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君の隣で眠らせて  作者: 上丘逢
9/19

触れ合い

 それから、通勤電車も絢音と待ち合わせて乗るようになった。

 肌寒くなり、そろそろマフラーが必要になった頃には、絢音が晃宏のことを名前で呼ぶのは当たり前になり、契約以外でも隣に座るようになった。


 それは夢みたいなひとときで、晃宏の心を暖かくした。


「付き合ってるってことでいいんですかね?」

「俺が知るか」


 末広とのいつもの昼食でついぼやくと、一刀両断にされた。


「付き合ってくださいって言えばいいだろ」

「それがすんなり言えるなら、これまでにこんなに悩んでいないですよ」


 いくら体調がよくなったとは言え、まだ無理をすれば寝込むくらいだ。


「軽く言えるような言葉じゃないんですよね」


 今なら付き合えるとは思う。けれど、付き合って、やっぱり付き合いきれないなと思われて、別れを切り出されたら、もう立ち直れない。


「重く言えばいいだろ」

「言葉遊びじゃないんです。重く言うってことは、重く受け止めて欲しいってことですからね」


 それを言っても許されるほど、絢音に受け入れてもらえているのか、わからない。


「でも、そのうち、手を繋ぐくらいじゃ満足できなくなるぞ」


 末広が蕎麦をすする。

 そうだろう、と思う。今は手を繋いで名前を呼び合うだけでも、幸せだと思える。自分の絢音への好きだという気持ちを満たすことができる。


 けれど、もっと、触りたくなったら。近くに行きたくなったら。隣に座るだけでは満足できなくなったら、どうすればいいのだろう。


「末広さんはどう折り合いつけてるんですか?」


 末広が蕎麦をすする手を止めた。

 ゆっくりと噛み締めるように蕎麦を噛み、ゴクリと喉を鳴らして飲み込んでいる。


「なんの話だ?」

「いえ、何もないならいいです」


 晃宏も蕎麦をすする。冷たい麺が喉を通っていく。食欲も前よりはだいぶ出てきているし、 胃がひっくり返るようなことも少なくなった。


「始まってもないからな。つける折り合いもない」


 蕎麦をすする手が止まる。


 末広がぼやくのは珍しい。蕎麦をじっと見ていた末広はやけになったように、麺を口に詰め込む。

 そんな姿も品が悪く感じないのは、末広の質の良さのようなものだ。


「始めないんですか?」

「お前、余裕でムカつくな」


 末広が晃宏を軽く睨む。


「仕事以外で会う機会がなかなか作れないからな。仕事の時は、どっちもモードが違うし」


 このまますれ違って終わりそうだ。

 そう言う末広の表情は笑っているのに泣き出しそうだった。



 絢音との土曜日のいつもの電車での睡眠のあとは、何も言わなくてもご飯に行くのが普通になった。

 晃宏も最近は体調がかなり良い。無理をしなければ、1日しんどいと思わずに過ごせることも多くなった。


「クリスマス会ですか?」


 絢音がマフラーを外しながら晃宏に聞き返す。今日は和食料理だ。座敷もある料理屋で、夜は居酒屋もやっている。


「はい。体調もだいぶよくなってきたので、僕の家でクリスマス会をしたいな、と思っていて。末広さんと天宮さんも呼んで。楽しそうじゃないですか?」

「楽しそうですけど……」

「本当に、ご飯を食べるだけになると思うんですけどね。飾り付けもなしかな。お昼からやって、夕方には解散みたいな、あんまりクリスマス会っぽくないんですけど」


 それくらいなら、晃宏の体調も持つはずだ。最悪倒れても自宅なら、皆にそこまで迷惑をかけることもないはず。


「何かあるんですか?」

「え?」

「晃宏さんがそんな風にイベントをやりたいって言うの、珍しいですよね。なんだか、無理してません?」


 映画やご飯にはたまに行くけれど、基本は体調の心配をよそに何かをしようとはしない。絢音はよくわかっている。


「絢音さんは、僕がそういうのやるの反対ですか?」


 もちろん、末広と天宮がこれをきっかけに少し近づいたらいいなとは思っている。


 けれど、一番大きいのは、絢音とクリスマスを過ごしたかったからだ。

 二人で過ごすには少し甘すぎるイベントは、四人なら楽しく過ごせる気がする。


「まさか。嬉しいですよ。晃宏さんと一緒にクリスマスできるの。でも、無理したら元も子もないですからね」


 店員が水を持ってきてくれるのに合わせて料理を頼む。魚の美味しい店なので、絢音は焼き魚定食、晃宏は刺身定食だ。ご飯を食べきれないことも減った。新鮮な魚をちゃんと美味しいと思いながら、苦痛なく食べられるようになった。それも全部、絢音のおかげだ。


「絢音さんと、クリスマスを過ごしたかったからです」

「また、そういうこと言う」


 絢音が照れた顔を伏せる。その顔を見せられると、もっとその顔が見たくなる。


「あと、末広さんと天宮さんがちょっとうまくいけばいいな、というお節介をしようと思ったからです」

「天宮と末広さん?」


 絢音に末広の様子をかいつまんで話す。まさか末広が天宮に気があるとは言えないので、ちょっとコミュニケーション不足なところがあるようだと伝えると、絢音は合点がいったように頷いた。


「ああ、なるほど。コミュニケーションですね」

「はい。天宮さんには迷惑ですかね? どう思います?」


 晃宏の見立てでは、天宮もまんざらでもないと思っているが、そこまで天宮の様子を見ているわけではないので、晃宏も少し不安はある。


「迷惑じゃないと思いますよ。天宮ももっと末広さんと話したいみたいです」


 それを聞いて安心した。


「じゃあ、私は準備をお手伝いするんで、天宮は末広さんと一緒に来てもらうようにしましょうか」

 絢音がさっそく天宮に連絡し始める。


「いやいや、準備はしに来なくて大丈夫ですよ」

「なんでですか? 天宮と末広さんが二人でくる方がいいですよね? 飾り付けくらいならやりますよ」


 察しが良いし、気遣いもありがたいけれど、絶対によくない。

 絢音が一人で準備にきたら、晃宏の部屋に絢音と二人きりになる。


 それで何もせずにいる自信はない。触りたくなるのを抑える自信がない。


「みんなでやれば良いですよ。僕が駅まで絢音さんを迎えに行きます。末広さんは僕の家を知っているので、連れてきてもらいましょう」

   

 

 集まるのは12月21日になった。当日には少し早いけれど、クリスマス前後で大晦日にかからない休日といえばこの日しかなかった。


 それでも、毎年この時期には駅前の大木がクリスマスツリーに見立てられて、飾り付けされる。集合時間にはまだライトアップされていないが、ベンチに飾り付けのプレゼントが置いてあったりと意匠が細かく、クリスマスムード満載で悪くない。


「私、イルミネーションとか見ると、ワクワクするんですよね」


 新木場駅で待ち合わせた絢音は、大木の下のベンチに座る晃宏に駆け寄るなりそう言った。


「わかります。映画のワンシーンみたいでいいですよね」

「ですよね! あ、今日はお招きありがとうございます」


 絢音が丁寧に頭を下げる。いつもは背中に流している髪の毛をアップにしていて、うなじがなまめかしく見える。グレーのコートにピンク色のマフラーと手袋をしている。


「いえ。来ていただいてありがとうございます」

「末広さん、大丈夫そうでしたか?」


 その件に関してはため息しか出ない。


「あの人が借りを作るのが嫌で、ガンコなのを忘れてました」

「まさか、行かないなんて言われるとは思ってなかったですよね」

 

 行かない、だけでなくバカにしてるのかとまで言われた。

 末広のためじゃないと言葉を尽くして説明して、それこそ手を出しかねないからです、とまで口にして末広の仏頂面はおさまったけれど、今度はそんなヤボなことはしたくない、ときた。天宮を呼んでしまっているのに、ヤボも何もないと思うけれど、要は首を突っ込んでほしくないのだろう。


「天宮さんのこと、大事なんでしょうね」

「そうですね。来てくれることになってよかったです」

 天宮から誘ってもらうと、さすがの末広も断れなかったらしい。


「ケーキだけ受け取りに寄っていいですか?」

「もちろんです」


 末広と天宮とはもう少し後で、買い出しをしてから来てくれることになっている。それまで、出来る限り外で時間をつぶしておきたい。


 絢音の手を取る。絢音の手袋の手触りは気持ちいいけれど、手袋をつけた状態だと、体温が感じられないのが寂しい。


「少しだけ、いいですか?」

「はい」


 絢音がマフラーに顔を埋める。その仕草に身体中が痺れるような気持ちになる。

 手を引いて歩き出そうとしたところで、絢音が立ち止まった。


「どうしました?」

「あの、こうしてもいいですか?」


 絢音が手袋を外して、晃宏の手を握る。

 きゅっと握られた手に、心臓まで握られたような甘い気持ちになる。

 今度は晃宏がマフラーに顔を埋めた。


「行きましょう」


 絢音の手を握ったまま、手をポケットに入れると、絢音の手の体温が少し上がった気がした。



「おじゃまします」


 玄関のドアを開けると、普段はキリッとしている天宮が満天の笑顔だった。反して末広はどことなく仏頂面だ。末広を見ると目をそらされた。


「あ、天宮。食材、預かるよ」


 奥から絢音が顔を出した。天宮の笑顔を見て、絢音も嬉しそうに笑う。


「ありがとう。いろいろ買ってきちゃった」

「チーズ良いね、シャンパンも冷やして良いかな。東野さん、冷蔵庫使っていいですか?」


 絢音がいてよかった。ぼうっとしている晃宏の代わりに、その場をてきぱきと動き回ってくれる上に、場が明るくなる。


「もちろん、好きに使ってください」


 女性陣たちの楽しそうな声を背中で聞きながら、末広に向き直る。


「何があったんです?」

「別に何もない」


 じいっと見ていると、観念したように末広がマフラーを引き上げる。


「年末にデートに誘っただけだ。それで、ずっとあの調子なんだ。こっちの調子まで狂ってくる」


 照れた顔を隠すために、ずっと仏頂面をしていたらしい。末広がそこまで動揺を顔に出すことは珍しいが、ずっとあの感じが駅から続いていたのならわかる気がする。普段クールな人をデートに誘ったら、相手がずっと浮かれているのだ。それは顔もニヤける。


「よかったですね」

「……ありがとな」

 末広がボソリと礼を言う。


「お礼を言うのは俺ですよね。いろいろ買ってきてくださってありがとうございます。俺と絢音さんで行くと、絢音さんがたくさん持とうとしちゃうんで」


 途中で気分が悪くなっても困るし、末広と天宮が引き受けてくれてありがたかった。


「絢音さん、になってるぞ」

「あ」

「俺はいいけど、あんまりあてつけるなよな」


 そういうつもりはなかったが、もう名前で呼ぶのが自然になってしまっている。


「ま、お互い頑張ろうな」

「はい」

「あの二人、結構飲むぞ」

「え」


 部屋に戻ると、天宮と絢音が料理をセッティングしてくれていた。


「あ、自由に取るかんじでいいですか?」

 絢音が大皿に盛ったサラダを見せてくれる。


「いいと思います。取皿出しますね」

 慢性疲労症候群になる前は、自宅でホームパーティをするのも好きだったので、皿の種類は豊富な方だ。


「何か音楽流しますか?」

 クリスマスの音楽を流すと、途端にパーティっぽくなった。

 絢音と即興で行った飾り付けもキラキラと輝いている気がする。


「すごい、一気にムードでますね」

 天宮が末広に笑いかける。末広は、コートを脱ぐのに乗じて顔をそらしている。


「そうですね。昔も一度、東野の家でクリスマスパーティをしたんですよ」

「へえ、仲良しですね」

「あの頃は、僕も元気でしたからね。家も広いところを借りたから、見せびらかしたくてたまらなかったんですよ」


 懐かしい話をしながら、シャンパンを開ける。


「東野さん、どっちにします?」

 絢音がシャンパンの瓶と烏龍茶のペットボトルを掲げる。


「烏龍茶にします。まだお酒はやめておこうと思うので」

 いくら自分の家であれ、倒れてしまったらせっかくのパーティが台無しだ。


「じゃあ、乾杯お願いします」

 年長者であろう末広を促す。


「お酒は程々に。メリークリスマス! 乾杯!」

 乾杯、という声がひびく。カチンと合わせるグラスの音が心地よい。


「天宮、まさか、またお酒飲みすぎたの?」

「聞いてくださいよ、西野さん、この前1クウォーターの完了報告終わったんで、プロジェクトメンバで飲みに行ったら、この人めちゃくちゃ飲みすぎて、泣き出したんですよ」


「だって、仕方ないじゃないですか! やっと動き出した案件の初めての完了報告が終わったんですよ。しかも、皆さん本当に頑張ってくれて」

「感極まって泣いちゃったの? 天宮らしいなあ。でも、本当に飲みすぎたら危ないからね」


 末広は気が気でないだろうに、直接的に止められるわけでもないからか歯痒そうだ。チーターのように最前線を走っていくような女性が、途端に無防備になったら、いいなと思うメンバも一人や二人では済まないだろう。


「まあ、酔ったら末広さんを使うといいですよ。面倒見いい上に、ザルですから」

「そうそう、末広さん、全然酔わないの! めちゃくちゃうちの課長に飲まされてたりするのに」


「ええ、それアルハラ。末広さん、うちの課長が面倒だったら、言ってくださいね。それか、天宮にいえばなんとでもなりますから」

「任せてください! 弱みの一つや二つじゃ足りないくらい、いろいろ握ってますから」


「それ、笑顔でいうことじゃないですよね」

 晃宏の言葉に皆の笑い声が湧く。


 久しく、こんな風に賑やかな時間を忘れていた。病気で伏せっていた、絶望を感じていたこの部屋で、再び笑い声をあげられるとは思っていなかった。朝が来ることに怯えていたのに、布団から出ることが怖くて仕方なかったのに、今は大丈夫だと思える。明日も元気じゃないかもしれないけれど、生きていけると思える。


「晃宏さん、楽しいですか?」

 お皿を下げにいくと、絢音が手伝いに来てくれた。


「はい。楽しくて、一人になるのが今から寂しいくらいですよ」


 晃宏の体調を鑑みて、パーティは3時間としていた。そろそろケーキを食べて、お腹が落ち着くまでゆっくりしたら解散だろう。

 ケーキを取り分けてリビングに戻ると、天宮がテーブルに突っ伏していた。


「天宮さん、寝ちゃいました」

 末広が困ったようにグラスを掲げる。


「もしかして、ウイスキー飲みました?」

「ハイボールですが、ダメでしたか? 美味しそうにぐびっといってたんですけど」

「あー、天宮、ウイスキー好きなんですけど、すぐ潰れちゃうんですよね」


 絢音がテーブルにケーキを置くと、天宮のそばによって揺り動かす。


「天宮、大丈夫? お水いる?」

「あー、ニシノだあ。おみず、ちょーだい」


 へにゃへにゃとした天宮が珍しくてしげしげと見ていると、末広に睨み付けられた。不可抗力だと思うが、気持ちはわかるのでそしらぬ顔をしてケーキを置く。


「ケーキ食べたら、解散しましょうか。天宮さんは……」

「俺が送っていく。駅近かったはずだし」

「天宮、末広さんが送ってくれるって。住所教えていい?」


 水の入ったグラスを渡しながら、絢音が天宮の背中をさする。晃宏が体調の悪い時もよく背中をさすってくれるが、あんな風に、赤子をあやすようにさすってくれているのかと思うと、恥ずかしいようなこそばゆい気持ちになる。


「いいよお」

「末広さんにメールしますね。よろしくお願いします」


 絢音と末広のやりとりを見ながら、天宮はケーキを美味しそうに頬張っている。

 ケーキを食べ終えて一通り片付けを終えると、末広が荷物をまとめ出す。


「申し訳ないんだけど、そろそろお暇しようかな」

「ありがとーございましたあ」

 天宮はまだ笑っている。


「俺も駅まで行きますよ」

「あ、俺たちはタクシーで帰るよ。天宮さん、ちゃんと歩けるか心配だし」

「私は反対方向なので、電車で帰りますね」

 ということは。


「じゃあ、西野さんのことちゃんと駅まで送れよ」

 そう言うと、末広が急ぐように天宮を連れ立っていく。タクシーを電話で呼んでいたらしい。


「晃宏さん、無理しなくていいですからね。駅までの道、わかりますし」

「体調大丈夫ですし、送らせてくださいよ」


 コートを取りに行くときに、散々迷って寝室のクローゼットにしまっていた包装紙に包まれた箱を取り出す。ポケットに入れるとコートがほんの少し重くなる。


「準備できました。行きましょう」

「はい」


 手袋を外したままの絢音の手を見て、ふんわりと心が柔らかい気持ちになる。

 そっと手を握ると、絢音がにっこりと笑った。冬の夕方は足早に空の奥へと消えていって、星が点々と空に浮かび上がって来る。

 新木場駅のツリーの前で立ち止まる。


「きれいですね」


 ライトアップされたツリーは幻想的で、白く吐き出される息が夜の中にひっそりと消えていく。


「絢音さん、今日は楽しかったです」

「こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました」

「ささやかですが、いつものお礼に」


 ポケットから箱を取り出す。指輪をあげるわけでもないのに、ドキドキと胸が高鳴る。


「わあ、ありがとうございます。私も晃宏さんにプレゼント持ってきてたんです」


 絢音が鞄の中から包装紙に包まれた箱を取り出した。


「開けていいですか?」

「もちろんです」

 ツリーの下のベンチに座って、二人でプレゼントを開ける。


「あ」

 二人の声が重なった。

 箱の中に入っていたのは、アロマオイルだった。


「これ……」

「絢音さん、香りが好きだって言っていたので。まさか、同じプレゼントになるなんて思ってなかったですね」

「すごくいい香りですね。香りはリラックス効果も良いっていうので、悩んだんですがこれにしたんです」

「ありがとうございます」


 アロマの小瓶からもれる香りをかぐ。


「なんか、絢音さんの香りに近い気がします」

 絢音が顔を赤くしながら固まる。今の発言は気持ち悪かっただろうか。


「これ、家で使ってるのと同じ香りなんです。すごい自意識過剰なんですけれど、少しは寝やすくなるかなと思いまして……」


 絢音が両手で顔を押さえている。気を悪くしたわけではないとわかって、晃宏は胸を撫で下ろした。絢音が使っている香りなら大歓迎だ。


「ありがとうございます。大事にしますね」


 絢音がそろそろと両手を外す。いつもより少し幼いような仕草は絢音も酔っているからなのかもしれない。


「私も大事にしますね」

「気に入る香りだと良いんですが」

「私が好きなのは、晃宏さんの香りなんですけどね」


 絢音がへにゃと笑ったままに爆弾を投下した。


「え?」

「この香りが好きなんです」


 絢音が晃宏に顔を近づける。

 絢音の頭が晃宏の胸の前にあって、晃宏の体が固まる。

 絢音は鼻歌でも歌いそうなほどにご機嫌に晃宏の匂いを嗅いでいる。


「ちょ、絢音さん、ちか」

「んー」


 あまりの近さに頭がクラクラする。離そうとすると絢音が駄々をこねるように抵抗して、ますます顔を近づけてくる。


「知らないですからね」


 それだけ言うと、絢音を抱きしめる。とても甘い香りがして、この香りを閉じ込めたいと思った。

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