ピッキングガール
唐突にした浮かんだ物語です。
ガチャガチャガチャ……!
「あ、あぁあ……勘弁、勘弁してくれぇぇええぇえぇ……」
ガチャガチャガチャ……!!
その部屋はあまりにも汚く、そして臭かった。カップ麺やコンビニ弁当などのゴミが我関せずとばかりに室内の大半を占領しており、その中をハエなどの虫に探索されていた。彼らにとってはオアシスなのかもしれない。
部屋はゴミやらカビやらで異臭に晒されていて、とても人が住んでいられるような状態では無かった。トイレに至っては水が止められてしまったが故に家主の排便が残ったままになり、そこからも強烈な異臭が大量に生成されていた。ハエのアジトと化したのには無理ないだろう。
そんな不衛生極まりない部屋の玄関に、家主は泣きながら玄関の向こう側の人物に向かって枯れた声で謝罪していた。
長方形のドアの各辺にはアロンアルファがべっとり付けられていた。また、サムターンはもう開ける事はないとばかりに全ての部分にそれが接着されていた。そしてそれを覆うように家主の両手がサムターンに固定されている。お湯や温かいタオルでも使わない限り、その歪な融合体は解けないだろう。アロンアルファが放った特有の臭いも部屋の異臭と混合し、こちらもそう簡単には除去出来ないだろう。
家主の目から大量に粘液やら塩辛いものが零れ落ちる。その謝罪を表す声にはただ「生きたい」という想いだけが滲み出ていた。
しかし、ドアの向こうにいる誰かはそんな彼を許さない。それを証拠に、ドアの鍵を開けようとする雑音は一切鳴り止まない。むしろ、アロンアルファに対抗するが如く勢いが増している。
ドアを境に停滞した生と死。対象者はこの世に残りたいがために吹っ飛んだ方法で処刑者に対抗する。そこに反論の余地が無い事を知っていながら。
時間は数時間前に巻き戻る。
*****
警察の御用達にならずに無事銀行から金を持っていけるだけ盗んだ家主だが、計画を立てた上での犯行だったのもあって何とか警察の目を逃れた。再びいつもの日常に戻ってきた彼は、居酒屋でありったけ飲んで帰路に着いていた。
今の彼には、この世が腐った金処にしか思えなかった。
銀行で犯行を犯した事を他の人間に着させ、自分達はこうして大金を手にして自由に遊べる。それが続くならこの世界は本当に腐っている。彼は日々そんな事を思いながら、次の犯行を計画していた。
自分が狂っているのは分かっていた。
仕事が上手くいかなくなり、最終的にクビになった。ヤケになって今までちゃんとサイクルしていた金を一気に使い込んで、ほぼ無一文になった。家族からの仕送りなど貰える歳でも無いし、再婚した親とは折り合いが悪く、あまり口を聞きたくなかった。
結局この世は不平等なのだ。出来る人間だけが規則正しい人生を送れる。出来ない人間はひたすら雑用をやらされ、少ない賃金で一つの生命を繋いでいく。
学校は違うかもしれない。学級委員とか部長とかやってる奴らは自分がやっている事にやりがいを感じ、毎日を充実させている。そこで友人関係も広がっていき、人を信用する心も大いに比例して広がるのだろう。
逆に、部活にも入っていない、委員会もやっていない、さらに加えれば大人しくて二次元に浸っているようなタイプの連中はクラスに属するだけで、特に必要とされていない。ただ趣味の合う奴らと絡むだけでクラス会だとか班決めだとかは加わらない。それらを仕切る連中は、自分達にとって眩しいから。愚痴を零すだけで何もしないのがそういう連中だ。
だが、学校なんてものはまだ楽なほうだ。やりたい人間だけがやれば良いのだから、やらない人間はただ従うだけで許されるのだから。
社会はそんな甘くない。
出来る人間だけがステージに残る事が出来て、無能だったり必死に頑張っても出来ませんみたいな人間は簡単に脱落させられる。俺はただ、セクハラされていた同僚を助けようとしただけなのに……。
反対に俺がセクハラした事にされてあっさりクビ。いっそのこと刑務所に放り込まれたほうが良かったかもしれない。
だからといって本当に犯罪を犯す気はなかったのに、自分はいつからこんなに捻くれてしまったのだろうか。
結果として、金はがっぽり入って居酒屋で好きなだけ飲める程の自由を手に入れた。当分は大丈夫だろう……。
と、思っていた矢先だった。
居酒屋から自宅に帰ってきて、そろそろ掃除しないとなーと考え、ビニール袋やら洗剤やらを探そうとしていた時、
ガチャガチャガチャ……
という、鍵を閉めたドアを開けようとする音が響いた。
不思議に思ってドアスコープを見てみると――
ギョロリ、と。
ドアスコープ越しに、自分の目とミリ単位の位置に誰かの充血した目があった。
「うおおおあああ!?」
いきなりの出来事にドアから飛び退いてしまう。正直な話、怖かった。これが夢であってほしい。その現実逃避気味な願いは、ドアのロックを解こうとしている音が思いっきり否定していた。
「ちょ、ちょっと待てよいや待って下さいお願いします」
思わず敬語を使ってしまった事に気付かず、必死にドアを押さえる。そして、もう一度スコープを見てみようと考えた。
さっきの異常な風景が自分の疲れなどであってほしい。そう思ってもう一度スコープに目を近づける。
ギラン、と。
スコープをから見えたのは赤い液体が付いたナイフだった。
刃の部分から滴るそれは少し粘着力を帯びているように見えた。目がおかしいのか、糸を引いている気がしてならない。
柄の部分は赤黒く変色しており、それを持つ手のあちこちにはナイフで傷つけたのか、同じように赤黒い液体が滴っている。その姿があまりにも現実離れしすぎて、彼にはスコープ越しから見えるその異常な風景がにわかに信じられなかった。
だが、現実だと言うばかりに鍵を閉めたドアを開けようと鍵穴を弄る音は依然として続いている。
この状況が一体何を示しているのか、彼には一つの答えに行き当たった。
この街には殺し屋がいるらしい。
言葉だけなら滑稽な話なのだが、実際にこの街では謎の人口減少化が起こっている。他の街に移ったなら納得出来るが、それならば届出を市役所に出され記録にも残る筈だ。
この謎の減少は警察などの調べが行われており、現在も真相は明らかになっていないという。
そんな中で、街の噂として聞いた事があるのが、殺し屋である。
彼自身信じていなかったし、お世話になるような事にもならないだろうと特に気にしていなかった。しかし今思ってみれば、そんな感覚も当てにならないのかもしれない。
今こうして、ドアの向こうには血で染められたナイフを持って鍵穴を弄っている怪しい人物がいるのだから。
「ま、さか……来たってのかよ」
自分で呟いてみて改めてバカに思える。そんな非現実的な事がこうも簡単に起こるのだろうか。自分が最近唱えるように、日本はもう殺し屋を自由に歩かせる程に落ちぶれてしまったのか。
そして、そんな事を考える彼は、もう正真正銘犯罪者なのかもしれない。
金を欲するがために犯罪を犯し、他人に罪を着せる事で警察の目を掻い潜ったという、恨まれて当然の事をしたというのに。
結局彼はまだ、自分が犯した罪について何も感慨を抱いていなかったのだ。反省など、表向きなだけなのだ。
*****
そして現在。
結果として、彼は警察が成さなかった罪の代償を自宅玄関前で払わされようとしていた。この状態が始まってから早二時間。居酒屋から帰ってきた時間からして午前二時頃。丑三つ時とも言われる時間だろう。草木は眠り、魔物達が自由気ままに跳梁するという伝えもある。今の彼にとっての魔物はドアの向こう側にいる殺し屋なのだが。
「い、いつまで鍵ガチャガチャしてんだよ!た、のむから殺さないでくれぇ!」
家主はそんな悲鳴を上げながらアロンアルファで固定された両手でサムターンを一生話さないとばかりにがっしり掴む。普通の取っ手より小さいため全握力を注げるわけでは無いのだが、そんな細かいところにまで神経は届かなかったようだ。
ドアの向こう側――殺し屋は一回も手段を変える事無く、ずっとドアの開門ばかりを狙っている。反対側の窓を狙う事も台所にも窓はある。侵入経路は多々存在するのに、殺し屋は玄関の前だけに固執していた。家主からすればその方がありがたかったのだが。
だが、いつまでこの状況が続くのかは分からない。アロンアルファの効力を無視して無理矢理入ってくるのなら、彼はこの後ただの屍になるのだろう。
彼自身、明け方近くになれば退散するだろうと考えている。そのため、あと四時間ほどはこの状態を持続させる気はあった。仮に明け方になっても出て行かないようでも周囲が異変を察知してくれるだろう。
――なら何で今誰もこの状況に気付かないんだ?
本来就寝に入っている時間帯とはいえ、彼自身が発する謝罪の泣き声やドアノブや鍵穴を弄る音が連続的に発信されているのだから、誰か一人は気付いても良いのではないだろうか。憔悴しきっていた家主の頭にも、そのぐらいの事は考えられた。
だがしかし、殺し屋が来てからの数時間、周囲の人間が気付いた様子は無く、状態は両者共に動かないままだった。
鼻水やら嗚咽やらで酸素がいつもより吸収されない。両手はアロンアルファでがっちり固定され、身動き出来る範囲はかなり限られる。数時間程ずっと喋り続けた所為で口の中が乾燥し、水分を欲しがっている。自分で処置を取った部分を含め、地味な拷問だった。この後始末されるのだからこの程度でも許されるのかもしれないが。
そうして状況が進展しないまま、時間だけが過ぎていく。街路灯が灯る路地や道路には車が走行する音や酔った男の笑い声やら呻き声が映し出され、BGMとなって二人の鼓膜を打っていく。
ホトトギスの静かな鳴き声は伸也の街にゆっくりと広がる。人が見る夢を心地よいものに変えるかのように。
家主に安堵の息が漏れる事は無い。殺し屋がそんな余裕を与える筈が無いのだ。
しかし、明け方近くにもなれば嫌でも殺し屋は引き下がるしかないだろう。他人の家の鍵穴を弄るなど、日常的に言えば泥棒そのものなのだから。
この状況が長く続いている事に、正直少し気が抜けつつあった。殺し屋は一切の言葉を口にしないし、ドアが開けられる様子も無い。あまりの進歩の無さに、やがて相手を小馬鹿にするような感情が生まれてきた。
――日本の強度の硬さを知れってんだ。ピッキング程度じゃドアを抜ける事は出来ねえんだよ。
彼は殺し屋を振り切った後の事を考える。
まず、この街から逃げるのは確実だった。ドア越しの殺し屋一人なのか分からないが、それでも狙われるのは言うまでも無い。
――ひとまず平和そうな田舎町にでも行こう。……いや、実家に行くのもありか?再婚相手を殺してもらうとか。
極限状態と人間としての感覚が鈍った事を認めた事が合わさり、全てが自分中心となった家主は家族を巻添えにする事も視野に入れていた。
そして、さらに模索し続ける。
――この家は放置しても良いだろ。必要な物だけ持っていけば何とかなる。あれ、suica金入ってたっけ?
そうして持っていくべき物を自分の記憶を駆使して検索を掛けていると、新たな展開が発生して彼の意識は一気にドアの方に注がれた。
ドアを弄る音が途切れたのである。
――もしかして、諦めたのか?
そんな疑問が即座に浮かぶ。だが、それは無いとすぐに心中で否定の声を上げる。
数時間たっぷりドアの開錠に鍵穴を弄っていたのだ。変わっているといえばそれまでだが、あまりにも執念深すぎる。そこまで玄関から侵入する事に拘る殺し屋なんて、少し滑稽な気がする。
外から音が聞こえない。聞こえるのは静寂に生まれた「ぢー」という音と、鼻水を啜って肩をひっくひっくさせながら荒い呼吸をする自分自身の音だけだった。
自分の安否を確かめるべくドアスコープから状況を見ようとするも、両手がアロンアルファで固定されている上に、ドアの各辺全てにアロンアルファを付けていたため、それがドアに負荷を掛けるために押し寄せていた右足や服をも封じてしまっていた。故に今の彼はほとんどの部位をドアに接着してしまった状態なのだ。
――あぁちくしょう!無我夢中だったから後の事考えなかった!
これでは殺し屋が去ったのか確認出来ない。家主の中で危険ゲージはさらに高まり、再び鼓動の音が加速していく。
――そういえば、この前空き巣対策の番組見たな。
先程頭に浮かんだピッキングという言葉が過去の記憶を掘り返して、テレビでやっていた番組の事を思いださせた。
――あれ、いろんなやり方あるんだよな。ピッキングの他にサムターン回しとかバンピングとか……。
気持ちに余裕が出来た彼は、あの番組でやっていた空き巣の方法を頭の中で振り返ってみる。
――最近一番面倒なのが、溶解破綻だっけか?あれはヤバい。壊すわけじゃ無いから行動中すごい静かなんだよな。確か、鍵穴の中に無機酸の液体流し込んで……って、あれ?
そこで彼は一つの疑問にぶち当たる。それはとても単純で、とても自分の身が危険な事だった。
――まさか、今それやってるんじゃね?
「お、い……おいおいいおいおいおいおいおいおいおいおいおいいおおおいいいいいいい!!!」
安心しきった家主の脳がフル回転し、この場からの脱出方法を探す。
幸いここは二階なので、近くの木に飛び乗れば逃げれるし、この部屋にも何か探せば殺し屋に対応出来る物があるかもしれない。
だがしかし、アロンアルファが邪魔をしている。
「マジ困るから!誰か助けてくれ!死にたくねぇんだよおおおおおおおおおおおおお!!」
自業自得というべきか、どうやら彼の判断は後の動きを想定していなかったようだ。
街で噂される殺し屋の存在。ガチャガチャという音に血まみれのナイフ。
そして、これでもかという程に充血した殺し屋の目。これらは彼の中の危機感をさらに増幅させ、アロンアルファでドアを封じるなどという大人なら絶対やらないような単純で幼稚な行為に走らせたのだろう。
彼は最初の時点で殺し屋の策略通りに動かされていたのだ。
「悪かった!本当に悪かった!ちゃんと自首して償うから許してくれいや許して下さいお願いします!」
外からは静寂のみで、彼だけが騒いでいた。そこに恥辱を感じるわけでも無く、彼は泣きながらドアの向こう側にいるであろう人物に叫び続ける。拒否権が無いとばかりに無言の返答が続く。
――何が何でも逃げてやる!あっさり殺されてたまるかよ!
殺し屋へ訴えるのを止め、アロンアルファで固められた両手を自由にしようと奮闘する。しかし、ありったけのアロンアルファを使用して固められた両手はサムターンから離れようとせず、元々そういう物だったかのようにビクともしなかった。
「何で、何で取れねえんだよ!くそったれがぁ!」
苛立ちと焦燥が重なって彼を闇の淵へと陥れていく。こうして足掻いていられるのも時間の問題だというのには気付いていた。
もし溶解破綻という方法を使っているならば、シリンダー内の構造物はその名の通り溶解し、簡単に開錠してしまう。そうなれば、殺し屋にとって詰みも同然なのだ。
「こうなったら噛み千切ってやら、ぁ……」
まさに、チェックメイトだった。
ガチャッ、と。
開錠を表す軽快な音は今の家主にとって死刑宣告と同等であった。
「あ、あぁああ……」
ドアを押さえるために自分の体を使ったというのに、彼は殺し屋にドアを押されてもそれに対抗出来なかった。その拍子に今の彼は顔面蒼白で、魂がどこかに飛んでいるようだった。
そして、ドアの動きに合わせて接着された家主も扇形に移動される。そうして、彼はドアと靴棚の間に綺麗に挟まれた。
最後に彼が自らの意思で頭を動かして、その先に見た光景は――
血まみれのナイフとそれを握る血まみれの手。眼球を猛烈に真っ赤にさせながら仁王立ちする、殺人鬼さながらの姿だった。
*****
『ピッキングガール』と呼ばれる、裏社会に生きる殺し屋がいる。
依頼を受ければ完遂させるために対象を仕留める。漫画やアニメでも、そうした人物が登場する事は多々あるだろう。
『ピッキングガール』はその名の通り、ピッキングをして家に入り、対象を殺す。ピッキング等の技術に相当長けていて、他の侵入経路がある事に気付きながらも、何かプライドでもあるのか、決してそこから入ろうとしない。殺す時は必ず十回以上はナイフで対象を刺しまくるという噂もある。
どこまでが真実でどこからが偽りなのかは分からないが、そうした人物がこの街にはいるのだろう。
何故『ガール』なのかも分からない。呼びやすいからそう言われているのかもしれないし、本当に女性なのかもしれない。噂は一人歩きをして、時には尾ひれがついて人と人の間を出回るのだ。
ただ、分かっている事がある。
それは、狙った対象は確実に殺す事。そして、どんな犯罪だろうと絶対に許さない事。犯罪者が対象となれば、ナイフ突き刺し十回以上では足りないのかもしれない。
自分の事を思いきり棚に上げている話だが、この噂と実際に死体が発見される事が相まって、この街での犯罪件数は減りつつあるのも事実だった。
とはいえ、実際に殺人事件であるため警察は『ピッキングガール』の話題に敏感なのだが。
現在も完全な真相が明らかになっていない人口減少化。僅かな人数だが、謎の死体やいつの間にか消えていたという事に変わりは無いし、『ピッキングガール」の噂を含めると一理あったりする。
何より、消失した人間の半数が犯罪者だという面も含めると、この噂の信憑性が伺える。
どちらにせよ、『ピッキングガール』はこの街において何らかの歯止め的な役割を成しているのは間違いないだろう。
今日も、『ピッキングガール』は課せられた仕事を終わらせるために夜の街を蠢く。
そこに、一切の容赦をしない確実さを備えて。
一部ググりましたすいません。