東京ローズ①
"東京ローズ"とは、戦時中日本が流した英語の謀略宣伝ラジオを聴いたGI(米国兵士)達が、女子アナウンサーに付けた"愛称"である。
東京ローズが誘惑する様に語りかける事から、「声のピンナップガール」と呼ばれ、米国兵士達に絶大な人気を博した。東京ローズの人気は、銃後の米国本土にも伝わり、コミックや映画にも登場する程であった。
アイバ・トグリは1910年(大正5年)ロサンゼルスに産まれた。山梨県出身の父は食品雑貨店を経営。家庭は豊かで日系としては珍しく、同胞との付き合いはほとんど無かった。アイバの日本語力は、二世の中でも格段に劣っていて、国籍も二重国籍であったが、16歳の時に日本国籍を除籍して、米国国籍のみになった。
アイバが来日したのは、1941年7月に叔母の見舞いに訪れた。来日から4ヶ月後、日米間に暗雲を感じた叔母は、12月2日横浜発ロサンゼルス行きの客船「龍田丸」の切符を手に入れる。しかし書類の不備で乗船出来ずに終わる。
とは言え、仮に乗れたとしても結果は同じだったのだが。日本に足止めを食らった形のアイバは生活の為、同盟通信社や日本放送協会(NHK)で海外放送の傍受や英文タイプライターのアルバイトを始めた。また、この頃国際赤十字社を通じて、アイバの家族がヒラリバー強制収容所(アリゾナ州)に居る事を知る。国際赤十字社は、戦時中在日二世が家族と通信出来る唯一の機関であった。
ちなみに日本放送協会海外局を実質的に指導したのは日本陸軍参謀本部第2部第8課であった。同課は、欧米人捕虜を使い戦争気分を唄うラジオ番組を、南太平洋のGI向けに放送する事を計画した。その為に放送知識のある欧米人捕虜をプロパガンダ活動の本拠地「駿河台技術研究所」に秘かに集めて制作にあたらせた。




