初陣の衝撃
静寂。
ギルドの中にいた数十人の冒険者たちが、言葉を失ってシュウを見つめていた。測定の水晶が放った「深紅」の余韻が、まだ網膜に焼き付いている。
「測定不能……? あの細いガキが、Bランク相当だと?」
「おい、水晶の故障じゃないのか。魔物喰いのスキルなんて、腹を下すだけのゴミだって決まってるだろ」
誰かが吐き捨てるように言ったが、誰もそれに同調して笑うことはできなかった。シュウから放たれる気配が、あまりにも静かで、それでいて底知れない「飢え」を感じさせたからだ。
「……シュウ様」
カウンターの奥で、リィネが震える手で書類を整えながら、彼を呼び止めた。その瞳には、恐怖よりも深い好奇心と、切実な期待が混じっている。
「あなたの数値、ギルドとしても看過できません。……そこで、一つご提案があります。正規のFランクから始める代わりに、ある『特殊な調査依頼』を引き受けていただけませんか?」
シュウは足を止め、無機質な視線をリィネに向けた。
「調査依頼?」
「はい。この街の北西にある『静寂の廃坑』で、最近、熟練の冒険者が数人行方不明になっています。ギルドはCランク以上の案件として封鎖を検討していますが……もし、あなたが本当にその数値に見合う実力をお持ちなら、原因を突き止めてほしいのです」
周囲の冒険者たちが息を呑む。
『静寂の廃坑』。そこはかつて銀が採掘されていた場所だが、今は強力な魔物の巣窟と化している。
「報酬は、正規のCランク依頼と同等。そして、ギルドでのランクを即座に引き上げることを約束します。……どうでしょうか?」
シュウは少しだけ考えた。
ランクなど、彼にとってはどうでもいい。だが、熟練の冒険者を飲み込むほどの「何か」がいるのなら、それは自分をさらなる高みへ引き上げる「極上の食糧」になるはずだ。
「……いいだろう。受ける」
リィネはホッとしたように胸を撫で下ろし、一枚の地図を差し出した。
「くれぐれも、無理はしないでくださいね。……あなたのその力、もっと詳しく知りたいですから」
リィネの言葉を背に、シュウはギルドを後にした。
『静寂の廃坑』の入り口は、冷たい風が吹き抜けていた。
シュウは松明も持たず、暗闇の中に足を踏み入れる。魔物喰いを繰り返したことで、彼の視覚は夜目も利くようになっていた。
奥へ進むほど、空気の重みが増していく。
ツノネズミやフォレストベアとは比較にならない、どろりとした魔力の澱み。
ガサリ、と天井で音がした。
シュウが顔を上げるより早く、巨大な影が降り注ぐ。
それは、全身が毒々しい紫色の鱗に覆われた『ケーブ・ラングラー』――洞窟の暗殺者と呼ばれる、ランクBに近い魔物だった。
シュウは地を蹴った。
昨日までの彼なら、その初速に反応できず、毒爪に引き裂かれていただろう。
だが、今のシュウは違う。
(遅いな)
空中で体を捻り、襲いかかる魔物の側頭部を、無造作に蹴り飛ばした。
ドォォォン!
凄まじい衝撃音が廃坑に響き渡る。
魔物の頭部は岩壁に叩きつけられ、一撃で粉砕された。
シュウは着地し、ピクリとも動かなくなった死骸を見下ろす。
「……腹が減ったな」
彼は迷わず短刀を抜き、魔物の喉元を切り裂いた。
一口。その肉を咀嚼し、飲み込む。
【ランクB:ケーブ・ラングラーを討伐しました】
【全ステータスが 25.00 上昇しました】
廃坑の奥深く。シュウは、自らの右手を無表情に見つめていた。
先ほど喰らった『ケーブ・ラングラー』のエネルギーが、全身の細胞に溶け込んでいく。数値にして「25.00」の上昇。ツノネズミに換算すれば二千五百匹分という莫大な糧が、一瞬にして彼の肉体を強化していた。
(……変異はない。ただ、密度が上がっただけだ)
シュウは軽く拳を握り、近くの硬い岩壁に突き出した。
ボシュッ、という重い音と共に、拳が手首まで岩に埋まる。火花も散らず、ただ純粋な質量と速度が岩の構造を無視して貫通したのだ。
見た目は、村にいた頃と変わらない痩身の少年のまま。
だが、その内側に秘められた力は、もはや鋼鉄の塊を打ち出す投石機をも凌駕している。
「……いたか」
シュウの耳が、微かな粘着音を捉えた。
廃坑の最深部。かつて銀鉱石を運び出していた広場は、今や巨大な白い糸に覆われ、不気味な繭がいくつも吊り下げられていた。
繭の中身は、行方不明になった冒険者たちだろう。
そして、その中心に鎮座していたのは、複数の目が怪しく光る『白銀の糸紡ぎ(シルバー・ウィーバー)』。ランクB、いや、個体としての完成度からすればBプラスに届く大蜘蛛だった。
シュウの侵入に気づいた蜘蛛が、猛烈な速度で糸を吐き出す。
その糸は鋼よりも鋭く、触れるものすべてを切り裂く「刃」だ。
シュウは回避しなかった。
真っ直ぐに、最短距離を突き進む。
「無駄だ」
迫りくる糸の弾幕を、シュウは錆びたナイフの腹で弾き飛ばした。
キン、キン、と硬質な音が響くたび、蜘蛛の糸が虚空へと散る。シュウの腕力に裏打ちされたナイフの軌道は、もはや物理的な障壁を物ともしない。
驚愕した蜘蛛が、その巨大な脚を槍のように突き出してきた。
シュウはそれを左手で真っ向から受け止める。
メキッ、と嫌な音が廃坑に響いた。
砕けたのは、シュウの腕ではない。魔物の、鉄よりも硬いはずの外殻だった。
「お前は、今までで一番……効率が良そうだ」
シュウの瞳に、冷徹な捕食者の色が宿る。
彼は蜘蛛の脚を掴んだまま、その巨体を無理やり引き寄せた。驚異的な筋力値が、自重の数倍ある魔物を軽々と翻弄する。
至近距離。
シュウは、魔物の眉間に向かって、限界まで溜めた一撃を叩き込んだ。
――ドォォォォォン!!
爆音と共に、廃坑の天井から土砂が降り注ぐ。
『白銀の糸紡ぎ』の頭部は跡形もなく消え去り、巨大な胴体が力なく地面に沈んだ。
【ランクBプラス:白銀の糸紡ぎを討伐しました】
【全ステータスが 50.00 上昇しました】
脳内の声が、過去最高の上昇値を告げる。
シュウは息を切らすこともなく、静かに魔物の肉へとナイフを立てた。
食事を終えた時、彼の中の数値は『600』の大台を突破していた。
それは、この国の近衛騎士団長ですら到達し得ない、人知を超えた領域への入り口だった。




