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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

甘きにひかれ 

掲載日:2022/06/30

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ヴぁ〜、あつい〜。

 もう日中はどこにも行きたくないよ、これ。

 なにこの熱中症体験ツアーみたいな大盤振る舞いは。しかも参加不参加の許可もとらず、全員が強制参加ときたもんだ。

 治験用のモルモット扱いだか知らないけれど、ちゃんと見返りを用意しておいてほしいな、大自然さん。

 環境破壊の自業自得といわれても、少なくとも僕はそこまで大量に壊していないと思うのだけど……やるんだったら、元凶とか頭領だけピンポイントで懲らしめて欲しいものだ。

 

 ヴぁ〜、のどがかわく〜。

 麦茶もらっていい? 麦茶。うう〜、生き返る〜。

 確か、身体の水分の2パーセントがなくなると、のどにかわきを覚えるんだっけ?

 60キロの体重なら、その6割が水分。その2パーがなくなるから……700ミリリットルくらいか。この水の量、多いとみるか少ないとみるか。

 そして、僕たちの身体にはまだまだ秘密が多い。もしかしたら知ることなく一生を終えられるかもしれないけれど、触れてしまう可能性もゼロじゃない。

 僕も、つい接してしまった記憶があってさ。その時のこと、聞いてみない?

 

 

 小学生くらいのとき。僕たちの学校にも、不審者についての報告がなされるようになった。

 最近、子供の登下校の道の途中で待ち受け、お菓子をあげる素振りをしながら、不意に腕をつかんでさらおうとする……そんな老人がいるという話だ。

 知らない人にはついていかない、という年少から聞かされている注意が、先生の口からつむがれる。正直、僕たちには聞き飽きた文言で、昼間の体育の疲れもあり、あくびをかみ殺しながら聞き流していた。

 今までも注意、注意の連続で、結局なにも起こらないまま、風化していった経験も大きい。


 ――どうせ、自分には関係ないことだろうし。


 そんな考えもあって、僕の意識はもはや、帰宅後のゲームのことでいっぱいに。ランドセルをとるや、誰よりも早く昇降口めがけて駆け出していた。


 曇り空で暑く、湿気の多い日だった。

 校舎を出てからずっと走りっぱなしで、身体には熱がこもっているというのに、肌から汗はあまり出ていない。気持ち悪さを感じながらも、僕は足を緩めず、いくつ目かの角を曲がる。

 ふと、足元で布をめくり上げる音がした。同時に、僕は全身で何かにぶつかってしまう。

 壁にしては柔らかい。そのくせ相手は微動だにせず、跳ね返された僕は尻もちをついた。


 がっと、腕をつかまれる。細くて骨ばった小さな手が、僕の手首近くをおさえていた。


「やっと、見つけた」


 つぶやく声もしゃがれている。

 反射的に顔をあげるや、半開きの口へいきなり突っ込まれたものがあった。

 鼻を抜けるミントの臭い。舌に広がり、絡みついてくるのはチョコレートの味。何度か食べたことがある、市販のキャンデーの風味によく似ていた。

 すぐに吐き出す。ビー玉を思わせる、透き通った緑色をした球体が、しとどに僕の唾液に濡れながらアスファルトを転がった。


 その下げた視線の先に、はためいた布の正体がある。

 ゆりかご。えんじ色の布を被せられて、三つほど並ぶそれらが僕の足元へ触れたらしかった。

 まだつかまれている手を、乱暴に振りほどく。立ち上がってから、きびすを返すまでの間で、かろうじて相手の顔を見ることができた。

 白い高島田の髪型にかんざしをつけ、和服をまとう老婆だったんだ。ひとつ、ふたつ昔前を思わせる格好のまま、振り払われた手を引っ込めるでもなく、突き出したまま固まっている。

 履いているのは下駄だ。追いかけてきても、運動靴のこちらに追い付けるわけがない。

 そう思い、歩きなれた通学路をよどみなく駆け抜けていくも、背後から下駄の音は一向に聞こえてこなかった。


 ――追いかけてこない……?


 はたと足を止めて振り返っても、そこは長く伸びるバス道路と、いまだ下校途中の生徒を含んだ通行人がいくらかいるばかり。

 あの老婆の姿は見当たらなかったんだ。


 念のため、直帰ルートから2回の回り道をはさみ、僕はようやく帰宅する。

 玄関をくぐるや、安堵と一緒にどっと汗が噴き出す。

 うっぷんを晴らすかのような発汗ぶりに、僕は洗面所へ向かったが、タオルで拭って顔をしかめてしまう。

 甘ったるいんだ、汗が。顔を拭ったとき、少し口の中へ紛れ込んだ汗は、砂糖でもかじったかのような味がした。

 タオルの繊維も、心なしかべとついている。鼻を近づけると、やはりお菓子か何かのような臭いが漂ってきた。

 汗がしょっぱくなることは知っていても、甘くなったことなんて、これまでない。

 加齢が原因のケトン臭とやらは知っているけど、僕はまだ子供だし、腐った果実のようと評される、かの臭いとはほど遠いものだ。


 ――あの、飴玉のせいだな!


 直感して、僕は何度も口をすすぎ、水をがばがば飲んだ。トイレの近くなるまま、何度も用を足していったんだ。

 でも、甘ったるい汗はとどまることを知らない。



 それから数日、僕の汗はこの奇妙な甘みを帯び続けた。

 ただ鼻の奥に香り続けるばかりじゃない。時間を追うごとに、その臭いは少しずつ清涼感をかもし始める。

 鼻の通りが思い切りよくなって、そこへ冷風を注がれるイメージ、できる? その風のなかに細かい氷の粒が、無数に混じっていると思って。息をするたび、痛くなるほどの冷涼さが内側をなでていったんだ。

 暑いのに、マスクをつけ始めた僕をみんなは不思議そうに見るけれど、構ってはいられない。汗ばかりじゃなく、よだれや鼻水、そしておそらく小用の跳ねからも、僕は同じ匂いを感じるようになっていたんだから。


 ――まさか、糖尿病ってやつ? これ、子供のうちになるとか相当じゃないか?


 心なしか、激しい運動をしたわけでもないのに、手足にだるさを覚える。

 相変わらず水を飲む量は増やし、少しでも身体の糖度を薄めようと、子供ながらに躍起になっていた。

 帰り道もまた、変わらずの遠回りによる欺瞞下校。あのばあさんに出くわすわけにはいかない。


 そう勝手な四苦八苦をしていた、夜のことだった。

 窓を全開にしているにもかかわらず、風はほとんど入ってこず、僕はしきりに寝返りを打っていた。エアコンや扇風機といった贅沢な代物は、まだ僕の部屋には置いておらず、薄い掛布団を蹴散らして、うずうずするよりない。

 目を閉じてゴロゴロしていると、ようやく風がそよいで、部屋へ入ってくる。

「やった!」と動きを止めて、風を受け止める姿勢へ移る僕。


 その手足が、いっせいに固まった。同時に、胸へずんとのしかかるものがある。跳ね返せないほど、重い。

 目を開ける。僕の胸の上に何かが馬乗りになっていた。両腕をだらりと左右へ垂らし、その顔も体も、明かりを消した部屋の闇に溶け込ませていて、輪郭しか分からない。

 ただ胸にあてる手だけは、かろうじて見えた。骨ばった、細く小さいそれは、数日前に見た老婆のものじゃないか……!


 手足もやはり動かせない。口も満足に開けず、声が出ない。

 そして無防備な四肢の指先が、急に生暖かいものに包まれた。

 ほどよく湿った弾力、肌をなめるねばつき……口の中にしゃぶられたのと同じ感覚だ。

 かろうじて、右手に目をやる。僕の五本の指をまとめて、しゃぶりついている小さい影がある。それはちょうど、生まれて間もない赤ん坊ほどの大きさしかない。


 あのゆりかごだ、と直感したとき、にわかにのどへ痛みが走った。

 思わずつばを飲み込むも、それがさらに痛みをひどくする。身体に自由がきいたなら、思わず叫んで飛び上がっていたかもしれない。

 のどが乾いていたんだ。つばさえ痛みを感じてしまうほどに。

 四肢へのしゃぶりはおさまらない。そうしてなめられているうちに、じわじわと吐き気が昇ってくる。頭もがんがんと痛みを発するようになってきた。

 身体もほてり、動かしていないはずの視界がぐらりとふらつき出したとき。


 ふと、胸の上から老婆は消えた。四肢をしゃぶっていた感覚も一度に失せた。

 身体の自由は戻っている。力を振り絞って親を呼び、どうにか水を飲ませてもらう。

 夜が明けても体調は戻りきらず、病院へ行った結果、重度の脱水症状と診断された。点滴も打たれたよ。

 けれど、その日を境に甘い汗をかくことはなくなったんだ。


 あの老婆が待っていたもの。

 それは糖分をあの赤子たち向けに熟成できる、僕という人間。いや僕という「皮袋」の存在だったのかも。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] ヒェッ……! 見知らぬ人から無理やり食べさせられるなんてリアルでもトラウマになるくらい怖いし、その後の体験もとてもゾッとしました。 やっと見つけたという台詞からも、彼に適性があったとい…
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