トルーマンの賛辞
1945年4月末、連合軍のミュンヘン接近を察知したゲシュタポ(ドイツ秘密国家警察)は、連合軍から強制収容所の存在を隠す為に、ダッハウ収容所の囚人を移動させた。「死の行進」と呼ばれた悪名高き隠蔽工作である。
この工作により、収容者は路上に放り出された。中には門を閉ざしたまま、ナチ親衛隊(SS)が逃走し囚人を置き去りにした収容所もあったが、それらの一つを最初に解放したのは、二世偵察兵であった。
ドイツと米国では、強制収容所の質も内容も格段に違うとは言え、"収容所の息子達"が秘密のベールに包まれたナチ強制収容所を、数多いる連合軍兵士の中でも、いち早く解放した事に歴史の運命を感じる日系二世は多い。この時米軍が解放した収容者は全部で、3万2000人以上に上る。
1945年5月7日。ナチスドイツは遂に降伏する。5年8ヶ月の長きに渡る第二次世界大戦での欧州戦線は、ここにようやく終わりを告げた。欧州戦線での終戦から1年余りたった1946年7月15日、ホワイトハウスの芝生の上には、第442連隊戦闘部隊の生存者およそ500人とトルーマン大統領の姿があった。トルーマン大統領は、こう言った。
「諸君は敵ばかりではなく、ヘイトクライムとも戦った。そしてそのどちらにも勝利したのである。」
と、スピーチし日系部隊に特別大統領章を叙勲した。この第二次世界大戦に参加した二世の忠義が、合衆国大統領により、高々と宣言された瞬間であった。
二世部隊の実働戦闘期間は225日。その間に860人が戦死し、67人が行方不明になり、9486人もの青年が名誉戦死章やパープルハート勲章を与えられた。しかし、彼等の血の代償を払ってでも手に入れたかったものは、この様な勲章ではなかった。ただ祖国の正義と平和の為に、銃を取ったに過ぎない。我々はその事を忘れてはならない。




