Episode 02 嘘と秘密
どのぐらいたったころであろうか。
ちょうど夢という名の湯船に脚を入れかけたとき、背中に激痛が走った。
この痛みは以前にも体験した覚えがある。
プールでよく体験する痛みだ。
ワイシャツ1枚の力はつくづく大きいと実感することができたが、やり場のない怒りが後ろの席へと向かう。
振り向くと、そこには修が無邪気な笑顔で座っていた。
脚を組み、手を頭の後ろに回し、椅子の背に深くもたれかける様子は、いかにも偉そうに見える。
「おさむ? 俺の睡眠を妨げるってことはどういうことか知ってるよな?」
ふと時計に目をやると、昼休みの半ばを過ぎたぐらいであった。
教室前方ではクラスの女子が夏らしく怪談話で盛り上がり、教卓の前ではいつものように委員長が前の時間の質問をしている。修が後ろの席に座っている以外は、いつもとなんら代わりのない様子が広がっていた。
背中に季節はずれのもみじを作られるだけでなく、十五分程度の睡眠しかえられなかった俺は最高に不機嫌だ。寝起きすぐの半開きの目で修を軽く睨みつけた。
しかし、そんなことお構いなしに修は笑っている。
修の変わらない無邪気な笑顔で、俺は拍子抜けしてしまった。
なんだかんだ言って憎めない奴だ。
「まあ、落ち着けよ。面白い話があるんだぜ?」
不意にそう切り出すと、修は人差し指で俺を手招きした。
「何だよ。普通に言えよ」
「この話はちょーっとトップシークレットなんだ。ちょい耳かせや」
修の焦らす癖は正直嫌だ。
さっきの怒りも完全に収まったわけではなかったし、修の行動は癪に障るものだった。
しかし、どう考えても面白いことというのは、さっきの女の子との会話のことなのだろう。
そう考えると、どうしても修の誘いを拒否することはできなかった。
あの出来事がどうしても頭から離れない俺は、徐に修の口へと耳を運んでいく。
「日曜の午後6時に校門の前集合だ。いいな?」
そう耳打ちすると、俺を冷やかすかのように俺の肩を強く二回ほど叩いた。
俺の意にまったくそぐわない返答に、一瞬困惑した。
「は? それだけか? もっと詳しく教えろよ」
「あせるなよ。詳しい話は日曜の六時だ」
そう言うと、修は俺の心情を覗き込むかのように俺を見める。
俺の不満そうな顔に満足したのか、また口を開いた。
「わぁーたよ。もうひとつビックニュースだ」
「なんだよ。言う気あるんだったら早く言えよ!」
「聞きたいか?」
「当たり前だろ。焦らすのもいい加減にしろよ」
修の焦らしはいつものことであるが、睡眠不足で頭がうまく回らないせいか、いつもより気が高ぶっているのが自分でもわかった。そのせいで、もどかしさがつい強い言葉になって現れてしまう。
「今日は一段と期待通りの反応だな」修が冷やかすように言う。
「話す気ないんだったら俺は寝るぞ」俺の我慢も限界に達していた。
さすがにその気配を察知したのか、修が切り出す。
「まず、一つ目だ。お前の大好きな馨ちゃんがくる」
「おい! ばっ…回りに聞かれたらどうすんだよ。俺が馨ちゃんのこと気になってるって、女子にでも聞かれたら厄介だろ!」
そう囁くような小声で修に釘を刺した。殺人者が犯行現場を目撃されていないか確認するかのように回りを見渡す。
左から後ろへと首を回していくが、みな自分たちの話に夢中になっていて、こちらを意識しているようには見えない。
映画俳優並みの演技だろう。
そう感じている自分を内心は嘲け笑っていた。
自然に修へと視線が戻る。
しかし、そこにはいつもと違うまじめな顔をした修が、ずっしりと腰をすえていた。
「な、なんだよ」
不自然な修の表情にに恐怖をかんじたのか、思わず声が出てしまう。
「お前さぁ。本当に馨ちゃんのこと好きなのか?」
修は真剣な目でこう言い放った。
あまりに唐突な質問に、気が動転した。
「あ、あぁ。何でだよ……何でいまさらこんなこと聞くんだよ?」
修の不意をつく質問に、俺はしどろもどろに答える。
「ん? まぁ、ちょっとした疑問だよ。気にすんな」
そう答えてはいるものの、修の挙動は明らかに納得しているものとは思えなかった。
目があちこちに泳ぎ、顔も明らかに不自然な笑顔を造形していた。
――嘘だ――直感的にそう思ったが、声にするような勇気を俺は持ち合わせていない。
尚更、自分も嘘をついている状況でそんなことを言えるはずがなかった。
――修の思っていることはたぶん正しいだろう。
実際、たぶん俺は馨ちゃんに対して“特別な”感情は抱いていない。
高校生にもなれば、好きな人や彼女などの話でよく盛り上がるものだ。
ひとつの机を囲み、何人かの男子が、自分の彼女自慢、好きな人への憧れなどを語っていく。
こう表現するとなぜかロマンチックだが、実際はそんなもんじゃない。
好きな人が一度バレてしまうと、その人と話しているとき、こっそりと見つめているときなど、冷やかされ、毎日の会話のネタにされる。
中学時代そんな経験をしたことがなかった俺は、高校に入ってすぐに体験し、傷つけられた。
表面はおちゃらけていたが、内心は違った。
それからだ、俺が嘘をつき始めたのは……。
馨ちゃんが好きだと、修には言っていたが、本命はまた別にいたのだ。
大澤 麻奈美というサッカー部のマネージャーをしている子だ。
修は高校に入ってから一番の友達だ。
しかし、修と麻奈美ちゃんの関係上、そのことを修に話すことはできなかった。
何回修に打ち明けようと思ったことか……。
しかしそのたびにあのトラウマが俺に話すことをやめさせた――
「……い和也、…………か?」
ぼんやりとした闇のなか、どこからか聞き飽きた声が聞こえる。
「おい和也、…………のか?」
鳴り響く声に、徐々に闇の霧が晴れていき、ふと我に返る。
「おい和也、聞いてんのか?」
「お、おぉ」
壊れたテレビを叩くように手のひらで頭を軽く叩きながら、何とか答えた。
「お前大丈夫か? なんか今おかしかったぞ?」
前腕を机の上に乗せ、机に寄りかかりながら、修は俺のことを皮肉った。
「お前のせいで睡眠不足なんだよ」
「じゃあ、二つ目は言わなくていいのか?」
「なわけねぇだろ。早く言えよ」
「お前もせっかちだねぇ」
「お前が焦らすからだろ!」
「わぁーたよ。二つ目はニュースというかヒントだな。『五年に一度』だ」
修は自慢げな目で、軽く言い放った。
「五年に一度? それだけか?」
俺は頭をフル回転させ、『五年に一度』が何のことかを思い出そうとする。
「ん? ああ。大ヒントだろ? どうだ、大体わかったろ?」
「いや? なんなんだ? 『五年に一度』って」
いくら考えても、何のことかわからない俺がこう答えるのは当然だった。
「おまえ……マジで言ってんのか?」
修は目を丸くし、驚いた様子で俺を見ていた。
「嘘言ってどうすんだよ」
鼻で笑うように切り替えした。
修は俺の予想外の反応に失望したのか、不満そうな表情を浮かべている。
暫くの間――三十秒ほどであろうか――黙り込んで考え事をしているようだった。
次をどう焦らすかでも思いついたのだろう、不意に切り出す。
「そうか。まあいい。後は自分で調べろ。そうすればわかってくるだろ」
「調べろってどう……」
突如、聞きなれた鐘の音階が会話をさえぎるように木霊した。
五時限目が近いことをを知らせる予鈴だ。
「まぁ、がんばれよ」
再び俺の不満そうな表情に満足したのか、修は微笑しながら肩をポンポンと2回叩く。
「はいはい。わかりましたよ」
『はぁ……』と軽いため息をつきながら俺は二つ返事した。
修は頑固だ。
ここからいくら粘ったところで教えてはくれないだろう。
むしろ、これだけ話せば修にしては大出費だ。
そう感じるなり、すぐさま横を向いていた体を元に戻し、再び机へと寝そべった。
カーテンの隙間から見える空は青く冴え渡り、夏の風物詩の大きな入道雲が偉そうにその空間をのさばっていた。校庭から漏れるオーラで景色は歪み、蝉の鳴き声が嫌と言うほど耳に入ってくる。
こんな中、校庭から吹いてくる風は最高に心地よかった。
夏の暑さとともに心の靄つきまで吹き飛ばしてくれる、そんな風だった。
暫くして、蝉の悲鳴を遮るかのように、五回目の沈黙を知らせるチャイムが鳴り響く。
教室は徐々に静かになり、本来あるべき静寂な空間へと変化していく。
そんな中、俺の瞼が落ちていくことは必然だった。
だんだんと見ていた景色が闇に包まれていく。
そして俺は四十分遅れの眠りについた。
今回は無駄な会話が少し多いかもしれません。
作者の技量不足です。
厳しい、感想、評価お待ちしております……