211VS 800
無論、ビフォンテーヌの森での戦いは楽なものではなかった。二世部隊は、ドイツ軍撃退以外にも、同胞を救出する為、広場の置くに広がっている深い森の中にもう一度入っていた。
死闘の末、テキサス兵を211人救出したが、二世部隊は800人もの死傷者を出した。大きな犠牲を払った二世部隊は、ヘイトクライムに喘ぐ家族や同胞の地位向上の為、米国を守る為、痛々しくも厳かに自らの命を差し出した。
只、この例は氷山の一角に過ぎない。我々の知らぬ所で、二世部隊は米国本土の米兵よりも、過酷な状況に追い込まれていたのも事実である。
命令された以上は軍人としてそれに従うしかない。米国を守るとか正義の為だとか、そんな大義名分は必要ない。一日を生きるだけで精一杯であり、生きたいと願うならば、どんなに過酷な試練であっても、乗り越えなければならない。この犠牲者と救出兵(テキサス兵)の一例が示す様に、生粋の米国兵と二世兵士の間には、埋められない壁があった。
二世兵士の快進撃を支えたのは、この壁を壊したいと思う気持ちであった。その気持ちが無ければ、恐らくここまでの活躍はしていない。少なくとも、彼等も差別なく同じ米国人として扱って欲しい。その気持ちだけであった。軍功を上げて歴史に名を残す名誉や功名心の様なものは微塵も無かったのであろう。自分達が戦果を上げる事でしか、その願いを達成する手段は他に無かったのである。




