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第十四話 決戦

 世界が、光で満たされた。

 リアンが、その両手で聖剣「ソウル・ケージ」を大地から引き抜いた瞬間、地下祭壇を覆っていた禍々しい闇は、一度、完全に払拭された。聖剣から放たれる、生命の息吹に満ちた、力強い翠色の光。それは紛れもなく、リアン自身の魂の色だった。


 彼の脳裏に、数多の記憶が、奔流となって流れ込む。創始者アルトリウスの、友を犠牲にした日の慟哭。歴代の勇者たちの、若くして散っていった無念。そして、フィーリアの、どんな時も彼を信じ続けてくれた、温かくて切ない祈り。

(俺は、一人じゃない…)

 リアンは、自分が、数多の魂の想いを背負って、今、ここに立っていることを、改めて自覚した。


 その、覚醒した彼の背中に、アレスの声が響いた。

「――行けるか、リアン」

「ああ。なんだか、今なら、何でもできる気がする」

 リアンは、振り返らなかった。だが、分かった。隣に立つこの男の魂が、自分と全く同じものであることを。そして自分以上に、深い絶望と、永い孤独を乗り越えてきたことを。


「行くぞ!」

 二人は、同時に地を蹴った。

 その瞬間、絶望に満ちていた戦場は、反撃の舞台へと、その姿を変えた。


「うおおおおおっ! リアンたちの邪魔は、させねえぜ!!」

 最初に動いたのは、レオだった。

 彼は、魔王が生み出す無数の影の触手や、小型の魔物の群れに対し、自ら、その身一つで突進していく。彼の拳が影を砕く、鈍い衝撃音。触手が彼の鋼の鎧を抉る、嫌な感触。口の端から流れる血の匂い。しかし、彼は一切怯まない。その瞳には、恐怖ではなく、仲間を守るという、揺るぎない覚悟の炎が燃えていた。

(小難しいことは、分かんねえ!)

 彼の魂が、叫んでいた。

(けどよ、リアンの奴、やっと、俺たちの知ってる、あのいい顔しやがったんだ。だったら、俺の仕事は一つだけだ! こいつらが、アイツに届くまでの道を、この身体で、こじ開ける!)

 彼は、全身の闘気を、黄金のオーラとなって解き放ち、決して倒れない「不動の壁」として、その場に仁王立ちした。


「本当に、死ぬわよ、あの脳筋ゴリラ…!」

 リナは、悪態をつきながらも、その両の手を、寸分の狂いもなく動かしていた。

 彼女は、魔王の「概念的」な性質に、誰よりも早く気づいていた。

(物理攻撃だけではダメ…再生を阻害し、その存在法則そのものに干渉しなければ…!)

 彼女は、レオが作る、ほんの僅かな時間を利用し、複数の精霊魔法を、まるで精密な刺繍を編み上げるかのように、同時に、そして緻密に編み上げていく。

「風よ、彼の視界を惑わせ! 水よ、仲間の傷を清めよ! 大地よ、我らが足場を固めよ!」

 彼女の祈りに応え、風と水と大地の精霊たちが、戦場を舞う。それは、もはや単なる援護ではない。戦場の「理」そのものを、彼女が書き換えているのだ。

(信じるしかない。彼が作る、あの一瞬を。リアンが、あのアレスという男と共に、核心を突くまで、この戦線を、私が維持する!)

(見せてあげるわ、リアン。あなただけが、成長したわけじゃないってことを!)


 そして、祭壇の影から、もう一つの光が、放たれた。

 闇の光が。

「これが…僕の、罪滅ぼしだ…! 喰らえ、闇の槍(ダーク・ランス)!」

 立ち上がったカイが、震える手で、その剣を魔王へと向けていた。

 彼は、自分が呼び出してしまった災厄を前に、その罪の重さに、押し潰されそうになっていた。しかし、見下していたはずの者たちが、命を懸けて戦う姿を見て、彼の心に、最後に残っていた、ちっぽけなプライドが、別の形の炎となって燃え上がったのだ。

 彼は、魔王の力を一部取り込んでしまったがゆえに、その弱点――核の周囲の魔力循環の、僅かな歪みを、直感的に理解できていた。

 彼が放つ闇の魔法は、魔王の影の再生を、確かに、そして的確に、阻害していた。

(フィーリアは、僕を選ばなかった。リアンは、僕を超えていった…。そうだ、僕は、完膚なきまでに、負けたのだ)

(だが、このまま、全てを終わらせる敗北者でいるつもりはない。せめて、最後くらい、天才カイ・ヴォルファードにふさわしい、舞台を用意させてもらう!)


 その、全ての仲間たちの想いを、フィーリアの祈りが、一つの巨大な光のドームとなって、優しく包み込んでいた。

 彼女は、自らの神聖なエーテルの全てを、仲間たちを守るため、そして、リアンとアレスの力を増幅させるために、惜しげもなく注ぎ込んでいた。

 彼女の額には、玉のような汗が浮かび、その顔は蒼白だった。しかし、その表情は、どこまでも穏やかで、そして、誇りに満ちていた。

(行け、リアン。私の、勇者様…!)


 仲間たちが作り出した、ほんの数秒の「道」。

 四色の光が交差する道を、リアンとアレスは、二つの流星となって、駆け抜けていく。

 リアンの聖剣が放つ、生命の息吹に満ちた翠色の光。

 アレスの黒い剣が放つ、全てを断ち切る静寂の闇。


 二つの相反する光と影が、互いの残像と交錯しながら、一つの、完璧な螺旋を描く。

 もはや、言葉は不要だった。

 アレスの動きが、リアンの動きを導き、リアンの力が、アレスの消耗した器を支える。過去と未来が、完全に一つになる。


(ありがとう、みんな。そして、ありがとう、アレス)

 リアンは、心の中で叫んだ。

(あなたが誰なのか、俺にはまだ分からない。でも、あなたが俺に教えてくれた、全ての意味が、今なら分かる気がする)


(行け、リアン)

 アレスの魂が、応える。

(お前はもう、俺を超えた。お前こそが、フィーリアと、この世界を救う、ただ一人の勇者だ)


 二人の剣が、ついに、魔王の、禍々しい光を放つ、その核へと、到達する。

 最後の戦いの、本当の火蓋が、今、切って落とされた。

 二人は、同時に地を蹴った。

 二つの相反する光と影が、互いの残像と交錯しながら、魔王の影の巨体を、まるで神々の剣舞のように、切り刻んでいく。


 リアンには、アレスの次の動きが、まるで未来の自分と踊っているかのように、手に取るように分かった。思考ではない。魂が、直接理解しているのだ。アレスが右から斬り込めば、リアンは左からその死角を突き、アレスが上段から剣を振り下ろせば、リアンは下からその体勢を崩す魔法を放つ。

 これが、アレスが俺に叩き込んでくれた、本当の戦い方。

 これが、俺たちの、魂の共鳴。


「うおおおおおっ! !」

 レオが、大地を砕くほどの拳を、魔王の足元に叩きつける。

「風よ、彼の動きを縛れ! 水よ、我らに癒しを!」

 リナの詠唱に応え、精霊たちが、魔王の巨体に、風と水の鎖となって絡みつく。

「これが…僕の、罪滅ぼしだ…! 喰らえ!」

 カイの瞳に、初めて、誰かのための光が宿った。彼の放つ贖罪の闇が、魔王の影の再生を、確かに阻害していた。

 そして、フィーリア。

 彼女の祈りは、聖なる光のドームとなって、戦場の全てを優しく包み込んでいた。傷は癒え、力は増幅されていく。彼女こそが、この戦場の、揺るぎない心臓だった。


 俺たちは、一人じゃない。

 六色の光が、今、一つとなって、巨大な闇へと立ち向かう。


「オオオオオオオオオオオッ!」

 魔王が、苦悶の咆哮を上げた。

 仲間たちの完璧な連携と、二人の勇者の剣舞によって、その影の巨体は、ついに、崩壊を始めたのだ。

 腕が、脚が、そして胴体が、光の中に、塵となって消えていく。


「やったか…!?」

 レオが、歓喜の声を上げる。

 だが、アレスだけが、その表情を崩さなかった。

「――まだだ! 全員、退がれ!」


 アレスの絶叫と同時だった。

 崩壊していく魔王の、その核となる部分――カイの憎悪を吸い込み、凝縮された闇の中心が、不気味な笑みを浮かべたように、見えた。


『見事だ、アークライトの末裔よ…』


 その声は、もはや物理的な音ではない。全ての者の、魂に直接響く、精神感応だった。


『だが、我一人では逝かぬ。この世界、この時空そのものを、我が墓標として、道連れにしてくれるわ!』


 魔王の核が、ブラックホールのように、周囲の全てを吸い込み始めた。

 魔力、光、空間そのものが、悲鳴を上げて、その一点へと捻じ曲げられ、圧縮されていく。地下祭壇が、時空崩壊の中心点と化していた。

 レオの拳も、リナの精霊も、カイの魔法も、その絶対的な引力の前には、木の葉のように無力だった。

 誰もが、今度こそ、世界の、そして自分自身の、完全な終わりを、覚悟した。


「…ここまでか」

 リアンは、聖剣を杖のように突き立て、その場に膝をついた。もう、指一本動かせない。

 その、彼の肩を、一つの大きな手が、力強く叩いた。

 アレスだった。

 彼の顔には、不思議なほど、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「リアン。よくやった。お前は、俺がなれなかった、本当の勇者だ」

「アレス…? 何を…」

「俺の役目は、ここまでだ」

 アレスはそう言うと、リアンの向こう、聖なる光のドームの中心で、必死に祈りを捧げるフィーリアの姿を、一度だけ、優しい瞳で見た。

 その瞳には、リアンには理解できない、数百年分の愛と、感謝と、そして、別れの言葉が込められていた。


「お前なら、フィーリアを幸せにできる」

「待てよ、アレス! 一緒に帰るんだろ!?」

「…俺の代わりに」


 アレスは、リアンたち仲間全員を、自らの刻印魔法で作り出した「時空のポケット」へと、力ずくで突き飛ばした。

 そして、彼は、たった一人、魔王の核――崩壊する世界の中心へと、静かに歩みを進めていく。


(フィーリア)

 彼の心に、愛する少女の名前が浮かぶ。

(お前は、その身を犠牲にして、過去の俺を救ってくれた)

(だから今度は、俺がお前を救う番だ)

 彼の脳裏に、彼女と過ごした、全ての温かい記憶が、走馬灯のように駆け巡る。

(お前のいない未来など、俺には、一秒たりとも、必要ないのだから)


 彼は、自らの仮初めの器を構成していた、フィーリアの魂の欠片と、未来から来た自分の魂の全てを、解放した。


「――還れ、原初の光へ!」


 アレスの体が、眩い、眩い、翠色の光の奔流となって、内側から爆発した。

 その光は、魔王が作り出した闇の引力を、憎しみを、絶望を、全て、優しく、しかし絶対的な力で中和し、共に、無へと還っていく。


 リアンは、時空のポケットから、その光景を、ただ見ていることしかできなかった。

 自分が守られる側で、またしても誰かが犠牲になっていく。

「アレスーーーーッ!!」

 彼の絶叫が、時空の狭間に、虚しく響き渡った。


 光となって消えゆくアレスは、最後にリアンに向かって、満足げに、そして初めて、心からの笑顔を見せたように見えた。



 全てが終わった時、地下祭壇には、完全な静寂が戻っていた。

 禍々しい魔力の気配は、跡形もなく消え去っている。崩壊した天井の穴から、本物の「暁」の光が、一条、また一条と、差し込み始めていた。

 リアンとフィーリア、そして仲間たちは、傷つきながらも、生きていた。

 しかし、そこに、アレスの姿は、もうどこにもなかった。まるで、最初から、そんな人間など存在しなかったかのように。


 リアンは、なぜか、胸に、ぽっかりと大きな穴が空いたような、説明のつかない喪失感を感じていた。

 フィーリアもまた、なぜか、頬を伝う涙の理由が分からなかった。

 ただ二人とも、顔も知らない、名前も知らない誰かに対する、どうしようもないほどの感謝の念が、心の奥底から込み上げてくるのを感じていた。

 何か、とてつもなく大切で、尊いものが、自分たちを生かすために消えていった。その事実だけを、魂で理解していた。


 二人は、互いの顔を見つめ、涙を流した。

 それが、悲しみの涙なのか、安堵の涙なのか、彼ら自身にも分からなかった。



 戦いの後、リアンは聖剣の真の主となった。

 彼は、仲間たちと共に、平和になった世界で新しい未来を歩んでいく。

 もう彼の瞳に、劣等感の影はない。

 ただ時折、夜空で一番明るく輝く星を見上げるたびに、胸がきゅっと、締め付けられるように痛むのだった。

 その痛みの理由を、彼は生涯知ることはない。


 それは彼が英雄となるために、道を示し、その全てを捧げて消えていった、もう一人の自分の、魂の涙だった。

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