第二十二章
瑠璃と玻璃が足元を駆け回っている。
わたしが動いてもそれを器用に避けて、ぐるぐる。
踏んでしまう心配はないにしても、なんだか慎重になってしまうのはわたしだけじゃないって思いたい。
「みゅう」
さっきから2匹は機嫌よさそうに高めの声で鳴いている。…かわいい。
「いままで閉じ込めててごめんね。」
わたしが声を出すと、急に立ち止まって「なぁに?」というように首をかしげて見上げる2匹。
「今日はちゃんとシーラさんにもことわってきたし。いっぱい遊ぼうね?」
しゃがみこんで2匹を撫でればくすぐったそうに身をよじる。うん、腕が2本あってよかった。
2匹に出会った森。
コーランに連れられて出た時も思ったけど、迷ったのが不思議なくらいの大きさ。
なんだかんだと、王様に連れられてバザールへ行ったり、そのせいでしばらくは筋肉痛で動けなかったり。瑠璃と玻璃は何故かわたしがいない時はおとなしくしているみたいで、ずっと部屋から出ていなかった、…らしいとシーラさんに教えてもらった。
とにかく。
動けるようになったし、シーラさんからもお昼に帰ってくることを条件に森へ行っても良いと言われたからには、鬱憤が溜まっていそうな2匹を連れだすしかないと思ってここにいる。
……ちなみにお昼を過ぎても戻ってこない場合には採寸が待っている、らしい。
わたしが嫌がることを的確にとらえているシーラさんはすごいと思う。…絶対に遅れないようにしないと。二度目は迷わない、はず。
「久しブリ。」
「ひぃゅっ!!」
少年特有の高い声が、後ろ斜め上から降ってきた。
「相変わらず変なコエだすよネ。つぶれた動物みたい。」
……なんだかひど言い草だ。普通は驚くシチュエーションだと思う。
それにしても相変わらずな辛辣な言葉遣い。
「ボクにしてはテーネーなほうだけど?」
いけしゃあしゃあと言い放つ、宙に浮かんでいる異質な色彩を持った少年、もといジンニー。わたしとは違って本物の。
「って、んん?なんでリシュルなんか連れてるノ?」
紅くくるり、とした少年の瞳がさらに丸くなって、わたしの足もとで少年を見上げている2匹を見つめる。
その様子に違和感を覚える。
ちょっと考えて、瑠璃と玻璃が威嚇をしていないことに気がついた。コーランやサイードさんにはあんなに威嚇していたのに。
「あのねぇ、この仔たちはキミ程にぶくないんだよ?ボクがどんなソンザイだか分かってるノ。」
心底呆れた、という感じで少年が息を吐く。…さっきから本当にひどい扱いだと思う。
「そんなことより、この仔たち一体どーしたの?ボクの記憶が正しいならリシュルってヒトに懐かないイキモノなんだけど?」
少年はふわり、とわたしの目の前に降り立ってそのまま瑠璃と玻璃の前にしゃがみこむ。
まじまじと絡み合う1対の紅い瞳と2対の青い瞳。
見た目には色さえ見なければ普通の少年と、2匹の小動物の組み合わせは…そう、なんというか。
「かわいい」
「よーやくしゃべったネ。いくらボクがキミの考えてること分かるからって、ヒトとしてアイサツくらいは声に出してよネ。」
……ジンニーに人間について説教されてしまった。
でも言っていることは尤もなことだ。
「えっと、こんにちは?」
「…相変わらず、バカっぽい。」
言っていることは辛辣だけど、どことなく満足そうに笑うから。わたしも少しだけ嬉しくなった。
「で、これ。」
少年が無造作に玻璃をつまみあげた。それはもう、首の後ろを掴んで躊躇なく。
「ちょっ!!なんてことするの!?」
玻璃を助けようと手を伸ばすものの、そのたびに少年が左右に避ける。…思考を読み切られてる気がする。
その動きに合わせて玻璃は左右にゆらり、ゆらり。借りてきた猫状態になっていて。心なしか目を回しているような表情になっている。
「そう、さっさと諦めれば…えっとハリ?も苦しいオモイしなかったんだヨ。」
…このジンニーめ!!!
「今のすっごくアクヤクっぽい叫びだったよ?」
「…悪かったですね。」
思っていた以上に不貞腐れた声が出て自分でもびっくりした。
「そ。分かればいいんだヨ。で、これがハリでそれがルリって言うの?」
手元の玻璃と、少年の手をなんなく逃れてわたしの右肩におさまった瑠璃を指して少年が訊いた。
「うん。」
「ふーん?名前を付けられてもいいって思われるクライなんだねェ、キミ。」
少年が唐突に玻璃を手放す。慌ててそれをすくい上げて、もはや定位置になりつつある左肩に載せる。ふわふわが気持ちいい。
「やっぱりキミって変だヨ。」
「…人のこと変人みたいに言わないで。」
「どー考えても変でショ?世界のキョーカイを超えて自分のソンザイをテーチャクさせるっていうイレギュラーを起こして。今度はヒトに懐かないリシュルたちをつれていル。それだけじゃなくて名前まで付けちゃってル。」
わたしがどんなに異質かをつらつらと言いきかされる。…わたしは変人じゃないのに。それに。
「名前、つけるのってそんなにおかしい?」
「それを訊く時点でオカシイ。」
もしかして、犬とか猫とかに名前を付ける習慣はあっちにしかない、とか?
「あのねぇ。リシュルをイヌとかネコとかと一緒にする時点で間違ってるんだヨ。」
はてな。
きっと、漫画とかなら頭に大きなクエスチョンマークがついたに違いない。
「リシュルはホコリ高いイキモノ。それに見合うだけのチノウも持ち合わせていル。例えばキミが今から新しい名前を勝手に付けられたらドウ思う?」
…困る?
「キミってどこまでもノンキだよねェ。もしリシュルに勝手に名前なんて付けたら、普通はアバレルよ?見た目にハンしてそいつら凶暴だし。」
凶暴…コーランに噛みつこうとしていたし、牙だって生えている。
それにしても、そうだとしたら。
「なんでシーラさんはわたしにこの子たちの名前を聞いたの?」
「は?シーラ?」
「うん。この子たちを連れて帰った時、シーラさん、普通に名前を訊いてきた。」
珍しく少年の顔に困惑が浮かぶ。
「あれ?オカシイなぁ。リシュルが凶暴なことなんて誰でも…あぁ、キミ以外ね、知ってると思ってたんダケド。いつの間にカ忘れられたのかナ?」
「それ、いつの話し?」
「ウーン?あーっと。ダイタイ千年前?」
………普通千年もあれば忘れられますよ、ジンニー様。
「なんでまた、そんな昔なの?」
「ボクらがどれだけソンザイし続けると思ってるの?千年なんてヒトじゃないんだからあっという間だヨ。キミみたいなソンザイがここにいるから、ボクがここに来るだけで、そうじゃなかったらわざわざヒトなんて見に来ないヨ。」
たぶん、わたしは今この時、初めてジンニーという存在の異質さを理解した。具体的な数字がわたしの頭を直撃する。
少年が飛んで、魔法を使うことも、わたしは知っていたけど。
「ジンニーってすごいんだね?」
やっぱり少年じゃなくて、ジンニー様とかって呼んだ方が良かったりするのかな?
「イマサラだからやめなヨ。キミにそんなふうに言われるとなんだかイライラするし。」
「そういうものなの?」
「そーいうもの。」
「じゃあ少年って呼ぶよ?」
「だからそのセンスのカケラもない呼び方、どーにかならないの?……あっ、ソウカ!」
言葉が途切れて、じぃ、と見つめられる。…正確にはわたしの目線よりもちょっと下。
瑠璃と玻璃を見てる?
「キミがボクに名前を付けなよ。」
満面の笑みで告げられる。
名前?
「…名前ってそんなに簡単に決めていいものなの?」
「は?ボクがボクの名前を決めてもらうのにモンダイでもある?」
確かに問題はない、のかな?ジンニーにお母さんとかがいるとも思えないし、千年以上生きているんだから人様の子に!!っていうことも起こらなそうだし。
でも。
前は名前なんてどうでもいいって言っていたのに、なんで今?
「あの時は名前なんて必要じゃなかったカラね。ヒトがボクをどう呼ぼうとボクはボクだし。どうせ一瞬のことダシ。」
「だったら少年で良くない?」
「キミとはちょくちょく会うでショ。イチイチ会うたびに少年、って呼ばれるのもビミョーじゃん?ボク、キミのことキライじゃないし、むしろこんなに変なヒトには初めて出会ったシ。それに1つくらい名前もっててもいいんじゃないか、ってね。」
「名前は1つで十分だと思うけど…。だったらわたしじゃないほうがいいんじゃないかな。」
ただの人間が付けるより、もっと…そう、神様みたいな存在に付けてもらうとか、自分で決めるとかの方がいいんじゃない?
「もう、相変わらず変なトコにこだわるよネ!ボクがいいっていってるんだし、それでいいでショ。大体キミの存在はそれだけでキセキなんだからただのヒトってわけじゃないシ。」
「それに。ボクもそこのリシュルもスイキョーでキミに名前を付けてもらうことを許しているわけじゃナイ。キミを選んだんだヨ。自分に名前を付けるに足る存在だっテ。いちいち否定するのはヤメテさっさと付けなヨ。」
どんなにわたしの存在が奇跡によって保たれたものだとしても、わたしはただのヒトで、何にもできない。
それでも、わたしを選んだの?
「キミの価値は、キミが思っている以上に高いヨ。少なくとも、ボクとリシュルにとってはネ。」
まっすぐに見つめてくる紅い瞳。
首に感じる温かなぬくもり。
わたしを、認めてくれる存在。
ただ死を待つだけで、美幸さんから何かを与えられるばっかりで、それ以外何もなかったわたしに。
「…あのさァ、泣いてないで早く決めてくれナイ?どれだけ待たせれは気が済むノ?」
こぼれおちる涙を、両肩の瑠璃と玻璃が温かな舌でなめとってくれる。
呆れ果てている目の前の存在も、呆れているだけじゃないと、分かった。
紅く、紅く。
人間ではないジンニーといいう存在。
こっちの世界の存在には、こっちの世界に馴染む言葉が良いのかもしれないけど。
名前を任されたのは、あっちの世界から迷い込んだわたしだから。
わたしが決める。
「デ、決まった?」
劫火を連想させる赤。
全てを焼きつくす力を持った絶望の象徴。
それに例えられた、紅色の蓮華。
じゃあ、蓮華はなんでそう例えられた?
気味が悪いから?忌々しいから?嫌われていたから?
そんなの、分からない。
でも。
そうじゃないと、それだけじゃないとわたしは思う。
「うん。……紅蓮」