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17-キボウ-

 結局その日は何も進歩がないまま終わってしまった。午後七時を過ぎた頃だろうか、彩里に言われるまで颯希はものすごく集中をしていた。急いで、ノートとペンを掴み穴の方に走る。


 ――滉は川から来たっていうから、川に飛び込んだらいいのかな


 そんな考えもよぎったが、どこに出るのか、本当にいけるのか分からない穴は飛び込まないのがいいだろう。

 外は、もう真っ暗で彩里に渡された松明がなければ迷子になるところだった。松明は意外に重く、炎が迫ってきているように熱く、焦った。地図を見ながら、根元に戻る。そのまま、穴に飛び込んだ。


 穴の中ではやはり、空を飛んでいるような気分だった。


***


 学校に戻り、急いで帰った。ヴィパルではまったくと言ってよいほど汗をかかなかったのに、学校に戻った瞬間、汗がどっと出た。長袖、長ズボンのジャージを着ていたのでたまらずに脱ぐ。半袖が心地よいが、中のTシャツは身体にべたついた。


 歩いて二十分程度ある家まで、あまり時間がかからなかったように感じた。ずっと、亜妃のことを考えていたからだろう。早く歩くことを心掛けていたのも、その要因にあったかもしれない。


「ただいま」


 と言い、真っ先にお風呂場へ向かった。ヴィパルから帰ると襲ってくるあの眠気が颯希を支配しようと迫っていたからだ。


「おかえり、颯希。遅かったね」


 母親の声にぼんやりと頷きながらしかしちゃんとノートは握ったまま歩く。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お久!」


 テンションの高いユウを見てげっそりした。それは顔に出ていたようで、ユウのテンションが明らかに下がった。


「お姉ちゃんは疲れてるの、眠いの、風呂に行かせて」


 言い聞かせるように、払いのけるように手を動かしそのまま風呂場のドアを閉めた。

 ドアにもたれかかるようにずるずる滑り落ちて着地した時はもうだめだった。初めて行ったときはノートに文字を書けるだけの体力が残っているのに、なぜだ。

 遠くで、母がご飯食べる? と叫んだ。あまり腹は減って居なかったので食べないと叫び、頑張ってシャワーを浴びる。


 浴びている途中、やはり、背中に傷はあった。



 浴び終え、ジャージもろとも洗濯機にぶち込んでから颯希はおぼつかない足で階段を上った。

 部屋に入り、ノートをきちんと仕舞い、ドアを閉め、鍵も付けてからベッドに横たわった。部屋の中はムワッ

と蒸し暑かったため、きちんとクーラーをつけた。涼しい風が部屋に満たされていく中、颯希は眠りについた。


***


 目を覚ました颯希は、やばいと思い飛び起きた。何と時間が九時を回っていたのだ。着ていく服に悩み、やはり動きやすさ重視でジャージにしようと思ったが昨日のジャージは洗濯中だろうし、学校のジャージは特注だから高いし、とあーだこーだ悩んでいるうちに三十分を回りかける。適当に有ったジャージに着替えノートとペン今回はさらに時計を入れ、いつか百円ショップで買ったトートバックの中に放り込み家を飛び出た。

 部屋の隅にある仏壇の写真を見た。一昨日『貴族・アンフォッシ家~王族との関係~』に載っていた家系図の写真と同じもの――否、少し年をとった写真が飾られている。

 少し考え、颯希は母に告げた。


「二泊三日じゃなくて四泊五日になったから! てか、いろいろ旅するんでしばらく連絡取れないよ」


 そして返事をさせる暇もなく一方的に告げてから颯希は慌ただしく出て行った。

 ちなみに、その後ろ姿に母は


「なんでいつもジャージなのかしら」


と呟いたそうだ。


***


 一気に学校まで駆けだした。暑い日差しがじりじりと肌を焼く。夏は嫌いだー ! と思いながら全力で駆ける。

 神木の前に立った時、颯希の息は切れ切れだった。汗をたっぷりかき、首筋は汗で髪がべっとりとくっついていた。流れ出るそれを拭きながら颯希は座り、目を瞑った。途端に、ぐっと引き寄せられるような気がして目を覚ます。毎回、これには慣れなかった。


***


 ヴィパルにつくと、清々しい空気が流れていた。出ていた汗が引き風が吹くと少し寒かった。ジャージの上を着てもちょうどいい気候だった。


 ノートに挟んであった地図を開き、颯希は王宮(おうきゅう)の場所を確認した。やはり、この地図で見る限り、王宮はヴィパルのど真ん中に位置していた。図書館からはさすがに遠い。ここはどうやら東の端のようで何度確認しても、王宮までは千キロ以上あった。これは歩いたら絶対につかない距離だな。


 ほどなく図書館に到着すると、彩里たちの姿があった。いつもの部屋ではないことに驚いて駆け寄る。


「彩里、いつもと同じじゃないの?」


 彩里は、颯希に笑いかけ言った。


「今日は、王宮に行って亜妃にわたし達のことを気付かせるための日よ」


 どうやら王宮に行くようだ。後ろに亮と滉もいて滉は文句を垂れている。


「何で俺まで」


 彩里は滉の頭を軽く叩き、滉は不意の攻撃によろめいた。


「いいわよ別に、ここにいれば。一人で」


 最後の一言が効いたのか、彩里の凄味に押されたのか滉は何度もうなずいた。


「じゃあ、行くわよ」


 彩里が言い、四人は図書館を出た。


***


 彩里から聞いた移動手段は、途中まで歩き途中から馬車、ということだった。亜妃の現場には馬車らしきものもあったし、そういう文化があるのは知っていたが王宮近くだけかと颯希は思っていた。ただ、図書館付近はかなり田舎のようで――図書館があるのは王の配慮だとかなんとか彩里が言っていた――馬車がある町まで歩いていかなければならないそうだ。ただ、そこまでが約十キロ以上。滉の顔から明らかにやる気が引いていった。それでも何だかんだついて来てくれるのだから、いい奴だ。


 歩いても、歩いてもずっと草原が続くヴィパルの景色に飽きた颯希は何かを話そう、と思った。ここにいる三人がいつここに来たのか、亜妃のも含めヴィパルと地球についてのちょうど良い情報収集に役立てようと思ったのだ。


「ねえ、三人に聞きたいことがあるんだけど」


 三人は振り向き、何事かと颯希を見る。亮が頷いたので、それを言えという合図だと受け取った颯希は


「こっちに来ちゃったわけ、教えてよ」


 と言った。


「俺パス」


 真っ先に言ったのは滉だ。少しむかついて、何で? と聞いた。


「言いたくないから」


 至極まっとうな答えで、というかそれを言われたらもう聞けない答えだった。


「……何よ別に、滉の不注意で誤って川に落ちたんじゃないの? それぐらいのこと」


 彩里の話を聞き、颯希なりに解釈をしてみた答えだ。

 ただ予想外だったのは、颯希にそう言われた瞬間、滉の手が颯希の頬の横にあったことだ。慌てて、しかし空手で培った反射神経でその手を弾き、打たれるのは逃れる。滉の顔が何とも言えないような悲しみに覆われていた。びっくりした颯希は謝ろうとするが先に滉に謝られる。


「ごめん」


 聞いてはいけないことだったようだ。滉はそう言うとそれからしばらく、颯希たちとは離れて歩いた。

 今の行動に呆然とし、その場に止まってしまった颯希に合わせ彩里と亮も止まった。


「ごめんね」


 彩里に謝られる。


「あの子はそっとしといてね」


 お母さんのような響きで無条件に安心した。謝らなければいけないのはわたしなのに。と、少し反抗してみたり。

 もしかしたら、滉が彩里を慕う理由はここにあるのかもしれない。なら、さっさと地球に戻り本当のお母さんに会えばいいのに。少し腑に落ちない感じがして颯希は歩きだした。


「彩里と亮は教えてくれる?」


 そう聞くと、良いという返事が返ってきた。滉は颯希たちより五、六メートルぐらい後ろにいる。


「じゃあ、彩里から。どうぞ」


 彩里はニコリと笑い言った。


「そんな大層なものじゃないわよ? いいの?」


 颯希は頷いて、彩里の話を聞いた。彩里は息を吸うと思い出すように語り始める。


「わたしは、神谷(かみや)彩里っていうの。本当はね」


 苗字はやはり持っていて、日本人なんだと思い知る。


「六年ぐらい前かな。高校に上がる直前、中学校の仲のいい子達と春休み遊んでいたのよ。途中からバカみたいにはしゃいで草むらの中で隠れんぼをして遊んでいたの。

 で、柄にもなくかくれんぼをしていてその時みつけた、ぽっかりと空いた小さな洞穴の中に一人で入って行ったの。足音が聞こえたから、目を瞑って、息を凝らして小さく縮こまって見つからないようにってね。

 しばらくして、何も聞こえなくなって、ああ行ったと思って目を開けたらそこには草原なんてものはなかったわ。乾いた地面と、荒々しく流れる川があったの。驚いて、また穴に戻って。目を瞑ったけど元には戻れなかった。…………颯希、あなたと違ってね」


 目を見張った。颯希は行き来できる。ヴィパルと、地球をだ。だが、彩里はできなかった。颯希ができることに驚かずに、見送ってくれたのは彩里だ。優しいと思った。もしかしたら、ここにいる三人、きっと亜妃も地球に戻りたくても戻れないのかもしれない。そしたらみんなは、なぜ颯希を疑わず、颯希を素直に送れたんだ。亜妃はなぜ、颯希が地球を行き来できることを知っていたんだ。


「……そう、なんだ」


 思いながらつぶやく。自分ができるからって、みんながみんな、戻れるわけではないのだ。滉に誓いを立てたとき、滉は優しく見てくれて聞いてくれた。もしかしたら、滉も戻れないかもしれないのに、だ。押し付けていた自分が、途端に恥ずかしい。


「でも、ま、わたし達はあなたにいろいろなものを少なからず託している」


 彩里が言った。まだ続いていたのだ。亮も滉も、もちろん彩里も、顔は見えない。


「あなたは、わたし達の前に現れた救世主よ。最初で、そしてきっと最後の」


家族出てきた~

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