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壱話目:名もなき女官が、名のある姫に?

天皇と官位は、オリジナルの用語に置き換えています。


みこと:天皇

法政府ほうせいふ:太政官

上公家かみのくげ:従三位〜正三位

中公家なかのくげ:従四位下〜正四位上

下公家しものくげ:従五位下〜正五位上


地武士じぶし:主に豪族


ここは宮中法政府。朱に塗られた渡り回廊に、芽吹きの風が通り過ぎていく。


「うう、寒い……」


“春はあけぼの”と、誰が言ったか知らないけど、私はおもむきよりも暖が欲しい。


そんな私に名は無い。

宮中務めではあるけれど、貴き方々の中では下っ端の下公家しものくげ。誰が記録するわけでもなく、誰の記憶にも“女文官”としてしか残らないのでしょうね。


「見て、あれ」

「ああ、例の?」

「そうそう、ほう郎女いらつめよ」

女性にょしょうの癖に、張り切っちゃってまあ……」

「ちょっと、聞こえるわよ」


くすくすと、鈴を転がしたような声で吐かれる毒というのも、乙なものね。

妬み嫉み、仕方の無いこと。なんたって私は、女としては異例の出世を果たしているのだもの。“法の郎女”や、“文の郎女”など、影で言われているのは知っている。そのせいか、適齢期を過ぎても、嫁の貰い手はない。まあ、行く気もないけど。



「お早うございまする」

自分の声が法政局に虚しく響く。まだ誰も来ていないのは、いつものこと。気にしても仕方ないので、やるべきことをこなしていく。


「――印と札はあるわね」

まずはみことの御印と法政印、それと伝令札を確認。あとはすずりを取り出し、墨と紙を用意していく。

朝の準備が済んだ頃、ぎぎっと廊下が軋み、隔てた衝立から烏帽子が覗く。


「お早うございまする」

座して会釈し、上役を出迎える。

下公家から順に遅れて出仕してくる男達。たとえ家格は同格な者がいても、慎ましくしているのが無難なのよね。



「尊からのお言葉がある。誰ぞ参れ」

出仕してからしばらく、尊の近臣から呼び出しがあった。


「……そなたに任せたぞ」

「はい?」

御印の準備をしていると、中公家なかのくげに押し付けられた。尊のお言葉を賜るのは、上公家かみのくげの役目ではと局内を見渡すが、どこにもいない。もしかして、まだ来ていないの?


「これは名誉な事ぞ」

「その通り」

「然り、然り」

もっともらしい事を言う中公家に同調する下公家達。

――万一の責任を取りたくないだけでしょうに。

そうは思いつつも、私に拒否する術はない。


「……承知いたしました」

考えてみれば、清書も私がやる事が多い。いい加減な事を口伝され、二度手間にならなかっただけ良いわね。

自分に言い聞かせながら法政府を出て、尊の御所へと向かう。



ようやく温まってきた日差しを浴びつつ、砂利の音を伴に歩む。

随所に置かれた門と、門兵の厳しい視線を経て、清められた御所に足を踏み入れる。

静寂に包まれる中、ふわりと漂う香の薫り。


……ここは本当に別世界ね。

初めてではないけれど、やっぱり緊張する。



御前にて平伏し尊を待つと、間もなく現れる気配。

無音の中、朗々と心地良い声がとばり越しに降りかかる。


「またしても北の地武士じぶしが暴れていると聞く。八方やかたかみを以て、これを鎮めよ」

“八方の守”とは、尊の直轄武士団の事。ここ最近、地方の武士とのいざこざが絶えず、その都度駆り出されている。


……都を守るためとはいえ、人を殺める事を生業とする者たちは、どうも好きになれない。


輪廻転生。命は巡り還る。善も悪もない。全て尊ぶべきものだと、私は思う。



「いつまでそうしてる。下がって尊のお言葉をしたためよ」

苛立たしげに降りかかる荒い声。え、誰?

気がついた時には尊の御姿はなく、眉間にシワを寄せた近臣しかいなかった。


急ぎ法政局に戻り、尊の命令書を仕上げる。

そのまま伝令札を持ち、早馬の下へ向かう。


「これを、お願いします」

「……確かに」

担当は下公家の男。ぶすりとした声を吐き、書と札を受け取ると馬を走らせた。

彼の態度は毎度の事。どうも私に使われていると感じてるようで、気に食わないみたい。でも尊のお言葉を預かっていると、わかっているのかしら?


苛立ちを振り払い、法政局に戻ろうとした時、“またか” と、呆れたような声が漏れ聞こえる。


「八方の守とやらの、お呼び出しでしょうか」

「さぞかし、ご活躍されるのでしょうな」

「なんでも、尊の遠縁の姫と縁続きになる者がいるとか」

「ああ、その姫ですが、どうも床に臥せているようですよ」

「それは、それは……」


押し殺したような笑い声が響く。宮中の噂好きは、男も女も無い。

なんにせよ私には関係のない話。耳障りだし、さっさと戻りましょう。


足早にその場を去り、法政局へと戻る。


「只今戻りました」

声をかけても返ってくることはない。待ち構えているのは、山と積まれた書状だけ。

意を決して机につき、書状に手を伸ばし筆を取る。

目を通し、墨を入れ、印を押し、墨を変える。


なんど繰り返しただろうか。

気づいた時にはとっくに日は傾いていた。


「……もう誰もいないじゃない」

視界には朝見た光景が暗がりの中で広がり、ぼやきが溶け込んでいく。

私も帰ってしまおう。灯火の油代も馬鹿にならないし。



片付けを済ませ、法政局から出ると、すっかり日は陰ってしまっていた。

帰路に浮かぶ灯火。ほのかに照らされた足元を頼りに、歩みを進める。


『観自在菩薩 行深般若波羅蜜多――』


どこからか聞こえてくる読経。祈祷か弔いかはわからないけど、良く通る声。

疲れ切った心身に、じんわりと沁み入る。


“説教の講師は顔良し” と、誰かが言ってたけど、私は美声の僧が好き。


そう言えば、読経も説法もしばらく行ってない。

いつぞやに聞いた僧の声が恋しい。

男性にしては高く、澱みなく紡がれる経。

心が、魂が清められるような感覚を、もう一度。



ふと、読経を割る音が聞こえる。

どどっと、一定の調子で、こちらに近づいてくるような……


「何かしら?」


地鳴りが足を伝い、轟音が迫る。

灯火を掲げるも、ぼんやりと照らすだけ。

残る暗がりから現れたのは ――騎馬?


「えっ?」


間もなく感じる浮遊感。

くるくる回る灯火。

直後、体の内に響く衝撃。

固い地面。刺さる石礫。


熱い、痛い、痛い……


手も足も動かない。

声も出ない。

代わりにどろりと何かが溢れるだけ。

生臭い鉄のような味が、口いっぱいに広がる。


――もしかして、私、死ぬの?



急にぐっと体が起き上がる。

誰かに抱えられてる?

暗くて、顔はよく見えない。


「――か?! ――っか――ろ!!」


何か言っているけど、よくわからない。

でも、どこか聞き覚えのある、澱みのない声。

魂が、浄化されるような……


あと少しで思い出せそうなんだけど、無理そうね。


徐々に消える痛み。

同時に抜けていく力。

どろどろと、体の内から外へ。


もう、何も、わからない――






――ほわり、ほわりと、指先に感じる温み。


じわじわと体を伝い、芯まで届く。


ああ、温かいなぁ。


この暖があれば、春の早朝も好きになれる。


もぞりと動く手足。

ふわりと包まれる体。

これは良いわね。上等な真綿だわ。


ん? 真綿?



ぱちりと開く目。

がばりと起き上がる体。

手も足も動く。


「……あれ、わたし生きてる?」


声も出る。

息もできる。


ただただ気だるく、ひどく熱っぽい。



「ひ、姫様!?」

「おお、目覚められたぞ!!」

「ついにご回復なされたぞ!!!」


悲鳴のような女性の声と、野太い男達の声が響き渡る。


え、何?! 誰?!


声のする方を見上げると、上等な着物を召した大人達が、ぞろりと控えていた。


宮中務めであればわかる。この人達は、名家の家臣団だと言うことを。

それに彼ら越しに見える家具や調度品は、どれも高価なものばかり。


ここは、かなり高貴な方のお部屋。


そして私を見て、皆同じ事を言う。


「姫様!!!」



ぼんやりとした頭でも、なんとなく察する。


これは、“わたしであって、私じゃない”



……もしかしてわたし、どこかの姫様になってしまったみたい?


お読みいただきありがとうございます。

本作は五話(伍話)完結です。

本日から一日一話ずつ投稿していきますので

最後までよろしくお願いします!


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