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クロイツと言う男

そこに立っていたのは、一人の男だった。 そんな空気の中――

 コン、コン。

 部屋の扉が、静かにノックさ

 あお色の外套。

 擦れた革のブーツに、くすんだ金の肩章。

 全体的に“場違い”なほど、素朴で粗野な印象。

 「……あなたは?」

 

 イヴァリンが問いかけても、男は答えなかった。

 ただ、じっと中を覗き込むように視線を移動させ――

 その目が、セリカに止まった。

 (……この人、誰?)

 セリカもまた、困惑しながらその男を見つめ返す。

 男はにやりと笑った、異質すぎる威圧感ーー

「――お初にお目にかかりるな、王女よ。……いや、何度目かわからねぇな。

 ま、そっちは覚えちゃいねぇだろうが――おねぇさま?」

 

 不意に投げかけられたその声に、セリカも、システィーナも動きを止めた。

 「……オレは、第五王子。クロイツ・アリステーゼさ」

 

「クロイツ……!? まさか、あなたが……?」

 システィーナが思わず呟いた。

 目の前に立つ偉丈夫。

 無造作な黒髪に、皺だらけの軍装。

 笑っているのに、目は獣のようにぎらついている。

 

「信じられねぇかい? これでも――あんたの弟なんだぜ。

 半分、血はつながってるのさ」

 彼は片手をポケットに突っ込み、肩をすくめる。

「ま、ちょいと様子見に来てやったってわけよ」

「……あなたごときが、一体何の用ですの?」

 イヴァリンがすぐに食ってかかる。

 「放逐貴族の分際で、ここに顔を出すなど――」

 その時、クロイツの視線がセリカへと移った。

 まるで値踏みするように、じっと見つめたかと思えば――

 ふっと口角を上げて、にやりと笑った。

「へえ……こりゃまた。すんげぇ混ざり物じゃねぇか?」

 セリカが息を飲む。

「三種……いや、四種か? 魔力と気配がごちゃ混ぜだな。

 これがオレの“妹”だってんなら――」

 

 そこで一瞬、クロイツの目が揺れた。

 何かが脳裏をよぎったような表情。

 女神の“暗示”が、彼のどこかに作用したのかもしれない。

 だが――次の瞬間には、またニヤついた顔が戻ってきた。

「クク……まぁ、いいじゃねぇか」

 

 「これだけたいそうな血を持った妹だ。

  だったら、オレは――オレなりのやり方で歓迎してやらねぇとな」

 どこまで本気なのか、誰にもわからなかった。

 ただ、彼の言葉の中には確かに――何か**“受け入れ”の意思**があった。

 

「オレはオレのやり方で生きてきた。

 それは、誰にも文句は言わせねぇ」

 「――姉上、邪魔したな。

  せいぜい、戻ってきたことを後悔しねぇようにな?」

 そう言って、クロイツは手をひらひらと振りながら、廊下の闇に溶けていった。

 

 誰も、言葉をかけなかった。

 イヴァリンですら、その背中に毒を吐くことはせず――

 ただ、わずかに唇を噛みしめていた。

 システィーナは、黙って彼の背を見送っていた。

  ――あの人は、何も変わっていない。

 けれど、その“変わらなさ”が、今は少しだけ……痛かった。


 廊下でリディアと向かい合うクロイツ。

 リディアの苦言に……

 「おっと、口が悪いなあ、次女さま」

 クロイツは薄く笑って言った。

「放逐“された”ってのは、事実かもしれねぇが――

 **“王子”だぜ、オレは。**忘れたとは言わせねぇ」 

 その言葉に、空気がひやりと冷える。

 

「……実はな、“年齢的”には俺が長男にあたるんだぜ?」

 「でもまあ、素行が悪すぎてな。

  城の坊っちゃんたちには邪魔だったらしい。

  気づきゃ追い出されて、今じゃ風の噂の“厄介者”ってわけよ」

 

 彼は、あっけらかんと笑う。

「なぁ、システィーナ様」

 「オレのこと、笑ってくれるかい?」

廊下ですれ違うリディアは彼を見ながら複雑な感情をいだいただけだった。

 その声には、皮肉と寂しさと、かすかな挑発が混ざっていた。

 「……邪魔者も、ようやく消えましたわね」



 やや引きつった笑みを浮かべながら、イヴァリンは口直しとばかりに紅茶をあおった。

 

「まったく、なんなんですの、あんな男。

 こんな夜更けに、非常識にもほどがあるでしょう?」

 

 吐き捨てるような口調のあと、カップをそっとソーサーに戻す。

 トン、と音が響いて、空気が少しだけ冷えた。

 

「とにかく――もう寝ましょう。明日になれば、すべて忘れられますわ」

 (……忘れられる?)

 セリカは、喉の奥で言葉を噛み殺す。

 “夢じゃない”と分かっていても、全部が悪夢の種にしか見えなかった。

 けれど、それを言葉にすることはできなかった。

 「ふふ。ちなみに――ベッドは三つに分けてありますの」

 イヴァリンがにこやか「……最初は、キングサイズにしようかとも思ったんですのよ?」

 「でも、それでは――あまりに馴れ馴れしいかしらと思いまして」

 そう言って、視線をゆっくりとセリカとシスティーナに向ける。

 まるで何かを試すように、伺うように。

 

「それでは、わたくし――先に休ませていただきますわね」

 そう告げて、イヴァリンはスカートの裾を優雅に摘まみ、部屋の奥へと消えていった。

 

 その背中が見えなくなったあと、セリカとシスティーナの間に、しん……とした静寂が残された。

 (明日になれば、全部忘れられる……?)

  そう呟きかけた言葉は、夜の静けさに溶けて消えていった。に笑いながら言った。

翌日の早朝ーー


「なあ――妹に甘い顔して近づくのは、あんまり感心しねぇな」

 

 低く笑う声が、闇の中から響いた。

 

「っ……貴様、なぜここに!?」

 

 イヴァリンが、甲高く声を上げる。

 だがその声を、男はまるで子守唄でも聞くかのようにスルーした。

 

 ゆっくりと月明かりの中に現れたのは、くすんだ外套を羽織った青年――

 第五王子・クロイツ・アリステーゼ。

 

「クク……こっちの都合で動いて悪ぃな?

 だが、姉妹のお遊戯にしては、空気が悪すぎる」

 

 クロイツはセリカとイヴァリンの間に立ち、ふっと視線を泳がせた。

 

「アンタな、イヴァリン。

 それ、悪趣味だぜ?――この娘は、明らかにお前さんより格上だ」

 

 「……何を――言って」

 

「取り込もうたって、飲まれるだけだよ。

 オレが言うんだ。間違いねえ。

 コイツ、セリカは――**“持ってる”**ぜ。何かをな」

 

 イヴァリンの顔が引きつる。

 

「わたくしが、このような娘に劣っているとでも……?」

 

 「おっと、本音が漏れてるぜ、姉さん」

 クロイツはニヤリと笑った。

 

「セリカの中にあるもんが見えねぇ時点で、

 お前の負けだ。――ま、気づくには、感性が足りねぇんだよ。お嬢様にはな」

 

 「へぇ……面白いですわね」

 イヴァリンは顔を傾ける。唇には、笑み。

 

「セリカ。わたくしにも、それをご教授願えます?」

 

 「え、えっと……そんな、急に言われても……」

 

 セリカが戸惑うのを見て、クロイツが肩をすくめた。

 

「なに、簡単な話だよ。

 魔法か……いや、剣だな。」

 

 「お前の“それ”を見てみたいんだよ、セリカ。

 こいつ――イヴァリンの王宮剣術を、どれだけ簡単にいなすのか、な」

 

 「……馬鹿にして」


 イヴァリンが低く呟く。

 

 だがその目には、怒りと――わずかな興奮があった。

 

 セリカは思う。

 (これって――本当に、お茶会の流れだったよね……?)

 セリカは、静かに腰の鞘に手を添えた。

 そして――抜き放つ。

 

 銀に鈍く輝く、無骨な鉄の剣。

 魔力の輝きも、祝福の紋も、何一つない。

 けれど、その刃には確かな“意志”が宿っていた。

 

「――破魔力も、何もこもってません。ただの鉄の剣です」

「……でも、これしか持ち合わせがないので」

 

 それを見たイヴァリンの目が細められる。

 クロイツが、ニヤリと笑う。

 

「おいおい……マジかよ、それ」

「セリカ、それって――“ラグナロク”じゃねぇのか?」

 

「ラグ……!? あの“空白時代の記録”に出てきた……?」

 

 イヴァリンが目を見張る。

 

「ふふ……なるほど。まさか、貴女がそんなものを……。

 なら、わたくしも本気でお相手いたしますわ」

 

 その指先が、空を撫でる。

 瞬間、魔力が空間をねじ曲げるように渦巻き――

 

「我が名に応えよ、ヴァレリアハート――!」

 

 深紅の魔力が、イヴァリンの手に形を成す。

 血のように紅い、艶めく刃。

 王家の魔導武具にして、“イヴァリンにのみ応える聖剣”。

 

「――こちらは、王家の宝。わたくしだけに認められた、選ばれし剣ですのよ?」

 

 その笑みは、冷たく美しく、そしてどこか寂しげだった。

 

「……いいじゃねぇか。面白くなってきたな」

 クロイツが両手を広げて、二人の間に割って入る。

 

「オレが“審判”を務める。

 一撃入れた方の勝ち、寸止めもアリだ。いいな?」

 

 二人の少女が、互いに距離を取る。

 風が、バルコニーのカーテンを揺らした。

 

「準備は――いい?」

「――ええ。“姉”としての威厳、見せて差し上げますわ」

 

 セリカの手が、無骨な剣の柄を、強く握りしめる。

 イヴァリンの魔力が、周囲の空気を軋ませる。

 

――夜の静寂を切り裂くように、決闘の時が、訪れようとしていた。

「では――このわたくしから、チャンピオンに挑ませていただきますわ」

 

 優雅に、けれど誇り高く。

 イヴァリンは、ヴァレリアハートをその細腕で担ぐように構えた。

 深紅の魔力が、剣身に沿って淡く脈動する。

 

「いきますわよ、セリカ!」

 

 瞬間、風を裂く疾走。

 イヴァリンのドレスが翻り、紅の剣が鋭く横一文字に振るわれる――

 

 セリカは、一歩。

 ただ一歩、足をずらすだけで、それを躱した。

 

 「っ……!」

 イヴァリンの目が見開かれる。

 

 次いで、縦斬り。踏み込み。

 さらに三度、斜め上からの追撃!

 

 ――しかし。

 

 セリカの鉄剣は、音もなくそれらを受け流した。

 魔力も煌きもないただの剣が、宝剣をいなす。

 その姿はまるで、“剣そのものに愛されている”かのようだった。

 

 三手目の接触ののち、イヴァリンは思わず後ろへ跳んで距離を取った。

 

「な、なんてことはない、軽い剣技……っ」

「けれど……全く勝てる気がしませんわ……!」

 

 胸の奥に、焦燥が湧く。

 (わたくしだって、ちゃんと習ってきた。

  王宮の家庭教師から、剣も魔法も、礼儀作法だって……!)

 

 なのに、なぜ?

 

 (この娘の……動きが、“答えて”こない!)

 

 リズムが掴めない。呼吸が合わない。

 ――まるで、そこに“芯”がない。

 けれど確かに、剣筋には“意味”がある。

 何度も打ち払っても、重さの“芯”を外されている感覚。

 

「く……う、悔しいですわ……っ!」

 

 頬を紅く染め、イヴァリンは剣を持ち直す。



 まるで、剣ではなく自分の存在を――押し返されたようで。

「――おっと、こりゃ勝負にならねぇなあ」

 

 クロイツの呆れたような声が、沈黙を切り裂いた。

 イヴァリンはピタリと動きを止める。

 その視線が、ちらと兄の方を睨んだ。

 

 「宝剣だからって、ちょいと期待したんだが……」

 「悪ぃが、格が違いすぎるぜ、イヴァリン」

 

 その言葉に、イヴァリンの指がわずかに震える。

 

 「ラグナロクも、ただの飾りってわけじゃねぇってこった。

  魔力も、祝福もねぇのに……」

 

 クロイツは、セリカの剣先を見つめていた。

 その目に宿るのは、驚きと興味、そしてわずかな畏怖。

 

 「――なあ、セリカ」

 「お前、血が混ざりすぎててもう“人間”に見えねぇわ」

 

 くつくつと笑う声が、夜風に乗って響く。

 焚火のように、どこか乾いた、けれど熱を孕んだ嗤い。

 

 「魔族? 精霊? 神子? それとも――もっと違ぇ何かか?」

 「まあ、どっちにしても。お前……」

 「俺の妹にしては、洒落にならねぇバケモンだぜ」

 

 静寂。

 イヴァリンは唇を噛み、ヴァレリアハートをおさめる。

 その顔には、悔しさと認めたくない感情が交錯していた。

 

 ――そしてセリカ自身も、複雑な気持ちを抱えていた。

 勝った。でも、

 「なにかを証明できた」感覚は、まるでなかった。勝てた。けれど――

 

 (……相手が、実戦を知らないお嬢様だったからだ)

 

 セリカは、剣をおさめながらそう思った。

 イヴァリンの一手一手には“型”があった。華やかで、よく整えられたものだった。

 けれどその刃には、“傷”がない。“痛み”がない。

 ――戦いの中でしか培われない“何か”が、欠けていた。

 

 それでも。

 

 (……この人の“意思”は、揺らいでない)

 

 イヴァリンの瞳は、勝敗を受け入れてなお、燃えていた。

 彼女の中には――まだ“戦う理由”が、確かに残っている。

 

 (……また、来る)

 

 きっとそう遠くない未来、再びこの剣は交わることになる。

 そのとき、イヴァリンはどうなっているのだろうか?

 

 ヴァレリアハート。

 その深紅の輝きが、ふいに――かすかに、陰った気がした。

 

 「おやおや……」

 

 クロイツの乾いた声が、夜風の中で響く。

 

 「もう墜ちるのかい、イヴァリン」

 「ったく、お前もお前で面倒くせぇな」

 

 そう言って、彼はくつくつと笑いながら、セリカの背中をひとつだけ、ぽんと軽く叩いた。

 

 「覚えとけよ。お前、誰よりも“目をつけられやすい”立場になっちまったんだからな」

 

 それが――

 祝福なのか、呪いなのかは、まだわからない。

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