第十二章
あーあ、時間切れ。じゃあ、マタネ
規則正しい音が聞こえる。
「……びょう、いん」
こぼれおちた声は自分でも驚くほどかすれていて、よわよわしい。たった一言なのに、のどの奥がひきつれたみたいに痛みを訴える。
点滴の針と酸素分圧を測る器械が取りつけられているのは感覚として有るけど、腕を動かすだけの力も湧いてこない。
あぁ、発作が起こったってことか。
確実に命が削られているのが分かる。
ううん。たぶんもうこの命は限界を迎えている。それもとっくの昔に。長寿国の誇る医療技術と、それを求めるだけのお金が限界を引き延ばしているだけだってことくらい、ずいぶん前からわたしは知っている。
こうして発作を起こして、死にかけて、そして繋ぎ止められるたびに生の意味を問う。
いつも、見つからない。
「は、は…はは」
乾いた笑いに肺が悲鳴を上げている。
なんて、悲観的。
きっとこんなにも悲しいのは、死が近づいてきているからじゃない。
この世に執着するほどの、生きたいと願えるほどの自分の意味が見つからないから。
それなのに。
「き…せき」
あぁ、なんてわたしに似合わない響きなんだろう。
奇跡なんて信じられるほどわたしは、幼くない。
赤い少年にあった今でさえ、王様も、シーラさんも、あの煌びやかな世界も全て夢だって言うことのほうが納得できる。
あの世界はわたしとは程遠くて、初めは恐ろしかったけど、今はそうでも無くて。
奇跡、なんてことはわたしに不釣り合い。
それでも。
少年が言ったみたいにあの世界が夢なんかじゃないとしたら、うれしいと、思ってしまうわたしがいる。
それは。
ユルサレルコト?
「…飛鳥ちゃん?」
問いかけられて唯一自由になる瞳を向ける。
でも、見なくたってこの声をわたしは間違えたりしない。
「…み、ゆ」
「しゃべっちゃダメ。」
いつもよりずいぶんと抑えられた声。美幸さんらしくない。
手には回診用のボードがあるから、小児科から抜け出してきた様子。
また、婦長さんに叱られますよ。
そんな軽口さえも叩けないから、枕元まで進んできた美幸さんに瞳をすこし和らげて笑みを作ってみせる。綺麗な顔が台無しです。そんなんじゃ小児科の皆が心配しますよ。
大丈夫、まだ生きています。
「すごく、心配した。」
ごめんなさい。ありがとうございます。
「なんで、ゼリー。隠してたの?」
あれ、見つかっちゃいましたか。もう、かってにチェスト覗かないでくださいよ。プライバシーの侵害です。
「…ゼリーしまおうとしただけだよ。」
そういえば、美幸さんの差し入れをみて、そのまま倒れちゃったんだったっけ。それにしてもわたし、見てるだけで何にもしゃべってないのに良く伝わるなぁ。
「全く、何年の付き合いだと思ってるの!?」
そうそう、美幸さんはそういう勢いじゃないと。
「もう、笑ってないで。私、怒ってるんだからね!」
両手を腰に当ててお説教モード。
「なんで、もっと早く言わなかったの?確かに発作は…このせいじゃないけど、それでもすこしでも何か変化があったら言ってねって、あれだけ言ってたよね。」
わたしの発作は病気のせい。でも、その病気をモニターするうえで体調の変化はとても大切。すこしでも変化が、そう例えば経口で食べ物を入れなくなった…入れれなくなった、みたいなことがあったらいわなきゃダメ。
でも、心配するでしょう?
「もう、飛鳥ちゃんは患者さんなんだからそんなことでいまさら遠慮しないの!私が看護師失格みたいじゃない。」
「じか、ん」
そろそろ行かないとまた大目玉ですよ。
「げっ、そうだった。えっと…次は」
ぱらぱらともどかしげに手もとのノートをあさる美幸さん。朝にミーティングしたばかりでしょうに。
「うっわ、D棟で検査だ…うわぁ、間に合わない!!」
ナースサンダルで踵をかえして、全力疾走のかまえ。…それじゃぁ間に合っても怒られますよ。
「じゃぁ!今度何かあったらすぐにいうよーに!また来るね。」
引き戸の扉が勢いよくしまって、反動で少し開く。そして何事もなかったかのように静かに閉まった。技術って素晴らしい。
美幸さん、わたしの命はもういくらも残っていません。せめて、貴女に少しだけでも心配をかけずに笑っていてほしいんです。
うとうと、久しぶりに夢を見ていた気がする。
誰かがわたしに微笑みかけていて。
良く分からないけど、きっと、幸せな。
機械的な音が近くなる。
あたたかなオレンジ色に彩られた天井。寝起きの目には少し痛い暮れゆく陽の光。
先ほどよりははるかに良く動く身体。目覚めとしてはなかなかに良いほう。
夕焼けに照らされてオレンジに染まった腕を伸ばしてナースコールを押した。
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今回から活動報告なるものを付けてみたいと思います。
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