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「君を愛することはない」と言われたので、廃温室で薬草研究を始めました。  作者: mera


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第六章 裏切りの告白


翌日。クレールは、フィリップを温室に呼び出した。

眠れない夜を過ごした。何度も自分に問いかけた。聞き間違いではないか。誤解ではないか。けれど、どう考えても——あの言葉の意味は、一つしかなかった。

「先生、どうかされましたか?」

フィリップは、いつもの笑顔で温室に入ってきた。

クレールは、その笑顔を見つめた。

完璧な笑顔。人懐っこく、温かく、信頼を誘う笑顔。

(こんなに自然に笑えるのか。嘘をつきながら)

「フィリップさん」

クレールは、静かに言った。

「昨夜、温室の裏で——誰かと話していましたね」

一瞬。

ほんの一瞬だけ、フィリップの表情が固まった。

笑顔が、凍りついた。

けれど、すぐに元に戻る。

「何のことですか? 僕は昨夜、早くに休みましたが……」

「嘘です」

クレールの声は、震えていなかった。不思議なほど、落ち着いていた。

「『調合法を聞き出せる』『彼女は単純だ』——そう言っていましたね」

沈黙が落ちた。

温室の中で、風がガラスを揺らす音だけが聞こえた。

フィリップは、クレールを見つめていた。

その目が——変わった。

いつもの温かさが、消えた。冷たく、観察するような目。まるで、実験動物を見るような。

「……そうですか」

その声は、いつもと全く違っていた。

低く、感情のない声。

「バレてしまいましたか」

フィリップは、肩をすくめた。

「もう少し慎重にすべきでしたね。いや、先生が思ったより勘がいいのかな」

クレールの心臓が、早鐘を打っていた。けれど、表情は動かさなかった。

「……あなたは、誰ですか」

「名前は本物ですよ。フィリップ・ラヴェルヌ」

彼は、淡々と言った。

「ただ、医師というのは——半分本当、半分は仮面ですね」

「仮面?」

「僕はエルシオール王国の諜報部所属です」

その言葉に、クレールの息が止まった。

「諜報部……スパイ、ということですか」

「そうですね。先生の研究——特に、万能薬の調合法を入手するために派遣されました」

「万能薬……」

「先生、気づいていなかったのですか?」

フィリップは、少し驚いたような声を出した。

「先生が開発しようとしている薬は、この地方の風土病だけでなく、他の多くの病にも効く可能性がある。国家レベルの価値がある研究なんですよ」

国家レベル——

フィリップは、以前もそう言っていた。あの時は、褒め言葉だと思っていた。

「だから、僕は先生に近づいた」

フィリップの声は、事務的だった。

「先生を褒めて、信頼を得て、研究の核心部分を聞き出す。簡単な任務でした」

その言葉が、クレールの胸に突き刺さった。

「簡単……」

「ええ。先生は、信じやすい人だから」

フィリップは、笑った。

その笑顔は——あの、人懐っこい笑顔とは全く違っていた。

冷たく、残酷な笑み。

「誰かに認められたくて、必死だから。だから、僕みたいな人間に簡単に騙される」

「……」

「君の研究は素晴らしかった。それは本当だよ」

フィリップは、肩をすくめた。

「でも、君自身には——興味がなかったよ」

クレールの視界が、ぼやけた。

涙ではない。ただ、世界が——遠くなっていくような感覚。

「どうして……」

声が、震えた。

「どうして、私はいつも——」

「君は、悪くないよ」

フィリップは、淡々と言った。

「僕が、そういう人間だっただけだ。最初から、誰かを本気で想う感情なんて、僕にはないんだよ」

その言葉は、慰めのつもりだったのかもしれない。

けれど、クレールには——ただ、冷たかった。

「さて」

フィリップは、温室を見回した。

「研究資料は、どこにありますか? 大人しく渡してくれれば、君に危害は加えない」

クレールは、答えなかった。

答えられなかった。

膝から、力が抜けていく。床に崩れ落ちそうになった。

「困りますね」

フィリップが、一歩近づいた。

その時——

「彼女に触れるな」

低い、冷たい声が響いた。

クレールが顔を上げると——

レオナールが、温室の入り口に立っていた。




第七章 救出と崩壊


レオナールは、温室に足を踏み入れた。

その目は——冷たい。けれど、いつもの「無感動」な冷たさとは違った。

怒りだ。

純粋な、怒り。

「誰に断って、俺の妻に手を出している」

低い声が、温室に響いた。

フィリップは、一瞬驚いた顔をした。けれど、すぐに冷静さを取り戻す。

「これは、公爵殿下。奥様とは、研究の話をしていただけですよ」

「嘘をつくな」

レオナールは、一歩近づいた。

「お前の正体は、既に調べがついている。エルシオール王国の諜報部員だな」

フィリップの目が、わずかに細くなった。

「……お早いですね」

「お前が妻に近づいた時から、監視していた」

クレールは、驚いて夫を見た。

(監視していた……?)

「なぜ……」

「それは後だ」

レオナールは、クレールをかばうように前に立った。

「今は、この男を捕らえる」

フィリップは、肩をすくめた。

「残念ですが、僕も無策ではありません」

懐から、小さな筒を取り出す。

「煙幕です。追いかけても無駄ですよ」

筒を投げつける。白い煙が、温室に充満した。

「先生、また会いましょう」

煙の向こうから、フィリップの声がした。

「君の研究は、まだ諦めていませんから」

足音が、遠ざかっていく。

煙が晴れた時——フィリップの姿は、消えていた。

「……逃げられたか」

レオナールは、舌打ちした。

そして、振り返った。

「怪我は——」

言葉が、途切れた。

クレールは、まだ床に座り込んだままだった。

涙が、頬を伝っていた。

「……私は」

声が、震えた。

「また……利用されただけだったんですね」

レオナールは、何も言わなかった。

ただ、クレールの前にしゃがみ込んだ。

「違う」

低い、けれど——どこか、不器用な声。

「お前は、利用されたんじゃない。騙されたんだ」

「同じことです」

「違う」

レオナールの声に、力がこもった。

「騙されたのは、お前が人を信じようとしたからだ。それは——悪いことじゃない」

クレールは、夫を見上げた。

その目には——何か、複雑な感情が滲んでいた。

「……俺は、お前を見ていた」

「え……?」

「温室で、領民を診ているお前を。研究に没頭しているお前を」

レオナールの声は、いつもより——柔らかかった。

「お前は、誰にも認められなくても、自分の信じることを続けていた。それは——」

言葉が、詰まった。

「……俺にはできないことだ」

クレールは、言葉を失った。

この人が——氷の貴公子と呼ばれるこの人が——こんなことを言うとは。

「立てるか」

レオナールは、手を差し出した。

クレールは、少し迷ってから——その手を取った。

夫の手は、冷たいと思っていた。

けれど、今は——少しだけ、温かかった。


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