戦時中二世の一部が日本に居た理由
有罪により市民権を剥奪され無国籍になったアイバは、ウエストヴァージニア州アンダーソン女囚刑務所に6年2ヶ月服役した。釈放後は、シカゴで父の店を手伝う他には世間との関わりを避ける孤独な生活を送った。
1977年(昭和52年)、ジェラルド・フォード大統領の特赦によって、米国国籍を回復した時にはもう、既に還暦を過ぎていた。2006年(平成18年)9月26日、脳梗塞でアイバは永眠。享年90歳であった。
戦時中日本で結婚した夫のフィリップ・ダキノ(日本人とポルトガル人の混血)とは、共にカソリックの為、離婚はしなかったが、服役前に会ったきり生き別れたままであった。
さて、戦時中日本に居住した二世は、約2万人にものぼるが、彼等が来日及び在日していた理由は、大きく3つに大別する事が出来る。
①親戚の訪問や、日本での教育を目的に、数ヶ月から数年の短期滞在の予定が、開戦により米国に帰国出来なくなったケース。
②排日の為に、米国に見切りをつけ、より良い職を求めて日本に渡ったケース。
③「日米交換船」により、日本に来た人達。日米交換船とは、日米間で相手国に居住する自国民を交換し合う船の事であり、2隻の船が日米から同時に出港して、中間地点の中立国で落ち合い乗船者を総入れ換えした後、再び互いの国に戻った。
しかし戦時中、日米間で日米交換船が出港したのはわずか2度だけ。「第一次交換船」(1942年6月出港)の乗船者には、野村吉三郎やジョセフ・クルー両国大使他、日米共に政府関係者が乗船者の中心であった。ツールレイク隔離センターにいたノーノー組が乗ったのは、「第二次交換船」(1943年9月出港)の際であった。




