第十七章
くすんだ金髪に褐色がかった肌。気が強そうな藍色の瞳は驚きに見開かれている。
「君、どこから来たの?見た感じ平民、ってわけじゃなさそうだし。ここは王家所有の森なんだけど。」
驚きから不審といった表情に変わった、わたしよりもいくつか年上に見えるその人は周りに広がる森と、丁寧に刺繍が施され、決して実用的ではなさそうなわたしの服とを交互に見て眉をひそめる。
どこから、と言われても……どういえばいいんだろう?後宮、からだと思っているけど、そもそもあそこが『どこ』かは誰にも聞いてないし。『分かりません』って答えるのは自分でも怪しいと思う。そもそもいつの間にか王家所有の森、何かに入っちゃったんだろう。…実は立て看板とかあったのかも。
「みゅう!」
憤慨、といった鳴き声が手元から聞こえると同時に、ものすごい勢いで腕を駆け上ってくる感触。器用に元の位置、肩の上に収まって、わたしの方をちらりと見た後、目の前に立つその人に威嚇を始めた。もう一匹も今度は危なげながらも肩に収まって威嚇を始める。……物凄く可愛いこの子たちから、『がるるるるる』なんて凶悪な声が出るなんて思ってもみなかった。
「は?なんでこいつらが?」
その様子を見て、男の人が困惑を浮かべてわたしとこの子たちを交互に見る。
「どうやって手なずけたの?」
純粋な疑問。
怒気とかは感じられない。
「さっき会ったばかりですけど……特に何もしていません。」
思ったよりも掠れた声が出て自分でもびっくりする。
「何も?!」
急に大きな声を出すからのどがひきつった音を洩らす。それを聞いて両肩から威嚇の声が強くなる。
「っかしいなぁ。元々人に慣れてたのかな?」
そろりと手を伸ばす。右肩に乗っかった片割れに触れるその瞬間。
「!!!」
小さくって可愛らしい顔にふさわしい小さな口がぱくり、と大口を開けて。近寄るその指に噛みつく。
「おっと、危ない。」
その人は慌てる様子もなく指をひっこめたから、実際に噛まれることはなかったけど、代わりに『がちり』という凶暴な音が聞こえる。
綺麗に並んだ鋭い牙が覗いている。噛まれていたら確実に血が出ていた。
「人に慣れてるわけじゃなさそうだね。」
「この子たち……肉食獣?」
どう考えてもあの牙は草とか木の実を食べるためのものじゃない。…こんな可愛い顔をしているのに。
「んー?正しく言えば雑食。普段は木の実とか食べてる。……知らないの?リシュルっていうんだけど。」
そんな不審な目で見ないでほしい。まぁ、自分でも不審なのは分かるけど。
「……そんな目で見んな。まぁ、そんなナリで侵入者ってこともないか。ってか。ちゃんと食ってんの?着飾る金を食料に回した方が良くない?」
今度は心配された。言ってることはもっともだ。初めてこちらに来た時よりは確実に健康になったといえる自信はあるけれど、それを知らない人から見れば、今でも十分に不健康のレッテルを貼られるにふさわしい。
「で、どうしてこんなとこにいるの?」
「……迷いまして。」
きっと、わたしはすごく不本意な顔をしていたに違いない。
一瞬間を開けてから、豪快な笑い声が響きわたる。
身近に…あっちの世界でもこっちの世界でも、こんなに激しく笑う人はいなかったから驚いた。が、それ以上にそんなにおかしいことなのかと残念になった。
ひとしきり笑った後、わたしに謝ってから『コーラン』と名乗った。
コーランさんはお城の厨房に勤めていて、この森には今日の夕食に必要な果実を採取していたとのこと。あれだけ笑ったのは、ここは『森』と呼ばれてははいるものの、それほど広いわけではなく、突っ切ったところで30分くらいしかかからないから、らしい。…わたしはいつの間にかまっすぐ進んでいるつもりで少しずつ曲がっていって、ぐるぐると回っていたことになる。
「まぁ、そんながっかりした顔すんなって。うん、誰にでも間違えはあるよ。」
そういう台詞はその肩の震えを止めてからにして欲しい。
よほどツボに入ってしまったのかただの笑い上戸なのかは分からないけれど、心が折れる。
「で、迷う前までアスカ…様?はどこにいたの?」
わたしの名前の後で少し迷って『様』を付けた。
「アスカ、でいいですよ。」
「そんなこといってもその服じゃあ貴族の姫さん、ってとこかな。不敬罪になりたくはないしなぁ…」
ぶつぶつ。貴族じゃないし、どこまでも平民のジンニーもどきです、なんて言ったら怪しすぎる。そもそも王家所有の森ならば貴族だと思ってもらった方がいいのかもしれない。
「本人が言っているのでアスカでいいと思いますよ。」
「…ま、いっか。何かあったら助けなよね。」
案外すんなりと納得してくれた。なんだかんだ言って深く考えない人なんだろうなぁ。
「じゃあ、アスカ。迷うまでどこにいたの?」
「……お城。」
間違えてはいない、はず。
「の、どこ?送っていくにしてもそれだけじゃ分からない。」
何て言えばいいんだろう。そもそもわたしの存在ってここではどうなっているんだろう?
知らず知らず眉を寄せたわたしを見て、何を思ったかコーランさんが同情的な顔をした。
「分かった、僕が悪かった。方向音痴ならあの広い城の中でまともに歩けるはずがないよね。仕方がない。」
そう言って、わたしの頭に慰めるようにぽんと手を載せた。思ったよりも大きな掌と何年もされたことのなかった仕草にどぎまぎするものの、その内容のひどさに唖然となる。……確かに始めの1日は迷ったけど、このごろはちゃんと元の場所に戻れるようになっていたもん。
「ぼちぼち帰んないと叱られるかな。1回帰ってから考えるってことでいい?」
コーランさんは親切だ。当たり前のように、『見ず知らずの少女を元いた場所に帰そう』としている。
「はい。コーランさん、ありがとう。」
「呼び捨てでいいよ。慣れない。……じゃあ、後についてきてね。」
籠を背負った背中が木々の間に埋まっていくそのあとをついていく。……10分足らずで森が開けたのにはさすがに泣きそうになった。
「森に入る前にここらへん見た?」
白亜の宮殿。少し後宮とは雰囲気の違う…そう、活気が感じられる。少し見渡してみると、どうやら水場みたい。
「見てません。」
「まっ、そうだよね。ここら辺は使用人しかいないし。」
もう、わたしの身分は貴族、というところで落ち着いてしまったらしい。…嘘をついていて心苦しい。
「何にせよ、とりあえず厨房へ行ってからだね。……そいつら、連れていくの?」
忘れてた。両肩に乗っかっているリスもどき…リシュルを見る。右肩の方は素知らぬ顔で後ろ脚を器用に使って長い耳の後ろをかいている。左肩の方は落ち着かない様子できょろきょろ。
なんとなく、だけど。
この子たちは子供の気がする。だとしたらお母さんが心配しているだろう。……なんでもっと早く気がつかなかったんだろう。もう、出会った場所からは離れてる。
後ろを振り返れば、森からは完全に出てしまっていて。本当は連れてきてはいけないところに連れてきてしまった、罪悪感。
「コーラン、ちょっと待ってて。」
視界の端で、コーランがうなずいたのを確認して、駆け足で森の前まで戻る。2匹が慌てて肩にしがみつくのを感じる。しゃがみこんで、2匹を手のひらにのせて、目の前に持ってくる。
4つの青い目。
「ここまで連れて来ちゃってごめんね。きっとお母さんが心配しているから、早く戻って?」
2匹は同じ角度で首をかしげている。こんなときだけそっくりの仕草。
ふわり、と2匹を地面に下ろす。
ふわふわの感触がなくなった手のひらがなんとなく寂しくて、握りしめる。
置いていこうとしているのを察したのか、2匹が足元にすり寄ってくる。……なんで会ったばかりのわたしにこんなに懐くんだろう?コーランの口ぶりからしてそんな懐きやすい動物じゃあなさそうだったけど。
すりついてくる2匹を踏まないように気を付けて、大きめの歩幅でコーランのところへ戻る。
とてとて
足音を感じて後ろを振り返る。
2匹がそろって立ち止まって、それからわたしの方へ来ようとする。
それを振り切るようにして、早足で歩き出せば後ろの足音も速くなった。
あぁ、どうしよう。
良く分からないけど、この子たちはわたしについて来ようとしてるんだ。
そう、思ってしまえば。
あっちの世界でも、こっちの世界でも。
いつも何かを与えてもらうだけで何も返せていないわたしを、必要としてくれているこの子たちを。
「やっぱり、連れて行きます。」
足元まで寄って来た2匹をすくい上げて、肩に1匹ずつのせる。
満足げな鳴き声を聞くと、心が和むのと同時に罪悪感。
この子たちを連れていくって決めたのは、結局はわたしのエゴだ。
きっと、親元に帰れる道を示してあげるのが正しいはず。
それでも、このぬくもりを手放すなんてできないのだから。