軋む器(きしむうつわ)
廃坑の最深部。『白銀の糸紡ぎ』を仕留めた直後、シュウを襲ったのは勝利の余韻ではなく、焼火箸を全身に押し当てられたような激痛だった。
「が……っ、は……!」
膝から崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返す。
視界がチカチカと明滅し、全身の毛細血管が浮き出ていた。
先ほど、蜘蛛の脚を受け止めた左腕は、内側からの圧力に耐えかねて皮膚が裂け、鮮血が噴き出している。
(……ステータスが、高すぎるんだ)
脳内に響く無機質な数値は『600』を超えている。
だが、その膨大な出力を支える骨格も、筋肉の繊維も、神経系も、元はと言えば辺境の村で飢えていた少年のものだ。
Fランクのエンジンに、Sランクの燃料を注ぎ込み、限界まで回転させた。その結果が、この自壊だった。
「……ハァ、ハァ……。一撃……一撃で仕留めないと、次はないな」
シュウは震える手で、仕留めた蜘蛛の肉を口にする。
魔物喰いによる回復効果で、どうにか表面的な傷は塞がった。だが、芯に残る「軋み」は消えない。これは、もっと多くの魔物を喰らい、時間をかけて「器」そのものを造り変えていくしかないのだ。
数時間後。シュウは泥を被ったような姿で、ギルド『レムリア』へと戻った。
廃坑の調査報告。本来なら英雄として迎えられるはずの成果だが、今のシュウにその余裕はない。
「シュウ様! 無事だったんですか!?」
リィネがカウンターを飛び出し、駆け寄ってくる。
彼女の狐耳が心配そうに垂れ下がっているのを見て、シュウは努めて平静を装った。
「ああ。……原因は排除した。『白銀の糸紡ぎ』だ。証拠の魔石はこれだ」
無造作に差し出された巨大な魔石を見て、周囲の冒険者たちが息を呑む。
Bプラスランクの魔石。それを、たった一人で、しかも数時間で持ち帰ってきた。
「嘘だろ……あの蜘蛛を、一人で?」
「傷だらけじゃないか。やっぱり、死に物狂いの運勝ちだったんだな」
陰口が聞こえる。シュウはそれを否定しなかった。
実際、今の自分は「死に物狂い」でなければ力を振るえない。
「シュウ様、怪我が……。すぐに医務室へ!」
「……いや、いい。それより、受理のサインを」
リィネから差し出されたペンを握ろうとした、その時。
指先がわずかに痙攣した。
(……っ、まだ制御が……!)
パキッ。
力を込めたつもりはなかった。ただペンを握っただけだ。
だが、内側から溢れ出す『600』の筋力密度が、無慈悲に木製のペンを粉砕した。
「……あ」
「シュウ様……?」
リィネが目を見開く。
壊れたペンの破片を見つめるシュウの瞳には、隠しきれない焦燥があった。
強すぎる力が、日常を壊していく。
リィネの細い手首を、もし本気で握ってしまったら――。
「……悪い。少し、疲れているみたいだ。報酬を受け取ったら、宿で休ませてくれ」
シュウは逃げるようにギルドの奥へと向かった。
背後で、リィネが何かを言いかけて口を閉ざす。彼女の鋭い観察眼は、シュウの「強さ」の裏側にある、危ういバランスに気づき始めていた。
宿の一室。シュウはベッドに倒れ込み、天井を見上げた。
0.01の積み重ねが、自分をここまで連れてきた。
だが、その先にあるのは、全力を出すたびに命を削る、薄氷の上の戦いだった。
(……もっと喰らわなきゃ。器を、この力に耐えられる本物の『怪物』に、造り変えるまで)




