第552野砲大隊
1945年5月2日に終了したイタリア戦線ではあったものの、第552野砲大隊だけは、米第7軍と共にドイツに進駐した。3つの戦闘部隊を中心に約650人の二世兵から構成された、第552野砲大隊は、第442連隊戦闘部隊の一部隊であり、イタリア戦線を共に戦ってきた。
彼らの任務は、歩兵大隊の後方から敵に砲弾を放ち、歩兵の前進を援護する事であった。ドイツで第552大隊は、必要に応じて各師団に派遣されたが、終戦までにおよそ25の師団に派遣され、合計で3000㎞を踏破したと言われる。
第552大隊がドイツに越境したのは、ヴォージュ山脈の北にあるザール川からであり、1945年3月7日の事である。ザール川は、独仏国境線上にドイツ軍が要塞群を構築した「ジークフリート線」の中央部にあたる。ドイツに入った第552大隊はハイデルベルクとシュツットガルトの東西方面に侵攻し、1945年4月26日にドナウ川を越えた。
ドナウ川からさらに南下した第552大隊は、同年4月30日、ミュンヘンの手前15㎞付近のダッハウに到着した。ダッハウの街は、異様な空気に包まれていた。幽霊の様な者がさすらっていると思えば、道端には死体や痩せこけた人が横たわっていた。死んだ馬の肉を引きちぎり食らいついている者もいた。
この時二世兵達も米軍本隊も知らなかったが、彼らは強制収容所に遭遇していた。ナチスドイツは、戦時中国内と衛生国の各地に、ユダヤ人や政治犯他の強制収容所を作り、置いていた。ダッハウでは、1933年の強制収容所開設から終戦までに、200ヵ所もの補助収容所が作られていたが、本収容所と合わせて、この期間に約20万人が収容され、4万1500人が虐殺されたと言う。米国人や英国人からしてみれば、ナチスドイツの蛮行は決して許容出来るものではなかった。




