二世の職業
日本人でも米国人でも無い二世の扱いでも、生きて行く為には、働いて収入を得なければならなかった。
だが、二世は日本語と英語に堪能で、それを活かした職業に就く者が多かった。例えば日本放送協会海外局や、同盟通信社等のマスメディアであったり、中には外務省ラジオ室に勤める者もいた。
また、米国国内各地及び海外の米国陸海軍情報部で働く者もいて、赤十字等に従事する者もいた。この内外務省ラジオ室には、1939年(昭和14年)に日本の外務省主導で設立した、二世の為の教育機関「敝之館」の国費留学生が動員された上に、広島では第2総軍司令部情報部が、二世女子を徴用し、米国短波を傍受する「特情班」を設けた。
他に捕虜収容所の通訳になった二世もいた。二世には日本と米国の二つの国を比較出来る客観性が備わっており、その点では日本人にとっても米国人とっても、貴重な戦力になっていた。
無論、二世の待遇は、純粋な日本人や米国人よりも低いものであり、必ずしも恵まれなかったものである事は確かである。そうした状況の中にあっても、二世は二世なりに、生きる道を探して懸命に生きた。彼等が日本人や米国人より劣っていたとは言えないし、何よりもヘイトクライムを受ける理由にはならない。
グローバルになった現代においては、ハーフやクォーター等の人間の方が珍しがられて重宝されるくらいなのである。何よりも能力があれば、人種を問わず活躍出来る時代になったのである。




