国籍法
ただし、帰国希望者が殺到した為戦後まで隔離センターに留め置かれたノーノー組も多い。日本に来たノーノー組の総数は、戦時中戦後合わせて4724人にのぼった。
さて、国籍法について少し触れておきたい。日本の場合は、1899年(明治32年)の国籍法で、「海外に生まれても、父親が日本国籍保有者であれば日本国籍を有する。」と、定められていた。これは、後の1916年(大正5年)と1924年(大正13年)に2度の改正を経て、「海外でも生後14日以内に内務大臣或いは、日本政府の現地出先機関に届け出が無ければ日本国籍を有しない。」とされ、更に日本国籍の放棄も認められた。「14歳未満の二世は、両親が保護者代理人か15歳以上の二世は、自ら手続き出来る。」と、なった。
かたや米国の国籍法は属地主義で、米国に生まれた者は全員が両親の国籍を問わず米国国籍を有する。とされており、二世の親世代つまり日系一世は、進んで二世の日本国籍を届け出た為、二世の大半は二重国籍者であった。
二重国籍の二世は、特高の執拗な監視対象でもあった。何故なら日本は戸籍制度を採っているからだ。従って、徴兵制度を採っていた当時の男子は一定の年齢に達すると、戸籍を元に軍隊に召集されるシステムであった。これは二重国籍の二世にも適用され例外なく、日本軍に入隊させられた。更に日本軍に入隊した時点で、二世は米国国籍を実質的に無くした。
と言うのも、米国連邦法で市民権を失う理由となる行為の中に「外国軍に入隊する。」と言う項目があるからである。米国国籍を失う事もいとわず大日本帝国陸海軍に入隊した二世は、約3000人から5000人いたとされる。米国人になるか日本人になるかと言う選択は、現代人が思う以上に苦難に満ちていた。無論、どちら側についたかで、損得勘定と言う視点で国籍を選んだ二世は皆無であっただろう。




