ローマ入城
米・英・仏・豪・印・ポーランド他からなる連合軍は、モンテカッシーノの戦いで、全20個師団を投入。4ヶ月で4回の総攻撃を仕掛け、ようやく1943年(昭和18年)5月18日遂にドイツ軍を撤退に追い込んだ。
また、その間にはローマ法王の陳情にも関わらず大規模空襲を2度行い、大修道院を完全に破壊した。(現在ある大修道院は戦後に新築)尚、戦後の調査でドイツ軍の大修道院自体を要塞化しておらず、従って、連合軍の空襲は人類の遺産を無に帰した行為であった事が判明した。
とりわけ2回目の1943年3月15日の空襲は、爆撃機543機に加えて、爆弾1140トンと言う第二次世界大戦の中でも最大量のスケールの空襲であった。モンテカッシーノの戦いの犠牲者は兵士と民間人合わせて約23万人にも達した。とは言え、そう言った見方は断片的なものに過ぎない。
連合軍の総攻撃が無かったとしたら、グスタフ・ラインを崩す事は不可能であり、イタリア戦線の泥沼化は避けられなかった。犠牲者を最大限抑えた上での空爆であった。
ローマにとりあえず達した連合軍は、未だ軍事力を誇るドイツ軍の追撃をやめる訳にはいかなかった。ナチス・ドイツは民主主義の敵であり、こんなものを認める訳にはいかない。連合軍がどれだけの犠牲者を出したとしても、敗北は許されなかった。米国の意地と言うよりは、連合軍全体の意地とも言えた。
例え人類の遺産を破壊したとしても、そんなものはどうと言う事はない。大切なのは勝利であり、その為には何でもやる。何でもやると言う事は、連合軍には平時の常識が通用しない事を意味していた。




