参話目:守(かみ)の本分
灯火が照らす夜に、ぴりりとした空気が漂い、ひやりとした汗が背を伝う。
やってしまったわ。あの時の僧とあまりにも似ていて、思わず聞いてしまったわ。どうしましょう……
「なぜ私が僧だと?」
凛とした声が、闇夜を裂くように響く。
ぐっと息が詰まる。いけない。何か答えないと。
「えっと、父に聞きました」
「……そうですか」
漏れ出るような子の守殿の声。顔を下げ、なにやら考え込んでいるよう。
とっさに言ってしまったけど、大丈夫かしら? それよりも、話題を変えた方が……でも、何を話せば?
「あの――」
なんとか声をかけようとした時、子の守殿がこちらを向いた。
「確かに私は、一時仏門に入っていました」
「え?」
「しばらくした後、父に呼び戻されました」
「そうだったのですね……」
考えてみれば、私があの僧の読経を聞いたのは、しばらく前。それから還俗したのであれば、辻褄は合う。
やっぱり、同一人物みたいね。私の耳に狂いはなかったわ。
でもちょっと待って。仏教は不殺生なはずよね。還俗したとはいえ、間もない内に武士として活躍したというの?
「僧だったのに、人を殺めるのですか?」
「父の命令ですから」
にべもなく答える子の守殿。その言い様は何? むかっと頭が熱を帯びる。
「父君の命令であれば、どんなことでも従うのですか?」
語気が荒くなる声に、灯火が揺れ影が身じろぐ。
「姫も、そのように声を荒げる事があるのですね」
驚きを含んだ声。いえ、これは感心している? なんだか癪に障るわね。
「わたくしのことよりも、答えて下さいませ!」
一拍置き、“ふふふ”と、袂の向こうから笑い声が漏れる。
「何か、可笑しいですか?」
「いえ、姫も私と同じではないかと思いまして」
「わ、わたくしが、あなたと?」
この男、何を言うの? 今や上公家の姫であるわたくしと、野蛮な武士が同じですって?
「私との契は、父君の命令ではないのですか?」
「……あっ」
言われてみればそうだ。この人との関係は、父君によって決められている。
それは姫となる前、女官の時でも変わらない。下っ端とは言え公家の出。政略結婚を拒否しようなんて思わない。でもそれは、父からの命令となんら変わらない。
――この男も、家のために人を殺めているというの?
押し殺したような笑い声が聞こえる。不思議と嫌な感じはしない。どこか楽しげな声。
でもね、限度というものがあるわよ。
「い、いつまで笑っているのです!」
「いや、これは失礼」
と言いつつ、“くくく”と余韻を残している。本当にこの人は……
ひたりと音が止み、すうっと吸息が静かに響く。
「ただ、思う所はあります」
憂うような湿った声。
「だから私は、戦が終われば祈るのです。奪ってしまった命と、失われた命に」
「……どのようなことを祈るのですか」
「来世で、幸せに生きてくれ ――と」
おもむろに座を改め、手を合わせる子の守殿。
澱みのない経が、闇夜に漂う。
濡れた調子が幾重もの幕と帳を伝い、じんわりと響く。
本当に落ち着く声。
ざわついていた気持ちが、徐々に凪いでいく。まるで心が浄化されるよう。
どれだけ経ったかしら。
夜更けの寒さを感じた頃、辺りは再び静けさを取り戻していた。
久しぶりに聞いた読経。しかも好きだった僧のもの。二度と聞けないと思ってたけど、まさか独り占めできるなんてね。とっても贅沢な気分だわ。
でも表に出してはダメよ。また笑われてしまう。
浮つく心をなんとか抑えていると、かちゃりと鳴る金属音。次いで聞こえる衣擦れ。子の守が立ち上がったみたい。
ちょっと待って……もしかして、こちらに来るつもり?
確かに時刻を考えれば、就寝するべき。
それに、わたくしたちは互いの父公認の関係。
何があろうとも、許されてしまうわよね?
どくんと胸が跳ね、ぼっと顔が火照る。
頬を覆う掌が冷たい。灯火に負けないほど、熱くなっているみたい。
いやいや、見た目は齢十二の姫でも、中身は適齢期を過ぎた女官なのよ?
男公家社会で、色んな経験をしてきたわ。でもなんでこんなにも緊張しているの?
これじゃあまるで、見た目通り齢十二の姫じゃない!
帳の内で一人あわあわしていると、子の守殿の姿が遠ざかる。
――あれ、どこに行くの?
子の守殿は縁側の端に寄ると、柱に背を預け、太刀を抱えながら座ってしまった。
「……あの、子の守殿?」
「私は此処で。姫も病み上がりでしょう。御身、大事になされよ」
もしかして、気を遣ってくれたの?
子の守殿の優しさを感じ、素直に嬉しいと思いつつ、あることに気づく。
勝手に一人で盛り上がってしまって、わたくし、馬鹿みたいじゃない!
「お、お休みなさいませ!」
子の守殿の返事を聞く間もなく、寝所へと向かう。
さっさと寝て忘れましょう!
でも火照りはそう簡単に治ってくれなかった。
夜半の冷えも忘れ、寝所の中は真夏の夜のようだった。
「姫様、お早うございます」
「……ん、もう朝なの?」
差し込む朝日が、まぶたをじりりと照りつける。
ぼんやりとしているせいか、いつもより明るく感じてしまう。
ふと縁側に目をやると、もう子の守殿の姿はなかった。
そこには、いつも通りの光景が広がっていた。
まるで昨夜の事が、夢のようだと感じてしまうほどに。




