16:海洋気候
クバンを出発してからしばらくして、なんだか生臭いような妙な匂いがするようになってきた。
「そろそろ潮の香りがしてきたわね」
同行者のウーラが言う。なるほど、これが海の匂いなのか。潮の香りという言い回しも覚えておこう。そろそろ海が近くになってきたようだ。
「陸の方とは木の種類も違うでしょ。海風に強い樹じゃないと大きくならないのよ。こういうのを見ると帰ってきたっていう気がするわね」
俺からすればこの景色は珍しいものだがこちらで育ったウーラにはこの景色こそが馴染みのある風景なのだろう。
「あとはそうね、鳥の種類も陸の方とは違ってくるわね。魚を狙う海鳥が多くなるわ。小鳥は割とどこでもいるけど」
ウーラは珍しがっている俺の様子を見てか海に近い土地の特徴をいろいろと解説してくれる。言われてみると上空で旋回している鳥は陸地の方だとあまり見たことがない種類だ。
「海鳥って、うまいのか?」
疑問に思ったことを尋ねてみる。
「うーん、あんまり食べるために狩るってことはないわね。こっちの方だと体力に自信がある若い人は漁業の方にいっちゃうし。食べられないことはないだろうけど」
なるほどそういうものか。まあウーラを置いて狩りに行くわけにもいかないから今は試すこともないが。
「それじゃあこっちのほうだとやはり食べるのは魚がメインになるのか?」
「他の街と比べると多いと思うけど、家畜も飼えるからお肉だって出るわよ。牧草が育ちにくくて大変らしいけど、海が荒れても大丈夫だし」
「なるほど。じゃあ次のイドリの村の名物料理とかは?」
「名物となるとやっぱり魚になっちゃうわね。この街道は内陸から来る人も多いから魚を期待されちゃうのよ。でも、だんだんと魚も変わっていくわよ」
「変わっていくというのはどういうことなんだ?」
「保存性の問題ね。港に近いほうだと新鮮なまま使うものが多いけど離れるほど保存性高いものになるの。ここまでだと干物や濃い塩漬けだったでしょ。イドリやその先のトクヤあたりだと酢漬けや油漬けみたいな汁気の多いものが増えるわ」
「ほう、それもやはり酒が進みそうな感じがするな」
「そうよ。いいお店を案内するから期待しておきなさい」
イドリでの昼食は油漬けの小魚をソースに使った麺料理だった。香味野菜がたっぷり使われていて風味がいい。
「お酒がすすむ料理なのに一杯しかダメだなんてー」
「今日はまだ先へ進むんだからな。夕食のときは好きに飲んでいいから」
今朝も二日酔いの様子はなかったし、晩は好きに飲ませてもいいだろう。
「じゃあ今日も同室ね。宿代浮かす分だけ飲むんだから」
「やっぱりそうなるのか。まあ飲んでしまえばあとは寝るだけだからかまわんが」
早々に寝てしまうのはウーラの方で、俺は道具の手入れなどもしてから寝るが。
「昨日も何もしなかったもんね。意外に紳士だったりする?」
「会ったばかりの素人さんに手を出すのはリスクが高いってだけだ。女の子自体は好きだぞ」
昨日会ったばかりの相手にする話ではない気もするが振ってきたのはあちらだし、変な嘘をつくこともないだろう。そんな話をしているうちに料理も食べ終えたので店を出る。
次のトクヤの村までは遠くに野犬らしい影が見えたりもしたがこちらに向かってくることもなく、他に目立ったトラブルもなく進んだ。
「ここは宿をやってない小さい酒場の方がいいのがそろってるの」
おすすめに従ってこぢんまりとした店に入る。おすすめは酢漬けの魚をメインにした料理と強めの透明な酒だった。酒を小さめの器に少しずつ注いで料理をつつきながらチビチビと飲む。元の魚は結構クセが強いらしいが酢漬けにすることでさっぱりと食べられるのだという。ウーラは酒の追加もしていたが俺はほどほどにして炊いた米を頼む。思った通りこの料理は米にもよく合った。
酒のおかわりを三回したあたりでウーラが限界を迎えた。俺の分はしっかり払うとしてウーラの分も立て替えようかと酒場の主人に告げたら、彼女の分はツケでいいという。
「ウーラさんにはお世話になってるからね。素性もわかってるからあとで請求するよ」
さすが常連客だと感心しつつ、ウーラに肩を貸しながら宿に戻る。二階の部屋まで運ぶのはちょっと大変だったがなんとか担ぎ上げ、ベッドに押し込んだ。靴も脱がせていないがまあいいだろう。
俺の方は短剣などの装備を外して硬質革鎧も脱ぐ。屋外で夜営するならもちろん鎧は着たままで寝るが、さすがに宿のベッドなら身軽な服装で寝たい。それからナヤマでもらったアドバイスに従って装備品の手入れをする。潮風を浴びた装備の金属部分を一度綺麗に拭いて、もう一度油を塗る。そこそこの手間だがあとになって傷んでくるのが怖いので入念に。手入れが終わったら簡単に柔軟運動をして凝った身体をほぐしてからベッドに潜り込んだ。
「日本酒」とか「味噌」とか「醤油」とか使っちゃいたくなるけど我慢してそれっぽい表現に。なるほど、異世界転生でこっちの知識がある人間が送り込まれている世界ってのは便利だわ。でもここではできるだけ使わないでがんばる。ただ動物植物類は『こちらの世界でそう呼ばれているものに類似したあっちの世界の動植物』ってことで一つ。