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FIRE×BRAND  作者: 水那月
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第2章【紅蓮の魔女】 6

 ベルルム大戦終結から約千年――あまりにも長い時を生き過ぎたおかげで死への恐怖は薄れたが、どのような死を迎えるのか、という点については常々興味があった。眠ったまま? それとも全身を焼かれて? 考えているうち、もしかしたら真実を誰かに話されしまうかも知れないという深刻な状況であるにも関わらず、イグネアはしっかり爆睡してしまった。なんとも呑気である。

 しかしその考えは単なる危惧に終わった。あの白銀の魔術師様は口が固いらしく、夜を越えても一向に何も起こらず、イグネアはいつものようにまったりのんびりとした朝を迎えたのだった。

 そんなイグネアの元に意外な客が現れたのは、午前の早い時間だった。ノックされた扉を開けてみると、そこにはすらりと背の高い美人が立っていた。


 見晴らしの良いテラスに置かれた丸テーブルを挟み、二人の少女が座っている。一人はおさげに眼鏡の冴えない【炎の魔術師】、そしてもう一人は輝く金髪と深海色の瞳を持つ【水の魔術師】だ。テーブルの上には真っ白なティーセットが並べられている。女官がやってきて(イグネアの許可もなしに)手際よく用意していったのはつい先程のことだ。

「お加減はいかがかしら?」

 自ら用意してきたお茶をすすりつつ、美人の魔術師――オーゼラは、嘘くさいほどの笑顔で問いかけた。どこかでイグネアが落馬した事を聞きつけたようで、それで心配して来てくれたのだ(と本人は言っている)。しかもご丁寧に、お見舞いとしてお気に入りだというお茶を用意してくれたらしい。聞いただけなら甲斐甲斐しく思えるが、本人を見てみると何か違う目的がありそうな雰囲気が漂っているような、いないような。

「幸い怪我はありませんでしたよ」

「それは良かったわ。他国からのお客様に何かあったら大変ですもの」

 ずれ落ちた眼鏡を正しつつイグネアが応えると、オーゼラは満面の笑みを返した。やはり元がいいので笑顔も美しい。

 ふいにオーゼラが首をかしげた。イグネアがお茶に口をつけていない事に気付いたらしい。

「あら、飲まないんですの? せっかくお見舞いに、と思って淹れてきたのに……」

「え? ああ、いただきますよ」

 ほんのり寂しげな表情を向けられ、イグネアは慌ててカップに口をつけた。湯気と共に立ち昇る香りは甘めで、しかも強めだ。こうした飲物だけでなく、酒に至っても“現代”のものは味が濃くてどうにも馴染めない。

 実のところ飲食を一切せずとも生きてゆけるのだが、まあこういう場合は致し方ない。少しだけ口に含むと濃厚な甘みが広がった。同時に舌先に微かな刺激を感じたが、大して気にもしなかった。

 それにしてもこれは相当甘いぞ。しかし、せっかく親切で用意してくれたのに不快な顔をしてはいけない。心中で激しく格闘しつつ、イグネアはなんとか口に含んでいたお茶を流し込んだ。

「美味しいです、ありがとうございます」

 実は大して味などわからないのだが、イグネアが愛想よく笑顔を返すとオーゼラは嬉しそうだった。そういう所は普通の娘と何ら変わりなく、危険度は低い。が、すぐさま笑顔を曇らせ、今度は落ち込んだ表情を見せた。

「この間はごめんなさいね。わたし、あなたにひどいことをしてしまって……」

 はて、この間とは? と先日のことをすっかり忘れていた(というかすでに無かった事になっている)イグネアだったが、数秒考えて思い出したのか何度も頷いた。

「いえいえ、全然気にしてませんから」

「ありがとう。このお茶はわたしのお気に入りで、ゴルドの娘達の間でも人気が高いのよ。仲直りのしるしにどうかと思っていたけれど、お気に召したようで良かったわ。今日はゆっくりしてちょうだいね」

 先日の一件を気にしていたのか、オーゼラはほっと溜め息を吐いていた。

 初対面は「すごいことを言う人だ」という印象だったが、なかなかどうして、気の利く良い娘ではないか。きっとあれはヒュドールを想うがゆえの(少々行過ぎた)行動なのだろう。ふむふむ、と一人納得しながら頷いていると、オーゼラは立ち上がり、手を振りながら退室していった。


 その後、イグネアはしばらく一人テラスでまったりしていた。まだ少しだけ昇る湯気と共に濃厚な甘い香が広がっている。これをお気に入りという彼女は相当な甘党なのだろうか、お茶というよりむしろ砂糖を飲んでいるような感じだ。

 それにしてもこれは全て飲むべきか、やめるべきか……カップを凝視して考え込んでいるイグネアに、いつの間に現れたのか別の来客が声をかけた。

「カップ眺めて何してるの?」

 顔を上げると、そこにはイグネアの不審な行動に苦笑するリヒトが立っていた。優しく降り注ぐ太陽の光に蜂蜜色の柔らかな髪を輝かせ、まるで自身が光のようである。

 しかしこいつはノックもなしに入室してきたのか。自分の部屋に戻ってきたようなこの無遠慮さは失礼ではないのか。これでも一応女子の部屋なのだから気を使えと言ってやりたかったが、言ったところで改善されそうになかったのでやめておいた。多分、女子と思われていないのだろう。別に構わないが。

「元気そうだね。怪我はないって聞いたけど、本当に大丈夫?」

「このとおり何ともありませんよ。ご心配をおかけしました」

「それなら良かった。女の子に傷が残ったら大変だからね」

 ヒュドールから聞いて心配していたのだろう。美麗な顔が華やかさの中に安堵を交えてやんわりと微笑んだ。その、ちょっと隙のある笑顔は何となく輝かしい(と普通は見えるのだろう)。一般的な娘ならば頬を赤らめて見惚れそうなものだが、残念な事にイグネアには通用しなかった。

 とはいえ、リヒト自身も意識してやったわけではないらしい。いつもの営業用スマイルとは明らかに種類が違っていたが、それを判別できるのは恐らく彼の相棒だけだろう。

 リヒトはイグネアの正体については知らないようだ。まあ、こうして生きている時点でヒュドールが誰にも話していないと判断できるわけだが、呪いのおかげで無傷であることも、どうにか誤魔化して伝えたのだろう。

「もし大怪我して傷が残ったら、俺がもらってあげようと思ってたのに」

 と、いつの間にか(勝手に)向かい側の椅子に座っていたリヒトがにっこり微笑んでいた。視線には、周囲に漂う香りなど吹き飛びそうな甘さが浮かんでいた。今度は思い切り狙っての発言だったのだが……

「は? 何をもらうんですか?」

 ずれ落ちた眼鏡を正しつつ、イグネアは大真面目に聞き返した。落としてからどうも眼鏡の調子が悪く、いつにも増して正す回数が多い。その様と全く意図を理解していないイグネアに、リヒトが苦笑したのは言うまでもない。冗談で言ったから本気にされても困るが、相変わらずこういう話題は普通に通じないらしい。

「お嫁にもらってあげようかと思ってた、ってこと」

「はあ?」

 イグネアは遠慮無しに渋い顔をした。この人は一体なにを言っているのだろうか。呪いのおかげで傷が残らないから絶対に有り得ないものの、たかが怪我したくらいで嫁にもらわれてはこっちが困るではないか。だいたい、それくらいで何とも思っていない相手を嫁にもらおうとするリヒトの脳内が不思議でたまらない。そんな考えが思い切り顔に出ていたらしく、リヒトはちょっとつまらなそうにしていた。

「ずいぶん失礼な顔をするんだね。この俺が嫁にもらってあげるなんて言ったら、世の女性は涙を流して喜ぶっていうのに」

「はあ、そうなんですか。それはすごいですね」

「そうなんですかって……昨日は名前を呼んでくれたから、君もやっと俺の魅力に気付いたのかと思ったんだけどな」

 どうして名前を呼んだだけでそういう結果になるんだろうか。イグネアは理解に苦しんだ。相変わらずすごい勘違いだ。

「……あなたの脳は素晴らしく直結型なのですね」

「全くだな。そのナルシスト精神は死んでも治らないだろうが」

 二人きりだったはずのテラスにいきなり別の声が聞こえ、イグネアとリヒトは同時に声の主に視線を集めた。腕組みをしつつ壁にもたれつつ眉をひそめていたのは、優しく降り注ぐ太陽の光を受けて銀色に輝く不機嫌な魔術師様だった。というか、こいつもノックなしに堂々と入室してきたのだろうか。コンビ揃って失礼である。

「宰相から伝言だ。帰路のことでお前と話がしたいそうだ」

 何しに来たの? という二人の視線を受けてヒュドールが応えると、リヒトは肩をすくめて立ち上がった。

「やれやれ、せっかくの二人の時間に邪魔者登場だ。仕方ないからあとはお前に譲るよ。頑張ってね、我が麗しの相棒よ」

 意味不明に“あと”を譲った相棒をヒュドールは睨み飛ばしたが、リヒトは微塵も気にせずに行ってしまった。



「……おぬし、言わなかったのだな」

 リヒトの姿が見えなくなったのを見計らい、イグネアが口を開いた。言葉は先程と違って“プレシウなまり”に変わっていた。

 真紅の瞳がちらりと見上げると、軽く視線を合わせたヒュドールは大変迷惑そうな顔をしていた。

「アンタは俺を罪人にするつもりか? アンタの正体が何であれ、今はスペリオルの“国力”だ。そんな人間を殺したら、英雄どころかこっちが大罪者になる」

 あっ! とイグネアは声を上げた。言われてみれば確かにそうだ。国力うんぬんは別にしても、こうして世にさらされてしまった今、消えてしまったら逆に騒ぎになってしまうではないか。そのうえ誰もイグネアの正体を知らないのだから、まさにヒュドールが勝手に殺人者になってしまうだけだ。

「そんなことは全然考えてませんでしたって顔だな。全くいい迷惑、こっちが呪いをかけられた気分だ」

 反論の余地もないほどごもっともな意見である。不慮の事故とはいえ、知ってしまったヒュドールだって困惑していることだろう。しかし……

「ようやく終われると思ったのだがな」

 ぼそりと呟いたのは正直な心だった。こうなってしまった今、イグネアの生死はヒュドールにかかっている。彼が秘密を洩らさない限り、この先も延々と生き続けなければならない。たとえばヒュドールが先に死んでしまったら、それこそ世界が滅んでも何でも一人生きていかなければならないのだ。さて、どうしたものか。

「ひとつ、聞いていいか」

 うーんと考え込んでいたイグネアははっと我に返り、顔を上げた。

「いいぞ」

「さっきまで普通に喋っていたくせに、なぜ俺にだけそんな年寄り臭い話し方をするんだ」

 年寄り臭いとはなんと失礼な。これこそ魔術師達の聖地【プレシウ】に生きていた証であり、何よりの誇りだというのに。まあ今どきの若造には、滅びたプレシウの価値など微塵もわからないだろうから仕方ないが。

「おぬしは知っているから別にいいかと思って。プレシウの魔術師はみなこういう話し方だったぞ。この方が楽なのだ」

 言動だけでなく、これでは本当の年寄りっぽい。しかもこんな年寄り口調の人間がうじゃうじゃいた世界なんてあまり想像したくない、などとヒュドールは心中で考えていた。もうこうなったら千年も前の人間だから……と割り切るしかないだろう。

 なぜこんなに色々と受け入れてしまうのか自分でも不思議だが、目の前に広がるものは全て真実なのだから仕方ない。物分りが良すぎるというか、現実主義もいいところだ……と、ヒュドールは疲れた溜め息を吐いた。

「もうひとつ聞いていいか」

「なんだ?」

「さっきからこの濃厚な香りを漂わせている、そのカップの中身は一体なんだ」

 青碧の瞳が不愉快気に細められた。たしかにヒュドールの言う通り、冷めてしまっても濃厚な香りは留まる事を知らないらしく、その辺に漂っている。

「これか。これは“例の彼女”が用意してくれたものだ。どこで聞いたのか落馬したのを知っていてな、心配してくれたらしい。見舞いと言っていたぞ。なかなか良い娘ではないか」

 うんうんと感心しつつイグネアは頷いていたが、ヒュドールはますます不審感を募らせていた。あの女が何の意図もなくそんな事をするはずがない。しかもこの濃厚“過ぎる”香り……非常に気になる。

 ヒュドールはテーブルまで歩み寄り、ティーポットを掴むと未使用のカップに中身を注いだ。液体と共に甘い香りが流れ出す。ポットを置くと今度はカップを手に取り、じっくりと嗅ぎ分け……ヒュドールは眉を吊り上げた。

 ――あの女、やりやがったな。

 こんなに濃い香りがする理由がわかった。微かに残る薬品の匂いを誤魔化そうとしているのだ。あまりにも不自然な香りだが、現代の食生活に疎いイグネアは気付いていないのだろう。

 だが愚鈍な小娘は騙せてもこの俺には通用しないとばかり、ヒュドールは手にしたカップをテーブルに叩きつけた。その衝撃で液体が溢れ出して飛び散ったが、微塵も気にせずに青碧の瞳がぎろりと睨む。睨まれたイグネアは反射的に怯んでいた。

「これを飲んだ時、何か気になる事はあったか? 匂い以外で」

「気になる事? そうだな、相当甘いと思ったな」

「それ以外でだ!」

 何をそんなに怒っているのか。だいたい匂い以外でと言ったのは自分ではないか……と怯みつつ、そういえばとイグネアは思い出した。

「少し舌先がヒリッとしたな。茶の苦味かと思ったが」

 言った途端、ヒュドールは遠慮もなしに舌打していた。

 イグネアはスペリオルが(勝手に)誇る魔術師だ。殺してしまえば問題になる。だが何かしら嫌がらせをすることは十分に可能だ。数年前と手口が同じという辺りに学習能力のなさが伺えるが、なんと稚拙で愚かな女なのだろうか。同じ魔術師として恥ずかしい。

「アンタが受けた呪いは何にでも有効なのか? たとえば毒を飲んでも死なないとか」

「ど、ど、毒?!」

「いいから答えろ」

 いちいち大袈裟な反応をするイグネアに、ヒュドールはうんざりした表情を浮かべた。

「自害を許されないくらいだからな。外傷は負うが、毒物関係は【万能薬エリキシル】のおかげで無効になる」

 などと言いつつ、イグネアは懐から茶色の小瓶を取り出して見せた。以前ヒュドールには見せたが、何を隠そうこれが【万能薬エリキシル】である。これのおかげで病気知らず、そのうえ毒物を飲んでも平気なのだから有難い代物である……刑罰アイテムであることを除けば(ちなみにコレは拷問によく使われていた)。

 それを聞いたヒュドールはホッと溜め息を吐いた。そして吐いたそばから何で安堵しているんだと不可解になった。これは違う。別にこの小娘を心配しているのではなく、命を掌握している立場として、他人に勝手をされると何だか気に食わないだけなのだ。そうだ、きっとそうに違いない。というか毒を盛られても死なないと本人が言っているのだから、心配も安堵も全く微塵もこれっぽっちも必要がないのだ。などとヒュドールはブツブツ独り言を呟いていた。

「? 何をブツブツ言っているのだ」

「うるさい。アンタには関係ない」

 青碧の瞳にぎろりと睨まれ、イグネアはまたしても怯み、なんとも不恰好な状態で固まっていた。そんな彼女は置き去りにし、ヒュドールは怒った様子でさっさと部屋から出て行ってしまった。イグネアがかの有名な【紅蓮の魔女】という事実も、もはや関係なくなっているらしい。いい度胸である。

 それにしても、匂いを嗅いだだけで何かが混入していると判断できるヒュドールはすごい。過去の事件がトラウマとなっている証拠だろうが、潔癖ぶりもあそこまで行くと天晴れ、もはや特技と言っていいだろう。テラスに一人取り残されたイグネアは、魔術師ではなく探偵か何かに転職した方が良いのでは……などとおせっかいな考えを抱いていた。


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