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FIRE×BRAND  作者: 水那月
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第1章【炎の魔術師】 2

 さらさらと清らかな水が流れる川のほとりに、若い娘がいた。娘は屈み込んで用意してきた桶いっぱいに水を汲み、次いで手のひらに水を掬って口へと運ぶ。上流の水は綺麗で、こうして口にしても害は無い。山奥に一人で暮らす娘にとっては、宝を独り占めしているようなものだった。

 娘の風貌は、一言で言えば“地味”だ。栗毛のおさげに時折ずれ落ちる眼鏡をかけた、小柄で細身、顔の造りも十人並の娘。眼鏡を取ったからと言って美少女に変身する事もなければ、着飾ったからと言って変貌することもなさそうだ。

 しかし瞳の色は珍しかった。時に燃え上がる炎のように、時に生きとし生ける者の肉体を流れる血のように、鮮やかで華やかな真紅。それだけが彼女の持ちえる宝と言っても過言ではない。

 娘の名はイグネア=カルブンクルス。このベルグ山で一人暮らしをして二年になる。

 こんな山奥に若い娘が一人住むなど物騒で不便と思うだろうが、誰も足を踏み入れないからこそ逆に安全だし、必要なものさえ手に入れば不便ではない。山といえば茸に野草に木の実に果物、腹を満たせる物は勝手に取れるし、ちょっと散歩に出かければ、ふもとなんかよりも全然清らかな水が入手可能だ。人目を忍んで生きているのだから、この生活を苦痛とも思わないし、むしろ足腰も鍛えられて一石二鳥である。

「そろそろ戻ろう」

 立ち上がり、イグネアは小さな城である山小屋を目指して歩き出した。今日も一日が無事平穏に過ぎますように――。

 と、呑気に願っていたのだが。


 ――な、なぜっ?!

 なぜ私の家に人がいるのだろうか。少し離れた場所で木陰に身を潜ませつつ、イグネアはこっそりと様子をうかがっていた。

 普段は人気どころか動物気すらないこの近辺であるが、不穏な空気の変化を見せていたので様子を探ってみると、見知らぬ男が二人ほど小屋の周囲をうろついているのだ。

 山登りで道にでも迷ったのか、物取りか……それにしては身なりはしっかりしている。多分、目的を持って訪ねて来たのだろう。そうでなければ、腰に剣を装備した男など現れるはずがない。その目的が、まさか自分ではなかろうな……しかし、わざわざこんな所まで来るとなると、その可能性が滅茶苦茶高い。

 男達はどうやら若者らしい。一方の金色の方は、腰に剣を携えている事から判断して恐らく剣士か騎士だろう。もう一方の銀色の方は、間違いなく魔術師だ。瞳の色を確認すれば何を扱うのかわかるが、この立ち位置からでは後姿しか見えないために判断できない。

 とにかく相手が何であれ、人間と係わり合いにはなりたくないのだ。だからわざとこんな山奥で暮らしているというのに。しかしずっとこんな木陰から様子を伺っていては埒が明かない。というか、私の家なんだから帰りたいのだ。

 どうしたものか……と考える事数分。前方にばかり気を取られていたイグネアは、背後から近づく気配に全く気付いていなかった。

「こんにちは」

「うひゃあああ!!」

 何とも情けない悲鳴が木霊し、驚いた鳥たちが一斉に飛び立っていった。

 唐突に声をかけられて振り向くと、先ほどまで小屋の周辺をうろついていた男の一人が立っていた。柔らかな金の輝きをまとったきらめく美青年は、笑顔を浮かべながら興味深そうにイグネアを見ていた。

「紅い瞳、本物だ。ねえ、君があの小屋の住人かな?」

 小柄なイグネアに合わせるように軽く腰を屈め、黄金の瞳が顔をのぞきこんで来る。イグネアは咄嗟に顔を逸らし、無言のまま逃亡を図った。さっと身を翻して脇に飛び出すが、今度は冷ややかな銀の輝きをまとう繊細顔の美青年が道を塞いでいた。

「人の質問にも答えず逃亡とは……ずいぶんと無礼な女だな」

 蔑むように凝視する青碧の瞳は、強い魔力を秘めていた。

 ――水の魔術師だ。

 魔術師同士は、わざわざ確認を取らなくても瞳に秘めた魔力を感じて互いに認識する事ができる。まずい、瞳を見られたらばれてしまうではないか! イグネアはさらに顔を伏せ、銀色の青年も無視して一心不乱にその場を走り去った。

「あっ、逃げた」

「チッ……ちびのくせして逃げ足の速い」

 娘の逃亡速度は、怯えた小動物のそれに酷似していた。

「どうする?」

「足止めする」

 追いかけつつ、ヒュドールは二本の指を使って宙に印を切った。

 狙うは桶の水。深海を思わせる青碧の瞳が、ぎらりと妖しい光を放った。


来たれ、氷の槍(ライ・ジェロ・ランツェ)!」


 途端、周囲の温度を急激に下げて桶の水が氷結し、まるで鋭利な槍のように尖った氷が飛び出してきてイグネアの腕を掠めた。明らかな脅しであるため怪我をするまでには至らなかったが、驚いたイグネアは当然桶を放り出し、真紅の瞳を見開いて滝のような汗を流した。

 ――こ、殺される?!

 何でいきなりこんな目に遭わねばならぬのか。お願いだからもう帰ってくれ。そんな思いを必死に抱きつつも走る速度を速め、イグネアは小屋の中に飛び込んでがっちりと扉を閉めた。

 扉を背にしてもたれ、荒く呼吸を繰り返す。一体あいつらは何者なのだ。この私に何の用があるというのか。っていうか、いきなり魔術を食らわすとは、無礼なのはどちらだ!

 憤怒と焦燥を抱きつつ、真紅の瞳が窓際で咲き誇る花を見遣った。住人の瞳の色をそのまま吸ったかのように鮮やかな真紅の花びらを持つ花は、次瞬、自ら首をもたげて短い命を絶った。

 【早朝に摘んだ花が折れると不吉な事が起こる】なんていう迷信を聞いた事がある。あの花はまさに今朝摘んだものだ。しかも珍しく「綺麗だな」なんていう色気心を出し、ちょっと無理をしてまで取ったというのに。

「なんと不吉なッ!」

 これは悪夢か。なんか嫌な事が起こりそうだ。なんか面倒な事に巻き込まれそうだ。なんか……これまでの地味な人生を覆すほどの、私的大事件に陥りそうだ。

 そしてイグネアは、扉を叩く音で我に返った。


「ここ、開けてもらえませんか?」

 甘めの声質からして、恐らくこれは金色の方だろう。だがイグネアは(バレバレな)居留守を使った。絶対に開けるものか。

「いきなり現れたうえに驚かせて申し訳ない。我々は国王陛下の勅命を受けてやって来たのです。少しだけ、話を聞いて下さいませんか?」

 何度も繰り返される穏やかな問い。けれどもイグネアは頑として扉を開けなかった。

 それが効を奏したのか、しばし沈黙が続いた。扉に耳を当てて外の声を聞き取ろうとするが、話をしている気配がない。しばらくすると遠ざかってゆく足音が聞こえた。どうやら諦めて帰ったらしい。

 イグネアはほっと溜め息を吐き、床に座り込んだ。全く朝から何だというのだ。彼らのおかげで折角汲んできた水はなくなってしまったし、魔術は食らうし、散々ではないか。私が何をしたというのだ。

 それにしても、国王陛下の勅命とは……何でそんなものが下ったのか。生まれは違うが、一応スペリオルの国民としては、この事態を受け入れなければならないのだろうか。いやいやしかし、ひたすら地味に生きてきたこの私に、国王が一体何用か。もしかしたら嘘かも知れない。でも本当かも知れない。こんな険しい山を登ってきてまで、わざわざ嘘は言わないだろう。

 様々な思案をめぐらせつつも、彼らが本当に去ったのかどうか確かめるため、仕方無くイグネアは扉を開ける決意をした。極力音を立てぬよう、慎重に、静かに、ゆっくりと、恐る恐る押し開き……そして、わずかな隙間を作ったが最後、すかさず足を突っ込まれ、扉はあえなく全開した。というか、させられた。

 銀色の輝きをまとう美青年が、見事な足技を披露し、扉を蹴り開いたのだ。

「俺達を無視すれば、アンタは反逆罪に問われるぞ」

 膝をつき、ずれ落ちた眼鏡そのままに呆然とするイグネアを、青碧の瞳が冷ややかに見下ろしていた。


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