58:仮免教習
「わたし、馬車に乗るのは久しぶりです。五年ぐらい前にマイケへ研修に行ったとき以来かも」
ラバーから街道を外れて南のケンジョーへと緩やかな坂道を登っていく乗り合い馬車に揺られながらゼナが言った。
「あたしは隊商と一緒に移動するとき時々乗せてもらったりしたけど、こういう屋根のない乗合馬車ははじめてかも」
商人の娘ウーラはさすがに時々馬車を使ったこともあるようだ。
「俺も移動途中にちょうどよく方向が一緒の隊商がいたとき乗せてもらったことがあるな。ブライスはどうなんだ」
「事務方は街の外まで出ることも稀ですからわたしも冒険者をやっていたとき以来の数年ぶりですな。しかしその頃よりもむしろ安い気がしますが」
元冒険者のブライスも事務員として会計担当になってから久しぶりだというが、記憶にある価格と比べて違和感を覚えているようだ。すると二人組の御者の年かさのほうが振り返って話しかけてきた。
「ケンジョーでは馬の育成や乗馬の訓練だけじゃなくて馬車の扱いも教えてますからね。このコースはその訓練も兼ねてるんでお安くなってるんですよ」
「ほう、それではそちらのお若い方が訓練中ということですかな」
「ええ、実は今日がはじめての実地なんですが見ての通りお客さんと雑談する余裕も無いようでして」
若い方の御者は自分のことが話題になっても緊張した面持ちでガッツリと前を見たままだ。それを見ながら俺も疑問に思ったことを聞いてみる。
「もしかしたらここの道が街道並みに広くてしっかりしているのもその訓練のためなのか?」
「ええ、年に一度ぐらいは私たちで総点検しますし問題に気がついたときにはすぐに手入れするようにしています」
年かさの御者がそう答え、さらに続けた。
「まあ実際に馬車を扱うとなれば街道ばかりじゃないんでわざと悪い状態にした訓練用の道もあるんですけどね。そちらは一般のお客さんは乗せませんよ」
それはそうだろう。そんなわざと作った悪路で客から料金取るわけにはいくまい。
「ところで皆さんは今回はどういったご要件で。この先は馬に関係するところがほとんどですけど」
年かさの御者が訊いてきた。まあ確かにちょっと妙な組み合わせだ。
「俺は伝令人なんだがこの間の仕事で早馬をやってるやつにちょっと借りができてな。なにか礼が欲しくないかと訊いたらケンジョー産の馬の手入れ用品が欲しいと言われてな。その買い物と、近くに温泉があるっていうから冒険者ギルドの職員旅行の下見だ」
「ああ、なるほど。確かに高価ではなくともこっちで需要があるから他の地域には出ていかない品とかありますね。温泉も少し離れますがいいところですよ。怪我をした馬の保養地にもなっていますし」
馬まで温泉に入るとは初耳だ。さすがに人間と一緒ではないだろうが。
「旅行者向けでしたら乗馬や御者の一日訓練コースもありますよ。冒険者ギルドの人でしたらある程度は扱えるでしょうが、専門家に見てもらうのも良い勉強になりますよ」
たしかに俺も一応乗馬ぐらいはできるが上手い仲間に教わったという程度できっちり訓練したことはない。ちょっと考え込む俺を見た御者はさらに畳み掛けてきた。
「一日コースの申し込みは馬具用品店でも受付できますから、お時間に余裕があるならぜひどうぞ」
そんな売込みも受けながら馬車に揺られて半日ほどでケンジョーに到着した。
◆ーー◆ーー◆
「馬体の手入れ用ブラシセットですね。ありがとうございます」
ケンジョーに着いてまずは目的の品を調達した。思っていたよりもブラシの種類があるのには驚いたしそこそこの値段はするがこれも円滑な人間関係のためだ。
「あと、ここで一日訓練コースの受付もしてもらえるって聞いたんだが、詳しい説明は聞けるか?」
「はい、こちらが一覧になります。大きく分けて騎手コースと御者コースの二つで、それぞれ未経験者にとりあえず一通り教える一日コースとある程度の経験者に助言を行う午前か午後の半日コースがあります。どちらをご希望ですか?」
料金表を見ると半日コースで一回分、一日コースだと一日分ぐらいの食費程度だった。四人で相談して俺とウーラの伝令人組は騎手コース、ゼナとブライスの事務員組は御者コースをそれぞれ明日午前で受けることにして料金を払う。
「ではこちらが受講票になります。明日になったら前の通りを右へ行って突き当りの建物へ行ってくださいね」
そう言ってそれぞれに木札を渡される。コース名と番号が書いてあるだけの簡単なものだ。
「では少し早いですが今日は宿を取って夕食まで休みましょうか。ここの名物はスパイスの効いた肉の煮込みらしいですよ」
「いいわね。それ美味しそう」
ゼナから今日の夕食の予定を聞かされたウーラが満面の笑顔で喜んでいる。
そしてその日の夕食では「明日は乗馬の訓練があるんだから」といって酒を飲むことを止められたウーラが大いに嘆いていた。
夕食はいわゆるインドカレーでナンやチャパティで食べる方だと思っていただければ。




