レーガンの謝罪
GHQは、4つの幕僚部(後に10幕僚部に増設)と4つの参謀部から編成された。その中でも二世が最も多く在籍したのが、参謀第2部(通称G2)であった。彼等はマッカーサー元帥がフィリピンのバターン半島に後退した以来、常に行動を共にした古株で「バターン・ボーイズ」とも呼ばれていた。
G2の統括は、チャールズ・ウィロビーが務めた。彼は強烈な反共主義者であり、自らの事を「愛すべきファシスト」と呼んでいた。また、二世と、戦時中の情報語学兵士がG2の中でも特に集中したのが、翻訳通訳部(ATIS)であった。占領期を通じて、合計44人の二世が所属した。
丸の内郵船ビルでGHQ全体の翻訳通訳の業務にあたった。だが、幕僚部に二世の姿はあまり見られなかった。ちなみにGHQ職員の平均年収は3000ドル程であったとされた。この他にも二世兵士は、太平洋軍事情報調査機関(PACMIRS)等にも所属していた。ナバホ語を話すネイティブアメリカンの通信部隊であり、語学栽定官と呼ばれる職種で活躍した。モニターとは、通訳内容をチェックし、誤りがあればその場で訂正する者の事を指す。
戦後はあっという間に過ぎて行ったが、元二世兵士達にとって歴史的な日となったのは、戦後30年以上が経過していた、1976年の事であった。日系人約12万人の強制収容につながった「大統領令9066号」が事実上廃止され、当時の米国大統領ロナルド・レーガンが元収容者に正式に謝罪し、強制収容に対する補助を規定した「市民自由法」に署名。一人あたり2万ドルの補償金の支払いが開始されたのは、ジョージ・ブッシュ政権下の事であった。勿論、お金で失われた時間と名誉は戻る事はないだろうけども…。




