派遣切りにあった酔っぱらい女子と変人コスプレイヤー扱いされた悪魔
連載作品に行き詰まる度気晴らしに書いていたら完結しました。
肝心の連載作品はほとんど進んでいませんが、楽しんでいただければ幸いです。
「我がお前の望みを叶えてやろう」
冴え冴えとした白い巨月をバックに、目の前に立つ黒尽くめの変な格好をしたイケメンが笑みを浮かべながらその言葉を放った時、私の中でなにかが切れたような音がした。
「ぅうえぇ゛……ぎぼぢばる……」
24時を過ぎた住宅街の中を私は嘔吐きながらフラフラと彷徨っていた。
完全に飲み過ぎである。
でもしょうがないと思うの。
だって今日で仕事先の契約期間が終了したんだから。
「ぬぁーにが『不況の煽りで仕方なく』よ!どうせ西野さんの方が若くて可愛いからでしょうが!!」
千鳥足のせいで時たま電柱にぶつかりそうになる。
それでも3月末に路上で一夜を明かすわけにはいかないと僅かに残っている理性が告げてくるので、駅から徒歩15分の所にあるはずの我が家を目指してかれこれ30分以上歩いていた。
ただ、私の記憶が酒に改ざんされていなければ、駅からここまでよりもここから自宅までの方が遠いはず。
つまり少なくてももう30分は歩かねばならない。
なんてことを落ち着いて考えられるはずもなく、私は悪態に精を出した。
「べっつにぃ?今まで仕事をしていたのはほとんど私で、実は西野さんは雑用しかしていなかったって気がついて困るのはあっちだし、どぉーでもいいっちゃあいいんだけどさあ、それはそれとして腹は立つわけよ」
私以外誰も通らない深夜の街は私の不満を聞いても静かなままだ。
肯定もなければ否定もない。
当たり前だが、その状況が私の口をさらに回らせた。
「片や大学を出たばかりの22歳の守ってあげたくなる系女子の代表格みたいな子で?片や来年30歳を迎える仕事しか生き甲斐のない社畜上等の女捨ててる系お局女子と思われている私で?そりゃあ誰だって可愛い子を選ぶわよねぇ!!?」
感情のままに叫ぶと「ウィック」という親父みたいなしゃっくりが出てきた。
いよいよ私の中の『女』というものの存在が危ぶまれる。
いや、もしかしたらすでに存在しないのかもしれない。
「フン、こっちだって好きで女捨てたんじゃないわよ!あいつらが正社員のくせにみーんな仕事もできないクズばっかだから代わりに働いてあげてたんでしょお?なのに恩を仇で返しやがって、ホント腹立つ!!」
たまたま目の前に転がっていたオレンジジュースの空き缶を蹴る。
カァンと高い音を響かせたが、静かすぎる街はそれでも顔色一つ変えなかった。
「あーあ、あいつら全員滅びないかなあー!!」
とうとう不穏なことまで叫びながら小さな横道を通り過ぎた時だった。
「お前の願い、叶えてやろうか?」
その横道から静かで低い、なのに不思議と強く聞こえる声が私の耳に届いたのは。
「……えぇ~?」
私は空耳にしてははっきりと聞こえすぎるその声を追って緩慢に首を巡らせた。
すると横道の少し奥になんだか黒いモノがいた。
「なに……?」
酒のせいで焦点が合いにくくなっている目でじっとその黒を見つめる。
次第にそれが像を結び、思考が鈍っている頭でも人型であることが理解できるようになった。
けれど今度は別の問題が浮上する。
「………コスプレ?」
その黒いモノは人型をしていた。
つまり人間だと思う。
なのに背中に畳まれている大きな羽のようなものが生えていた。
そして頭には山羊のような角もある。
しかも郊外の牧場とか動物園でよく見る後ろに伸びる真っ直ぐな角じゃなくて、西洋のなにかの紋章とか漫画やアニメで見るタイプのくるりと巻いた角だ。
深夜の人気のない街で何故そんな恰好をしているのかはわからないが、完全に危ない人である。
これは…関わらない方がいいのでは?
ようやく酒が抜けてきたのか、はたまた変人の登場に引いたからか、少しまともになって来た思考で私はそう考え至り、なにも見なかったことにして当初の予定通りその道には入らず真っ直ぐに進もうとした。
しかし「いいのか?」とまたあの声が届く。
何故かはわからないがそれは無視できない響きを持っていた。
「…いいのかって、何が?」
私はまた顔だけをそちらに向け、羽と角が生えた黒いコスプレーヤー、…顔は全く見えないが声から察するに恐らくは男性に聞き返した。
そう、今さっき見ないふりをしようと思ったのに、つい聞き返してしまったのだ。
まるでそう仕向けられたかのように。
「我はお前の願う心に呼ばれてここへ来た。それ即ち我にはお前の願いを叶える力があるということ。なのにお前は何処かへ去る気だろう?だから言ったのだ。百億の人生に一度あるかないかという好機を逃してもいいのか?と」
いや言ってないし。
そんな大層なセリフの最後の四文字だけ伝えられたってわかるわけないでしょ。
こちとらエスパーじゃないのよ。
いまだに顔は見えないものの、にやりと嗤った気配を感じて私はつい心の中で悪態を吐く。
てか私さっきから悪態しか吐いてない。
気分最悪な時に言葉が足りな過ぎる変人に出会ったら誰でもそうなるとは思うけど、悪態を吐くのだって疲れるのだ。
せっかくここまで頑張って歩いて来たんだからもうさっさと家に帰らせてほしい。
酔いが醒めてきた今の状態なら多分あと10分くらいで着けるはずだし。
それに私は、見ず知らずの男を殺人犯にして平気でいられるほど人間終わってないつもりよ。
「生憎だけれど、さっきの願いを叶えるというならお断りよ」
今度は悪態ではなくため息を吐き、男に向き直りながら言う。
なんとなく腰に手を当て胸を反らせたが、もしかしたら虚勢を張りたかったのかもしれない。
「ほう、それは何故だ?」
また男が嗤った気配がする。
まるで闇が動いたように感じたが、きっと頭に残っている酒が錯覚させたのだろう。
「だってあいつらが滅ぶのは願ったり叶ったりだけれど、私が願ったせいでアンタがあいつらを殺したんならそれは私が指示したことだってなって、私は殺人教唆で警察に捕まって牢にぶち込まれるのよ!?全く割に合わないじゃない!!」
だから私は虚勢のまま男に告げる。
怪しいだけの見ず知らずの男を殺人犯にしたくないのも本当だが、彼らのせいで自分の人生がこれ以上狂わされることの方が私にとっては間違いなく凶事だった。
「……お前は何を言っている?別に我は誰も殺す気なぞないが」
だが私の言葉に首を傾げた男を見て一瞬で頭に血が上った。
だってこの男は自分から言い出したくせに私の話を聞いて「何言ってんだこいつ」みたいな空気を出したのよ!?
なんか真面目に言った私が間抜けみたいじゃない!
「はあ?じゃあなに?あいつらを身の破滅へ追い込むってこと?でも結局それも犯罪には変わりないだろうし、多少罪は軽くなるかもしれないけれど私は指示役として捕まるってことでしょう?やっぱり受け入れられないわ!!」
ああ、やっぱり変な奴とは関わるんじゃなかった!!
百億分の一より低い可能性が、なんでよりにもよってこのタイミングで私に来るの!?
「いや、それもしない。我はお前の望みを叶えに来たと言っただろう?」
私が苛立ちに任せて地団太を踏んでいると男は再度首を傾げる。
私の気持ちを全くわかっていないのが伝わってくるその様子に、またもや血圧が上がった気がした。
「だ!か!ら!!私があいつら全員滅びろって言ったからアンタはその願いを叶えに来たんでしょ!?殺しもしない陥れもしないでどうやって滅ぼすって言うのよ!!」
話が通じていない苛立ち全てを込めて私は叫ぶ。
今が深夜だろうがここが住宅地だろうが知ったことか。
私は目の前の男の全てが気に入らなかった。
あ、でも待って嘘です、住民の皆さんお願いだから警察は呼ばないで。
……いや、でもこの変な男を突き出すために来てもらった方がいいのか?
でも私は帰りたいし…うーん…。
我慢の限界だったとはいえ叫んでしまったことを今更後悔しながら頭を抱えた。
この男に声をかけられてからまだ一時間も経っていないだろうが、その短時間で私は一つ心に強く誓ったことがある。
二度と深酒はすまい。
何があろうとも。
「なにか誤解があるようだな」
頭を抱えて蹲る私の視界にコツ、という小さな硬音と共に黒い靴が入り込む。
恐らくそれはあの男のものだろう。
いつの間にか近くに移動してきたらしい。
……あら?でも今以外に足音したかしら?
考え事に没頭していて気がつかなかったのだろうか。
いずれにしろ今見上げればこの変人コスプレ男の顔が見えるはずだ。
「我はお前の願いを叶えに来たとは言ったが、お前が抱くどの願いを叶えに来たのかなどわかりはしない。大抵の人間は愚かにも複数の欲望が頭の中で渦巻いているものだろう?お前にも今言ったもの以外に何かしらの願いがあるはずだ」
「え?」
「我が叶えられる願いが何か、それはお前に言われるまでわからない。だからお前の抱えている願いを全て言え」
見上げれば随分と背の高い男が立っていた。
中世の貴族かと言いたくなるような時代錯誤な黒い服、背中にはコウモリというよりは翼竜のような翼、頭には山羊の角。
肩口あたりで切り揃えられた緩くウェーブした黒髪に白すぎるほどに白い肌。
キリリとした眉の下には甘く垂れた金色の瞳。
紛れもなくイケメンだった。
しかも、かなり好みの。
「さあ、望みを言え」
そしてその下の、真っ赤な唇がゆっくりと動く。
「我がお前の望みを叶えてやろう」
冴え冴えとした白い巨月をバックに、目の前に立つ黒尽くめの変な格好をしたイケメンが笑みを浮かべながらその言葉を放った時、私の中でなにかが切れたような音がした。
多分それは、私に残っていた僅かな理性を繋ぎとめていた糸が切れた音。
そうして理性から解放された私は男に詰め寄り、本能のままに願いを告げた。
「なら私と付き合って。いやもう結婚して」
「……は?」
私に詰め寄られ、胸倉まで掴まれた男は一瞬呆けたような顔をした。
なにそれ、そんな間抜け面晒してもイケメンなんてズルいわ。
「結婚よ、け・っ・こ・ん!私をアンタのお嫁さんにしてって言ったの」
「はっ!!?」
「これなら必要なのはアンタの身ひとつだし、叶えられるわよね?」
「できるが、しかし」
「しかしも案山子もないわよ。できるなら答えは一つでしょ?」
鳩が豆鉄砲どころかバズーカ砲を食らったような顔になった男は途端に慌てて何事かを伝えようとするが私は聞く耳持たないと遮った。
「さあ私の願いを叶えて」
このチャンスを逃す手はない。
変なコスプレ野郎だろうが構うものか。
何も手に入れられなかった私が、せめてイケメンと結婚したいと望んで何が悪い。
「……後悔はないんだな?」
「ええ、女に二言はないわ。この願いを叶えられないならとっとと帰って」
数瞬苦虫を噛み潰したような顔をしたが諦めたようにため息を吐いた男が「わかった」と言って渋々差し出した手を、私はこれ見よがしにがっしりと握ってやった。
この手を離す気はない。
「契約成立だ」
男がそう言った瞬間、私は白い光に包まれた。
なんてことがあってからもう何年経ったかしら。
私は自分の隣に座る、何年経っても美しいと思える顔をしている夫を見た。
「ん?どうした?」
「なんでもないわ。ただ、貴方に初めて会った日を思い出していたの」
「ああ…」
私の視線に気づいた夫に言えば、彼は苦笑してみせる。
そしてそっと私の頬に手を当てた。
「あれからもうそろそろ百年くらいは経ったか?」
「んー、もう少し経ってるわね」
「そんなにか。早いものだ」
「ええ」
静かに紡がれる彼の言葉をちょっとだけ訂正すれば、その苦笑はさらに深まった。
そのせいだろうか、彼の顔が困ったような、それでいて悲しげなように見えたのは。
「……後悔はないのか?」
「ないわ」
私はきっぱりと即答する。
それでも彼の顔の翳りは取れない。
「しかし人間だったお前に百年は長いだろう」
「そうね」
するりと私の頬を滑る彼の指はひんやりと冷たい。
それでも長い爪で私の肌が傷つかないようにと指の腹を使って撫でる手つきはとても優しい。
「あの日は本当に酔っぱらっていて、まさかイケメンコスプレーヤーが本物の悪魔だなんて思わなかったのよ」
「我も驚いたものよ。我の姿を見て言葉を聞いて、まさか悪魔だと理解されていないとは思わなんだ」
頬を撫でていた手が首に移る。
そろりとした手つきが擽ったい。
「ふふ、翌日目が覚めたら部屋に貴方がいて、『望みを叶えるために我の眷属にした』なんて言われて、酔って見た夢じゃなかったんだって気づいた瞬間だけは少し後悔したけれど、でもそれも一瞬だったわ」
「確かハケンギリ?にあったからと言っていたな」
「そうよ。あの会社あれからすぐに倒産してたわね。いい気味」
「だがいくらハケンギリにあったと言ったって、人間を捨てるのは容易ではなかったのではないか?」
言いながら彼の手がするりと首から背中を撫でていく。
私を大切に思ってくれていることがその手つきから伝わってくるようだ。
「そんなことないわ。だって私本当はあの日、死のうと思っていたんだもの」
さらに伸びてきたもう一方の彼の手を両手で掴まえて反対の頬に当てる。
彼よりは温かいが人間よりは温度の低い頬とお揃いのように伸びた爪が私が彼の眷属になったという証だ。
こうしているとそれが強く感じられて嬉しい。
「私ね、20歳の時に両親が離婚したんだけど、もう成人しているからってその時二人ともに縁を切られたの。それから10年近くずっと一人で生きてきたわ。まあ恋人は何人かできたけど、両親のことがあったせいか誰とも長続きしなくてね。だから私なりに頑張って一人で生きていける力をつけようと思って仕事を頑張った」
『恋人』という単語が出たところでピクリと彼の手が動く。
そして面白くなさそうに眉を顰める彼を見て思わず笑ってしまったが、宥めるように頬にある彼の手を軽く叩けば、彼が私を膝の上に抱え上げた。
「それで、頑張った結果がハケンギリで、世界に絶望したのか?」
「そうよ。もういいと思ったの」
私の髪を一房掬って口付ける。
昔はそれが酷く恥ずかしくて狼狽えていたが、今はただただ幸せな気分になる。
「両親にも会社にも捨てられて、ああこの世界は私のことを必要としてないんだって思った。ならもういいわって。私のことを捨てる世界なら、私だって捨ててやるって思ってた」
だからお返しとばかりに彼に抱きついた。
私が今感じている幸せと同じだけの愛を返したくて。
「でも少しだけ怖かったからお酒の力を借りることにしたの。そしたら飲みすぎちゃって、フラフラになって街を歩いていたら運命の出会いを果たしたってわけ」
ぎゅうと頭を抱きかかえれば、彼の手が優しく腰を抱く。
密着すると冷たい彼の体からじんわりとした熱を感じた。
以前それをからかって「冷えたコーンスープの缶みたいね」と言って彼をいじけさせたのは何年前だっただろう。
本当は彼にも熱があることを知って嬉しかったくせに、まだ素直になることが怖くてからかってしまったのだったか。
でもその時彼があんまりにもいじけるからだんだん可笑しくなって、私は彼に謝った後、素直に気持ちを言えるようになっていた。
だって私の言葉で一喜一憂するなら、喜ばせたいじゃない。
「だから後悔なんてしてないわ。むしろ貴方とこの先永遠に愛し合えるんだと思えば喜びしかないでしょう?」
「そうか」
ほら、私の言葉で彼が笑顔になる。
私はこの瞬間が何よりも好きなのだ。
「あんな出会いだったのに私のことをこんなにも愛して大切にしてくれる旦那様なんて、貴方以外にいないわ」
「我の重すぎると言われている愛を笑顔で享受する者も、お前以外にいないだろう」
「あら、割れ鍋に綴じ蓋ってやつね」
「……なんだそれは」
馴染みのない日本の諺に首を傾げる彼に私は微笑み、
「お似合いってことよ」
と言って彼の頬にキスを贈った。
読了ありがとうございました。