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君の隣で眠らせて  作者: 上丘逢
19/19

眠らせて

 久々に乗る電車の中は想像以上に音が響いて、窓から吹き荒ぶ突風がきつかった。


 絢音に無理やり会いに行って約束を取りつけて、あまつさえ告白まで勢いでしてしまって、正直今日どんな顔をすれば良いのかわからなかった。穴があったら入りたいと何度思い返しては身悶えただろうか。


 けれど、怖いような楽しみなような気分で待っていた晃宏のもとに、初めてのとき見たく駆け寄ってきた絢音を見て、そんなことはどうでもよくなった。


 つないだ手は手袋越しでも温かくて隣に座ったときには、もう一度絢音の隣に座れたことに、胸が熱くなるほどだった。


 けれど──。


 頼りない膝に顔を突き合わせながら目を瞑る。

 自分にほとほと嫌気がさす。格好つけたい日もうまくいかない。

 ぐわんぐわんと鳴るように痛むこめかみをぎゅっと押さえる。体力は電車の中でだいぶ使い切ってしまったのか、眠っていたのにマラソンを走りきった後かのようだ。


 救いは、絢音が晃宏の背中をいつかみたく優しくさすってくれていることだった。

 外の風はどちらかというと暖かくて心地よく、絢音がいる左側もポカポカとしていた。その温もりにも助けられてなんとか持ち直した。


「少し気分が良くなりました」


 体を起こすのには勇気がいったが、絢音は「よかったです」と微笑んでくれた。


「すみません、せっかく来ていただいたのに」


 無理はしないつもりだったが、1周も耐えられなかったのは自分でも少しショックだった。そして、そんな自分に絢音が嫌気がさすのではないかと、また心が縮こまる。


「いえ、そんなことないですよ」


 絢音はあっさりと答えると、前を向いた。釣られて前を向いて、ビルから反射する光に目を細める。


「この景色、すごくキレイですよね」


 絢音が言いたいことはわかる気がする。普通の景色だけれど、じっくり見る世界は不完全に美しかった。


「晃宏さんとでないと見えない世界です」


 絢音が晃宏に笑いかける。

 その顔がぼやけた。思わず、体をおる。


「絢音さんには負けるな」


 ごまかすように上げた笑い声はかすれていなかっただろうか。声は震えていなかっただろうか。

 絢音の言葉が晃宏の縮こまった心を、ささくれそうな思いを柔らかく癒してくれる。


 晃宏の世界を灯してくれるのは、絢音だ。


 晃宏は、片手で頬を覆いながら、もう片方の手を絢音に伸ばした。

 手袋越しでも、その手の温もりがはっきりとわかる。


「絢音さん、このあと時間ありますか?」

「もちろんです」


 絢音がこぶしを作って晃宏に応えてくれる。その姿にまた癒されながら、晃宏は荒く顔をぬぐうと精一杯の笑顔を絢音に返した。




 行き先は新木場にした。電車でもバスでも行けるが、大事をとってタクシーに乗った。


「私、前から思ってたんですけど、このアクリル板、映画の護送車を思い出しません?」

「わかります。金網が普通ですけど、映画のワンシーンで出てきそうですよね」


 話が話だけに、絢音と顔を近づけてひそひそと会話を交わす。絢音の香りがすぐ近くで感じられて、心臓に悪い。ちらりと絢音を伺うと、こちらを見ていた視線がパッとよそを向いた。絢音の頬が心なしか朱に染まる。


「照れてます?」


 あえて耳元でささやくと、絢音が耳を押さえながら、ぶんぶんと首をふった。

 そんな姿も可愛らしくて、少し笑ってしまう。


 汗ばんできた手袋を外して、そっと絢音の手をとった。いつも緩く握る手を絡めて、指をなぞる。絢音がぎゅっと目をつむった。その姿は少し刺激的で気にしてないのを装うように窓の方を向く。神経は全て絢音の手を感じているのに、まるで気にしていませんよと主張するように窓の外を眺めるふりをする。


 そうやって、飽きもせずに絢音の指を触っていたら、新木場駅に到着した。


「もう、晃宏さんっ」


 タクシーから降りると、絢音が晃宏の脇を軽くたたく。


「なんですか?」


 笑いながら聞くと、絢音はふいっと横をむく。


「ああいうのを外でされるのは困ります!」

「ああいうのって?」

「もう、自分に聞いてください!」


 外じゃなければいいのかも聞いてしまいたくなるけれど、そろそろ絢音が本当に拗ねてしまいそうで、やめておいた。


「すみません、少し浮かれてるみたいです」


 そういうと、絢音が仕方ないなというように目を細める。


「どこに行きますか?」

「カフェでいいですか? 倉庫を改装した場所ですごく雰囲気がありますよ。美味しいご飯もあります」


 絢音の顔が明るく綻ぶ。


「いいですね。実は少しお腹空いてきてたんです」


 なんだかんだでもうすぐ11時だ。


「5分ちょっとくらいで着きます」


 開店も11時なので、ちょうど良い距離感だ。駅から遠すぎもせず、かと言って近すぎないので、騒音からは解放されている場所だ。


「お店もやってるんですね」


 店に着くと、まず民芸品やレトロな家具が目に入る。雑貨などを売るスペースとイートインのスペースが半々になっている。開いたばかりの店は少し慌ただしくて、いくつか商品をひやかして見た後に、ゆっくりとイートインスペースに移動する。


「薬膳のご飯とか美味しそうですね」

「体に良さそうですよね」


 豚肉を漢方野菜で煮込んだ料理を頼む。テーブルの上にアクリル板があるのが今のご時世を表している。

 料理が届くまで、他愛もない雑談をする。この調子だったら、絢音に話せるかもしれない。

 今日を、単に絢音に隣に眠ってもらうだけで終わせるわけにはいかない。


 絢音にちゃんと謝っていないし、もう一度隣で寝てもらうのをなあなあに再開するわけにもいかない。それに、もしできるなら。もし、できるならば、一緒にご飯を食べて、一緒に休日を過ごして、特に用事がなくても連絡したかった。契約ではなく、隣に寝てほしかった。病気のときも元気なときも、約束をしなくても隣にいられる存在になりたい。


 ゴクリと唾を飲む。

 心臓を整えながら、タイミングをはかる。


「──」

「豚の薬膳煮込みです」


 思わず、言葉を飲み込んだ。マスクで見えていないだろうに、開いた口を慌てて閉じて、ウエイターに会釈した。

 目の前の料理からポカポカと湯気がのぼる。


「美味しそうですね」


 絢音も目の前の料理をピカピカとした瞳で見ながら、晃宏に笑いかける。

 そうですね、と力なく答えながら、気を取り直す。まだまだ時間はある。


「食べましょうか」


 晃宏の声かけに絢音が嬉しそうに頷く。アクリル板の向こう側で絢音がマスクを外し始める。

 何気なく、眺めていたその仕草から目が離せなくなった。ずっとマスク越しに見ていた顔があらわになっていく様に目がチカチカする。

 絢音の顔にライトが陰影を作る。少し微笑んでいるその表情が柔らかくてじっと見ていると、絢音がこちらを見て笑った。


「どうしました?」


 料理を前に、声が出るか出ないかの音で絢音が晃宏に問いかける。少し上目遣いのその表情に、顔に血がのぼる。


「いえ、大丈夫です」


 何が大丈夫なのか。意味不明な受け答えをしながら、晃宏は自分の料理に向き直る。喉の奥が詰まって、先ほどまでの会話が嘘みたいに、胸の中がいっぱいになりすぎて上手く絢音と話ができない。


「美味しいですね」

「そうですね」


 絢音が気をきかせて話をしようとしてくれているのに、晃宏はそのひとつも広げることはできなかった。ぶつぎりになる会話がだんだんと少なくなっていく。

 続く沈黙が苦しくて、絢音を盗み見るけれど、目が合いそうになって慌てて視線を下げた。


 高校生か、俺は。


 思っていたよりも自分が情けなさすぎる。首を強く振った。さっきまであの手を握って、隣で寝ていたはずなのに。絢音が照れている様子を見る余裕があったはずなのに、絢音がマスクを外しただけでこうなるとは予想外だった。


 ただでさえ、体調を崩してもう嫌というほどの想いを絢音にさせているのに、こんな体たらくではいけない。もう帰りましょう、と言われても仕方ない。まだ、肝心のことも話せていないのに、絢音が帰ってしまいたくなったらどうしよう。


 そんな想いが晃宏の頭をぐるぐると回る。豚の味も薬膳の味もわからない。

 絢音が食べている途中の箸を置いた。


「あの──」

「あ、この野菜すごく美味しいですよ」


 最悪だ。絢音の話を遮ってしまった。けれど、絢音が次こそはもう帰りますね、と言い出しそうで絢音の言葉を聞くのが怖い。


「薬膳の野菜って初めて食べました。あ、絢音さんはどうですか?」 

 矢継ぎ早に出した言葉は薄っぺらくて、嫌な汗までかいてくる。


「私も初めてです」

 そう言って微笑む絢音は少し困った顔をしていて、晃宏は口をつぐんだ。

 特にはずむ話もなく、下を向きながら細々とご飯を食べていると、絢音がマスクをつけて席を立った。


「絢音さん──!?」


 思わず、大きい声で呼び止めると、絢音が驚いた顔をして振り返った。

 どこにいくんですか? とも聞けず呼び止めたまま押し黙っていると、絢音が口を開いた。


「お水、取ってきますけど、いります?」


 その言葉に強張っていた肩が落ちる。はい、と頷くと絢音はわかりましたと言って晃宏のコップも持っていってくれた。

 思わず顔を両手で覆う。どうして上手くいかないのだろうか。病気ということを受け入れてもらうなら、それ以外のことはスマートに完璧にこなしたいのに。


「お水です」

「……ありがとうございます」


 結局、そのカフェでは何も話すことができず、会計をしてしまった。 

 外に出ると、太陽が照りつけるように晃宏の顔にさす。思わず目をつぶっても太陽の光は残像となって目の奥に残る。振り払うように首を振ると、少しクラクラとした。


「大丈夫ですか?」


 絢音が心配そうに晃宏の顔を覗き込む。マスクをつけたというのに、いまだに心臓の音が落ち着かない。必死に平静を保っていた波が、嵐の後にも荒れ狂っているかのようだ。


「はい、大丈夫です」


 せめて笑ってみせる。絢音に情けない姿を見せたままで終わりたくない。


「駅まで送りますね」


 絢音は何か言いたそうだったけれど、見なかったフリをして歩き出した。

 少しでも長く一緒にいたい。その一心で歩を進める。


 絢音も一緒に帰りたくないのだろうか?

 自分だけが空回りしていて、歯がゆい。


 逡巡していたのか歩きためらっていた絢音が意を決したように、小走りで晃宏の隣にすべり込む。それだけで心が少し暖かくなった。

 絢音のわきに垂らされている右手を盗み見る。ジャケットのポケットに入れてしまった手を出して、絢音の手を握るのはハードルが高くて、迷っている間に駅についてしまった。


 駅までの5分の道のりが呆気なく終わる。


 駅前まで行くと、二人で自然とベンチの前で足を止めた。何度となく座ったベンチは以前と変わらずにあって、後ろでは大きな木が枝をこれでもかと広げて緑の扇をつくっている。

 クリスマスに飾り付けられていたあの頃が懐かしい。


「ちょっと、座っていきませんか?」

 絢音にそう言えたのは奇跡だった。


「はい」

 絢音が微笑む。マスクがあるのが恨めしい。たぶん、自惚れじゃなければ、今絢音ははにかんだはずだ。照れくさそうな表情はマスクで隠れてしまって、損したような気分になる。


「絢音さん、今日はありがとうございました」

 改めて絢音に向き直って頭を下げる。


「こちらこそ、楽しかったです」

 絢音の言葉に本当だろうかと卑屈な気持ちが湧き上がる。自分から誘っておいて調子を悪くしたあげく、気の利いた会話もできない。


 いつか嫌われるかもしれない、呆れられるかもしれない。もしかしたら、この瞬間ももう晃宏に付き合うのにほとほと嫌気がさしているかもしれない。


 でも──。


 晃宏は唇を湿らす。


「今日だけじゃないんです」

 手を伸ばすと決めた。誰よりも手を伸ばしてみせると、そう決めた。


「絢音さんは僕に眠る時間だけじゃなくて、希望をくれました」

 絢音が静かに頷く。


「この病気ごと僕を見てくれる、治らなくても受け入れてくれる、寄り添ってくれる人がいる。そういう希望です」


 もしかしたら、一生慢性疲労症候群と付き合って生きていかないといけないかもしれない。晃宏の人生はまだ長くていつも雨が降ってるような道のりで、そんな晃宏にとって、絢音の存在がどれだけ晃宏の心をあたためてくれたか、励ましてくれたか。この道を、たとえ雨がふってぬかるんでいようとも、目の前に続く道を歩いていける。その希望は生きる勇気になる。それを教えてくれたのは、絢音だ。


「絢音さんが僕の隣に座ることを受け入れてくれて、本当に奇跡が起こったと思った。最初は眠れることが嬉しくて、土曜日があると思えば、眠れない日も悲観せずにいられたし、現に体調がよくなった」


 女神みたいな人だと思った。

 晃宏の言葉を絢音は真剣な表情でうなずきながら聞いてくれている。


「ただ、体調がよくなったら、怖くなったんです。もし、隣で寝てもらわなくてもいいくらい、この病気がよくなったら」

 そうしたら、絢音はもう隣に座ってくれないかもしれない。


「そう思うと、怖くて仕方ありませんでした。最初の目的は眠るためだった。でも、途中から、絢音さんの隣にいたくなったんです」

 

 絢音の表情を見るのが怖くて景色を眺める。

 人はほとんど通ってなくて、たまにタクシーが大通りを緩く走り抜けていく。


「絢音さんが笑ってくれていたら嬉しくて、眠るよりも話せたことに喜びを感じるようになって、いつもそばにいてほしくなりました」


 土曜日じゃなくても、契約なんてなくても、晃宏の体調がよくなっても。


「本題を言う前に、お礼を言わせてください」

 絢音に向き直ると、絢音の瞳が潤んでいた。


「絢音さん、いつも僕のことを考えてくれてありがとうございます。体調がわるくなったときには背中をさすってくれて、いつも隣に座ってくれて。何度安心したかわかりません。いつも僕のための荷物を持たせて、隣で眠るのに付き合わせただけで帰っても嫌な顔ひとつせずにいてくれて、あんな風に契約を終わらせたのに見舞いにもきてくれた」

 どれだけの言葉を尽くしたら、この想いが伝わるだろうか。


「今度は、俺が絢音さんを幸せにしたい」

 何を言っているんだと思われるかもしれない。幸せにできるのかと思われるかもしれない。けれど、これが晃宏の想いだ。一緒にいてほしい。自分だけを見てほしい。なによりも幸せにしたい。


「絢音さんに支えてほしいのと同じくらい、絢音さんを支えたいんです」

 絢音が辛いときには背中をさすって、絢音が泣きたいときには隣にいたい。


「一緒に遊びにも行けないかもしれない。旅行にも行けないだろうし、デートもドタキャンするかもしれない。それでも、絢音さんが絶対に後悔しないように全力を尽くすと誓います。そんなことしか約束できないですけれど、それでもよければ」

 動悸が早くなる。眩暈がしそうな気がして、ぎゅっと目を瞑った。がんばれ、今だけは絶対に倒れられない。


「俺と、付き合ってくれませんか?」

 声が震える。手を握って見つめて言いたかった言葉だったけれど、実際は、目線は地面だし、両手は自分で握りしめている。ぐらりとかしいだ気がした体を受け止めてくれたのは、絢音だった。


「晃宏さん」

 絢音の声が鈴のように二人の間に流れる空気を振るわせる。

 そっと絢音が体を支えながら、晃宏の両手に手を添えた。


「私、幸せになります」


 思わず顔をあげる。絢音が優しく微笑んでいる。


「勝手に絶対幸せになります」


 木漏れ日が絢音を照らしていて、本当に女神のようだった。


「でも、こんなんで──」

 息がしづらくてゆっくりと深呼吸する。情けなさに泣きたくなる。


「万が一、幸せじゃない時があったとして、晃宏さんの病気を絶対に理由になんかしたりしません」


 だから、晃宏さんも、病気を理由に私を諦めないでほしい。


絢音がささやくような声で言いながら、晃宏の背中をさする。

 いくらか落ち着いてきた。体調が悪いというより、緊張したことで動悸に乱れが生じたみたいだ。

 もう大丈夫です、と絢音に言うと、絢音は手を握ったまま、晃宏に向き直った。


「病気が晃宏さんの左に居座るなら、私が晃宏さんの右に座ります。倒れそうなときは支え合って、転んだら一緒に起き上がりたい。私は全力で私が晃宏さんの隣で幸せになれるように過ごします。だから、晃宏さんも、私の隣で全力で幸せになろうとしてください」

「それって──」


 絢音がうなずく。


「私でよければ。喜んで」


 胸に暖かいものが込み上げてくる。思わず、抱きしめていた。絢音の髪に顔を埋める。すごく甘い香りがして、熱に浮かされたような気分になる。


「好きです。絢音さん」


 もう一度、この言葉を絢音に伝える。心にじわじわとぬくもりが広がる。好きな人に好きといえるのがこんなにも嬉しいことだなんて知らなかった。


「私も、好きです」


 この前も言いたかった。絢音がぽつりとこぼした言葉にさらに腕の力を強める。


 愛しい、とそういう言葉の意味が初めてわかった気がした。


「あの……、そろそろ、人目も気になります」


 絢音の声にはっとした。腕をゆるゆると緩める。人通りは少ないとはいえ、確かにちらほらいる人の姿は気になる。

 気になるが、絢音の恥ずかしそうな表情を見ていたら、いたずら心がくすぐられた。


「本当はもっと抱きしめてたいですが、仕方ないですね」

 絢音の首筋に少しだけ口付ける。


「ちょっ」

 絢音が首を押さえて、赤面する。その表情が可愛らしくて、少し笑ってしまった。


「外はダメですからね!」

「外じゃなければいいですか?」

 晃宏の言葉に絢音がまた赤面する。


「もう、ご勝手に!」

 絢音がふてくされたようにそっぽを向いた。


 勝手にやっていいんだと思うと頬が緩みそうだったけれど、これ以上すねさせてしまうのは本意ではないので、すみません、すみませんとひたすら謝った。ぷりぷりしていた絢音がいたずらっ子のように晃宏に笑いかける。


「いきましょうか」

 絢音が手を出した。その手を握りしめる。もう二度と手放したりしない。


「どこに行きます?」

 絢音の言葉に少し逡巡する。と、絢音が晃宏の脇腹をつついた。


「──っ、絢音さん!」

「私に遠慮したら、つつきます」


 手をにぎにぎとして見せる絢音に思わず吹き出した。一番最初のときにもこんなことがあったな、と懐かしく思う。


「わがままを言ってもいいですか?」

「もちろんです」


 もうちょっと一緒にいたいです。


 そういうと、絢音がくすぐったそうに笑ってうなずいた。

 ベンチから立ち上がって二人で歩き出す。あてもなくぶらぶらと肩が触れ合うくらいの近さで。

 絢音が晃宏の家の方に歩みを進めてくれる。


「晃宏さんのおうちなら気兼ねなく過ごせますよね」


 それはもちろん、体調が悪化したときのことを考えたら家が一番だ。

 けれど、気兼ねがないのは問題でもある。

 わかってるだろうか? と絢音を見つめるが、絢音は鼻歌でも歌いそうなほどに楽しそうで、まあいいかなと思った。


「もう一つわがままを言ってもいいですか?」

 けれど、大切なことをひとつだけ。


「なんですか?」

 絢音の耳に口を寄せて囁く。


 ──隣で眠らせてください。


 絢音がはにかんだように笑う、その笑顔を目に焼きつけた。

 もう、契約なんていらない。病気だからという理由もいらない。

 

 いつでも、君の隣で眠らせて。

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