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伍話目:告白


誰のためでもなく香を焚き、琴を奏でる。すっかり手慣れてしまった調べは、霞む夜闇にただ飲まれていくよう。


あれから幾夜を過ぎた。欠けた夜月が沈んでいく様を、一人で見ている。時と共に月は満ちるけれど、わたくしの心は満たされることはない。


子の守殿からの手紙は、不定期ながらも届いている。戦と言えど荒事だけではない。交渉や和議。文で治まる事もある。折を見て書かれているのでしょうね。

無事であるとわかるけど、もどかしい。


「子の守殿……」

朧に照らされる縁側は、虚しいほど広く見える。




「――殿!!」


男性の潜んだような声が、どこからか聞こえてくる。抑えているつもりでしょうけど、怒りを帯びているせいか結構響いてる。


「何事かしら?」

隣の間で控えていた侍女頭まで出てきた。想定外の事が起きているようね。

本当に何があったのかしら……


ふと庭から感じる気配。

ずさりずさりと白砂を踏み鳴らし、がちゃりと金物が擦れる音。

朧の月に照らされて、ぬるりと見える大鎧 ――あれは、武士?

でも兜は無い。崩れた烏帽子を抑えるように、幅広の布が額に巻かれている。


ざわりと空気が張り詰める中、武士はふわりと笑みを浮かべ口を開く。



「姫、只今戻りました」


澱みのない聞き焦がれた声が、じんわりと心に伝う。

――もしかして?


「子の守殿?」

「ええ、お忘れですか?」

からかうような笑みが問い返す。まったく、この御方は……


「いえ、そうではなく、そのお姿……それに、なぜ庭から?」

「急ぎ馬を走らせました故、汚れております。失礼とは存じておりますが、鎧を脱ぐ手間を惜しみました」


呆気に取られるというのはこの事でしょう。何を言えば良いのやら。



「子の守殿! せめて鎧を脱ぎなされ!」

沈黙を切り裂く侍女頭の叫び。

さすがの子の守殿も、たじろいでいる。


「やっぱり駄目か……すまぬが手伝ってもらえないか」

子の守殿が背後を見やると、門番らしき者がいた。追いかけて来たのでしょうね。

やや呆れた顔をしながらも、鎧を丁寧に外していく。


鎧というのは、大きな一枚物なのね。

腰の物まで繋がっているわ。

ああでも、右のお腹にあるのは別みたい。

あとは、左の腕だけね……


立ち上がり、するりと帳を抜ける。

体が勝手に動いてしまう。

幾重もの幕を除け、縁側へ。



「姫?!」

「ひ、姫様?! なりませぬ!!」

驚きの声を上げる子の守殿と、悲鳴のような声を上げる侍女頭。門番は慌てふためきながら下がると平伏した。


「それは、わたくしが外します」


誰もが目を開き、息を呑んでいる。

侍女頭は、諦めたような表情を浮かべ口を開く。


「子の守殿。縁側までお越しくださいませ」




子の守殿は縁側に腰を降ろし、左腕をこちらに預けている。

汗と土のにおいが、ふわりと漂う。


「固い、ですね」

「手伝いましょうか、姫様」

「……お願いするわ」

思ったより固く結ばれた紐。わたくしの力では解く事ができなかった。


「では、こちらでお預かりしますね」

「かたじけない」

少しして、左の腕にあった鎧は外された。ほとんど侍女頭がやってくれたようなもの。下がる彼女を見やりながら、力もつけなければと思う。



「手間を、かけました」

「いえ、そんな」


話したい事がたくさんあったはず。

だけど、何を話せばいいのでしょう。


そうだ、琴。

たくさん習ったんだ。


――でも、此処から離れたくない。



「姫、よろしいですか」

「なんでしょうか」

「急ぎ戦場を離れたもので、弔いをまだしておりません。経を上げても?」

「ええ、もちろん」


子の守殿はこくりと頷くと、手を合わせ目をつむった。


そしてわたくしは、彼の息に合わせ口を開く。


『観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時――』


ぴたりと止まる経。驚きに満ちた顔がこちらを見る。

にこりと笑ってみせると、柔らかく笑い返してくれた。


再び紡がれる経。二人の声が絡み合い、心地よい調べを織りなしていく。




「姫、どこで経を?」

「ふふ、秘密です」

本当に不思議そうな顔をしている。

まあ、女官時代の寺通いで覚えたなんて言っても、わからないでしょう。ここは笑って誤魔化すのが一番。


「ではなぜ、私と共に?」

「わたくしも祈りたくなったのです。失われてしまった命に……」


それと、子の守殿が無事でいられますように、と。

これが、わたくしにできること。自分なりに出した答えの一つ。


真っ直ぐに見た顔には、影が差していた。


「……ご迷惑でしたか?」

「いえ、そうではありません」

子の守殿は首を振りつつ、ゆるりと口を開く。


「以前姫は私に、なぜ人を殺めるのかと問われましたね」

無言で頷くしかない。今思えば、随分と生意気な娘よね。


「私は父の命令だと答えました」

「……はい」

「ですが私は一度だけ、命令以外で人を殺めた事があります」

「え?」


子の守殿は視線を逸らすように庭を向き、“幾月前の事です”と、話し始める。



「私は夜にも構わず、早馬で都を駆けていました。そして通りに入った時です、目の前には灯火に照らされた人影が。気づいた時には遅く――」


夜道の早馬に、灯火? それってもしかして……


「すぐさま駆け寄ったのですが 、既に」

微かに湿った声が響く。


「その方は、どのような方だったのでしょう」

「宮中の女官と聞きました。下公家の者でしたが、上役の力で事故と」


間違いない。その女官は、姫になる前の私だ。

公家とは言え下っ端。尊の直轄武士と比べれば、取るに足らない存在。事故で処理され、お咎め無しというのも宮中らしい結末ね。

理解できる話だけど……


「なぜその事をわたくしに?」

「姫が経をあげたのは、戦で失われた命を弔うため。ですが私は、女官に対しても祈っています ――来世では、幸せにと」


子の守殿の表情が歪み、重く、重く沈んでいく。


「私は弱い男です。“なぜ人を殺めるのか”と姫に問われた時、表のことわりで覆い隠しました。それでは、共に祈ってくれた貴女への裏切りとなりましょう」



懺悔のような告白。

本当に不器用な御方。


ただ、目の前にいるのは、自分を殺した張本人。

大きな罰を受けず、今を生きている。


罰を与える? 罪を償わせる?


でもこの御方は、悩み苦しんでいる。


だったら、私の答えは一つしかない。



「その弱さも、支えさせてくださいませ」

「……姫?」

「私は幸せですよ ――安殿」

「――っ!」


うつむいているけど、耳まで真っ赤なのが見えている。戦に出れば、剛の者と称えられる御方が、なんてかわいらしいのかしら。ついからかいたくなってしまう。


「安殿は、わたくしの名は呼んでくれないのですか?」

「……っ! な、なにを?」

うつむいていた安殿の顔が、がばっと起き上がる。


「もしかして、わたくしの名を知らないのですか?」

「い、いえ、知っております」

「では、呼んでくださいませ」


ごくりと息を呑む音に、どきりと胸が跳ねる。

ちょっと、こっちまで緊張しちゃうじゃない……


安殿は深くため息をつくと、意を決したように、私の瞳に優しく呼びかけた。


「――ほうの君」


私の名前が静かに響く。

体の芯に伝う想い。

私だけの声。


これは、思ったより効くなぁ。

困った。 顔を上げれない。

でも、返事しなくちゃ。


「……はい」



安殿に聞こえたかどうかはわからない。


でも、差し出された手を掴むことはできる。


そのまま身を委ね、貴方の温もりと鼓動に包まれていく――





するりと帳を除ける音が聞こえる。


ふと見上げると、朝焼けに照らされる背中。


「いってらっしゃいませ、安継様」



赤い耳が頷き、口元がささやく。


きよらかな、私だけの声が聞こえる。



ここまで読んでいただきありがとうございます。

今エピソードの伍話にて、完結となります。


――と、思っていたのですが、もう一話ございます。

エピローグとしての結之話むすびのわ

最後までお付き合い頂けると幸いです。


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