39:昆虫王国
「ここから空中回廊を通ってゾーンの街へいくのでしたら、こちらをお持ちください」
樹上の村ヤドーで一泊した翌朝、朝食を済ませて次の街ゾーンへ出発しようと村の出入り口で守衛の男に声をかけるとちょっと待つように言われて守衛小屋から出してきた陶器の平べったい容器を渡された。
「これはいったいなんなんだ?」
受け取った俺はその妙な容器をしげしげと見る。片手で持てる程度の大きさで蓋には小さな穴がいくつもあいていて、蓋を開けると中には渦を巻いた形状の粘土を乾燥させたようなものが入っていた。それが紐を使って吊り下げられるようになっている。
「ああ、こちらははじめてでしたか。実はこの先の途中の樹で巨大蜂の巣別れが始まっていましてね。タイミングが悪いとその大群に遭遇してしまうので虫除けの香炉をお貸ししているんです。もし群れに遭遇してしまったら中の香に火をつけて、できるだけ離れてゆっくりと通過してくださいね。向こうに着いたらあっちの守衛小屋へ返却していただければいいですから」
守衛はそういうと小屋へ戻っていった。
◆ーー◆ーー◆
「わざわざ警告して香炉を貸してくれるほど巨大蜂ってのは危険な魔物なのかな」
移動中に俺が口にした疑問にはジョウが答えてくれた。
「巨大蜂はただ身体が大きい蜜蜂でこちらから刺激したりしなければ危険じゃないぞ。魔法使いたちがいうにはあの大きさで飛ぶには魔力を使わないと無理だから魔物扱いだっていうが、別に魔法で攻撃してくるわけでもない」
「『刺激しなければ』ってことは、刺激したら危険なんですかー」
あまり危険さを感じさせない口調でネイが問いかける。
「うっかり攻撃して敵と見なされると一斉に襲いかかってきて刺されるそうだ。その辺も普通の蜜蜂と変わらないが、なにしろ身体が大きいからな。刺した部分は大怪我だし毒液も大量だからうっかりすると死にかねない」
「敵と味方がわかるぐらい頭がいいのか」
「仲間の体液の匂いで攻撃的になるらしい。だからうっかり傷つけて体液が付くと標的にされる」
「それじゃあ弓矢や魔法で遠くから攻撃すればいいのではー?」
「巣別れの時期の群れは百匹近いからな。矢の数も魔力も普通じゃ追いつかないだろう」
「広範囲魔法で一気にというのはどうだ?」
「それならなんとかなるかもしれないが、そもそもこちらから積極的に狩る必要が無いからな。それにあいつらのため込む蜂蜜は天然物の最高級品として珍重されているんだ。うっかり大量虐殺すると回廊から放り出されるぞ」
話をしながらしばらく進むとヴーンという感じの低い音が聞こえてきた。
「どうやら巣別れの群れが近いようだな。慎重に進むぞ」
ジョウの警告に従って周囲を警戒しながら進む。
「虫除けを焚いた方がいいんじゃないですかー」
「十分離れて通り過ぎられるんなら無駄になるからな。まずは様子を見よう」
しばらく進むと音の方向もわかってきた。幸い回廊からはだいぶ離れた上の方だ。
「結構離れてるのに蜂の形がしっかり見えますねー」
確かに人間の身長の10倍ほど離れているのに蜂だとしっかりわかる。
「一匹が人間の頭よりも大きいからな。あれがこれだけ集まっているとさすがにちょっと気持ち悪い」
一つの群れは100匹以上だというが、それが一塊となってうごめいているのは不定形の魔物のようでもあり確かに気持ち悪い。いや、巨大蜂自体も魔物ではあるが。
「ゆっくりとだが下に動いているようだな。チャック、一応虫除けに火を入れてくれ」
「了解」
火口箱を取り出して火種を起こし香炉に火を入れると煙とともに妙な香りが漂い始めた。巨大蜂の様子を見るとなんとなく下降速度が遅くなっているような気もする。
「もう寄ってこないと思うが気を引かないよう慌てず通り過ぎるぞ」
ジョウに続いて進んでいくが、さすがに群れの真下を通り過ぎるときはかなり緊張した。見上げると目が合ったような気もするし。しばらくは全員が無言のまま静かに進んで、数百歩ほど離れてようやく息をついた。
「これってもう消してもいいのか?」
香炉を見せながらジョウに尋ねる。
「そいつは長持ちするように作ってあるからそのままで構わないぞ」
その言葉通りにまだ香が燃え尽きる前にゾーンの街に到着したので守衛小屋へ香炉を返しに行く。
「おや、香炉を使われたということは巣別れの群れに遭遇されたんですね」
守衛はそういうと香炉の蓋を開けて中の香を確認する。
「燃え残りがこのぐらいということは、遭遇したのは結構向こう寄りですね。何本目の樹だったかは覚えていらっしゃいませんか?」
「あちらから数えて12本目だ。上から下に移動していた」
そう答えたのはジョウだった。
「それはありがたいです。ごくろうさまでした」
街に入って休憩したところでさっきのやりとりについてジョウに質問してみた。
「巣別れがおこったっていうことは手薄になった大きな巣があるってことだろう。天然蜂蜜を採取する好機っていうことらしい」
なるほど、香炉の貸し出しにはその位置を確認するという意味もあったようだ。
仕事しながらぼんやりと構想して週末更新がパターンになってきた。




