れるような洗練された動作でお茶を淹れだす。いつ見ても溜息が出るような綺麗な動作。

ちゃっかりと揃えられたカップは2つ。

「さぁ、お茶にいたしましょう。本日のお菓子はサイードの自信作だそうですわ。」

いつ見てもあの筋骨隆々な料理人がつくったとは思えないような繊細なお菓子。すごく、おいしそう。

それにしても。

「…またカチュラルか。」

王様の若干うんざりした声。

……うん、そうなりますよね。

ゼリーっぽい見た目のそのお菓子は明らかにカチュラルの甘い芳香を放っている。

「なんでこうもカチュラルばかり使うんだ、あいつは。」

素朴な疑問ですよね。毎日毎日、いろんな見た目のお菓子が出てくるのに、どれもこれもカチュラル味だったら当然抱く疑問ですよね。

心当たりがないわけでも、ない。というかある。

サイードさんに好きな料理はって聞かれて、思わずカチュラルって答えちゃった、あれ。サイードさんのあの愕然とした表情。

なんでカチュラルなんて洗って出すだけのものを言っちゃったんだろう、わたし。

それ以来何かの恨みみたいにひたすらカチュラルの加工物が出てくる。……おいしいことには間違いないんだけど。

今度会ったら、ちゃんと料理がおいしいって言っておこう。


和やかなおやつタイム。

ほおばるお菓子の甘さはあっちの世界では長らく忘れていたもの。きっと、幸せってこういうこと。




でも。

瞼を閉じれば浮かんでくるあの女の人の青白い顔。

もう、忘れない。忘れられない。


気が付いてしまったわたしは、この心地よい空間を変えなくてはならなくなる、かもしれない。


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