戦争犯罪人
日本軍人の戦争責任は徹底的に追及された。その最大のイベントこそが、戦犯裁判であり、東京裁判であった。戦犯裁判は大きく3つに分けられる。
①重大戦争犯罪人(A級戦犯)28人を裁いた「東京裁判」(極東国際軍事法廷)
②マニラ軍事法廷における山下泰文陸軍大将と本間雅晴陸軍中将の裁判
③BC級戦犯(一般市民や捕虜を虐待するなどの戦争犯罪を犯した者を指す)
に対する裁判であった。石原莞爾は戦犯裁判について、こう辛口のコメントを出している。
「日本の近代史を全部裁く、その責任者が追及すると言うのなら、まずマシュー・ペリー(黒船来航時の艦隊司令官)を連れて来るのが先決だ。」
と述べている。戦争裁判は、勝者が敗者を裁くと言う点において、どうしても不公平さの残る結果となる。
日本の軍人100人以上がA級戦犯の容疑者として逮捕された。また、BC級戦犯5700人のうち、984人が死刑判決を受けている。それらの戦犯の逮捕及び調査を行ったのは、GHQであった。
日比谷第一生命ビルや大蔵省跡地に拠点を移したGHQは、2段ベットにボーリング場を地下に置き、連合国最高司令官総司令部として、(GHQ/SCAP)は、「五大改革指令」を出す。
1945年9月27日~計11回に渡り、昭和天皇陛下と会談したマッカーサー元帥は、日本の貴族的体質を感じながらも、1951年(昭和26年)4月16日まで、昭和天皇陛下と日本の未来について議論したが、そのマッカーサー元帥も朝鮮戦争の指揮に反し対立したトルーマン大統領に解任された。




