シュバルツバルト
フランス東北部ロレーヌ地方にあるビフォンテーヌの森。そこは500メートル級の丘陵が連なるヴォージュ山脈にある。南北に120㎞走るヴォージュ山脈を東に一跨ぎすれば、ライン川。ライン川を越えればたちまちドイツで、ドイツ人はフランスに面したその一帯を通称"黒い森"(シュバルツバルト)と呼ぶ。
シュバルツバルトとは、昼でも暗黒程深い森と言う意味である。ドイツと背中合わせのヴォージュ山脈一帯ドイツ、フランス間で争奪の歴史を繰り返した。1940年(昭和15年)6月にパリを占領したナチス・ドイツは、同月ヴォージュ地方も占領した。占領にあたりドイツはここを第3帝国予備軍直轄地域に組み入れた。パリを含めた他のフランスがドイツがドイツ軍司令部に駐仏ドイツ大使の管轄だったのに較べて、ヴォージュ地方の特殊性が分かる。
村村を牛耳ったのは、ナチス・ドイツの中でも最右派のSS(ナチ親衛隊)の恐怖政治下で5年目を迎えた。(1944年10月)かたや、1944年6月に6日にフランス西海岸のノルマンディーに上陸を果たした連合軍は、同年8月25日にはパリを奪還した。だが、それ以降は敵を一気に攻める事が出来ず、中部欧州戦線は膠着状態に陥った。
攻めあぐねる連合軍を執拗に抵抗するドイツ軍。二世部隊はそんな戦場に投入されたのである。勿論、ここに来るまでの道程も決して平らなものではなかった。すでに二世部隊の編成はイタリア上陸からは約半数が入れ替わっており、死傷者も負傷者も相当数に上っていた。欧州戦線における米国最大の敵は、紛れもなくナチス・ドイツであった。上陸時の両軍の戦力差は相当な開きがあり、装備の未熟さを米国は二世兵士のポテンシャルとやる気によって押し込めようとしていた。




