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短編集『桜歩道』

桜歩道

作者: 宮本颯太

 雲ひとつない青空の(もと)に春の広まる、暖かなその日であった。


 都内の私立中学校では卒業式が執り行われ、門出を祝福された卒業性たちが散り散りに母校を後にしていた。

 卒業生の一人である(さぎ)(さか)()()は、母親の(れい)()と桜の舞う歩道を歩いていた。

「綺麗……」

 はらはらと舞う花びらに見惚れた千帆がポーッとなりながら、賞状筒を甘噛みしている。

「こら千帆。噛まないの」

 礼子がたしなめるが、仔犬の様な娘の姿に思わず笑ってしまう。

「あ、やば。ついつい……あー、噛み跡ついちゃった」

 ちぇっ、と自分でつけた賞状筒の歯形を見て残念そうにする千帆に礼子は咄嗟に、

「まあ、それはそれで世界に一つの賞状筒だけどね」

 と慰めた。

「何でも甘噛みする癖は直した方がいいと思うけど」

 からかいと注意の半々でそう付け加えながら。

「ふん。高校入ったら直すもん」

 千帆が頬を赤くしながら言い返した。

「ふふ。そっか……」

 礼子は娘の長い黒髪に留まった花びらを一つ摘まんで、春の風に返した。

「ねえ千帆」

「ほい。何すか?」

 相変わらず賞状筒につけた噛み跡を気にしていた千帆が気の抜けた声で母親の顔を見上げた。

「千帆は将来何になりたい?」

「おっ、私?」

「うん。前に色々話してたけど、どれか決まった?」

「私はね……」

 千帆は少し間を置いてから、

「獣医さんになりたい」

 と言った。

「え、獣医!?」

 予想の上を行く回答に礼子は驚いた。

「うん。頑張るから!」

 湧き上がる情熱にぴょんぴょん跳ねながら、千帆は賞状筒を両手で握りしめている。

「へえ、獣医かぁ……」

 でもどうして?と聞くより先に千帆が話し始めた。

「あのさ、ちょっと前にテチが怪我して治してもらった事があったでしょ。あの時さ、『ああ、こんな時に私にも何か出来ればな』って思ったの!」


 テチとは鷺坂家で飼われているブチ模様のチワワである。千帆の言う通り、少し前に散歩中に転んで怪我をして、近くの動物病院に駆け込んで診てもらったのだった。今はもうとっくに回復して、公園でも広場でも家の中でも、どこであろうと元気に駆け回っている。


「なるほどね。いいんじゃない?」

「うん!」と千帆は意気込んで、気付けばまた筒を甘噛みしていた。

「千帆……ちょっと。噛んでる噛んでる」

 礼子が笑いを堪えながらそっと娘の手を押さえた。

「わあ、本当だ!しまった!!」

 と千帆が目を丸くして叫んだのを見て、礼子はとうとう声を上げて笑った。

「もう!お母さん、笑わないでよ。癖なんだから」

 千帆はまた顔を赤くした。

「ふふふ、ごめんごめん。獣医か……お父さんが聞いたら喜びそう。もう家に着いたかな」

「うん。今日来れなくて落ち込んでもんね」


 そう。父親の(けい)も本当は今日の卒業式にも出たがっていたのだが直前でどうしても外せない会議が午前中に入ってしまい、泣く泣く参列を辞退したのだった。その代わり会議が終わった直後に帰れるように午後から半休を取り、家族で外食に行く約束をしていた。


「ていうかさ。お父さんのことだからもうこっち向かってるんじゃない?テチ連れてさ」

 千帆がそう呟いて、原型の崩れた賞状筒の頭を気にしている。

「おお、鋭いねぇ。私もそう思ってた」


 二人で期待しながら遠くに続く歩道の先を見ていると、ブチ模様のチワワをハーネスに繋いで歩いてくる人が小さく見えた。慶とテチだ。

「ほら……」

 と二人の声が揃う。

 ある程度まで距離が縮まってきたところでテチはピタリと立ち止まり、千帆たちの姿を確認するとピンと立てた尻尾をブンブンと振ってトコトコと走り寄ってきた。桜に吹かれながら、満面の笑みで。

「うわ!ちょっとちょっと」慶もテチの勢いにぎこちない走りになりながらも、その後に続いて来た。


「テチ、ただいまー!」

 しゃがみ込んでテチを抱き止めた千帆は、そのまま立ち上がって、慶からハーネスを受け取った。

「お父さんお疲れ」

 礼子もそう言って微笑んだ。

「うん。ただいま」

 合流できた事に安心した慶が、

「千帆、卒業おめでとう」

 と娘の門出を祝う。

「う、うん。ありがとお父さん」

 千帆は少しばかり照れながら首をすくめた。


 花びらの煌めく青空の下で家族はしばらく言葉を交わした後、桜の舞う道を歩き出した。

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