出陣イタリア戦線
ストーリー編②
ヨシナガ・ハルヒコ・ジョニーを含むハワイ第100大隊は、一年余りの訓練を終えて、出陣の時を迎えていた。一年以上の期間は、彼等を只の民間人から、立派な軍人へと変えるには充分過ぎる時間であった。
1943年(昭和18年)8月21日、ニューヨーク港を出発。アルジェリア・オランでの短期滞在を経て、同年9月22日遂にイタリア南部サレルノに上陸。この地で第100大隊が配属されたのが、米国陸軍第5軍(マーク・クラーク司令官)の第34師団であった。同師団は、米国から欧州戦線に初めて送られた師団で、既に北アフリカ戦線で名を馳せていた。
イタリアにわざわざ米軍を派遣したのは、勿論、理由がある。同盟国である英国が、欧州戦線で思ったよりも戦果を上げられておらず、ソビエト(ロシア)やドイツに好き勝手にやられ放題であったからである。米国としては、まだ日本との戦争に決着がついておらず、いくら優勢とは言え、全軍を欧州に送る事は不可能である。
それでも、欧州戦線において米軍の影響力を示す為にも、何かしらの軍事プレゼンスは必要であり、第5軍第34師団だけでは実力が不足していた為、とりあえず寄せ集めた二世の部隊でも使うか…。そう考えたのであった。
無論、戦果などまるで期待はしていなかった。捨てゴマにすらならない。そんな前評判であった。被害が出ても日系人であるから、一人死のうが、百人死のうが、一万人死のうが関係無かった。失うものは何もない部隊を送り込む事に何の迷いも無かった。と言う前評判を覆すかのように、二世部隊はここから怒濤の快進撃を繰り返す事になろうとは、誰が思ったであろうか?




