マーク・クラーク大将
良い指揮官とは、異常なまでに冷静であり、人生で最も大切なのは生まる事を知っている事であり、周囲の奴から運の良い奴と思われる事だと言われる。
ヴォージュの戦いは、1944年11月12日フエイ村付近で行われた関兵式で幕を閉じた。戦死傷者が多く、整列する二世兵の姿はまばらであった。
ジョン・ダルチスト師団長が、こう言った。
「全員集合と命じたはずだが?」
と不満そうに言うと、横にいた将校が答えた。
「閣下、これで全員であります。」
1944年11月、フランスではヴォージュ一帯の戦いを終えた第442連隊が南仏に向かっていた。コートダジュールと海岸アルプス地方で、偵察・整備にあたる為である。二世兵は南仏での日々を「シャンペン作戦」と呼び、戦争中の唯一の楽しい思い出として懐かしむ。
偵察や整備は勿論危険な任務だが、二世兵が経験して来た凄惨な戦いに比べれば、どうと言う事は無かった。シャンペンを飲みながら、「これで帰郷出来る」と期待した二世兵は多かった。
だが、二世兵の戦いは終わってはいなかった。1800メートル級の山々が連なるゴシックラインには自然の岩石を利用したコンクリートで固めた要塞が2400個もあったのである。ゴシックラインの西部にあたるピサ付近を担当したのは。英国軍、ブラジル軍他に、米国陸軍黒人部隊のみで編成された第92師団(兵力14000人)別名バッファロー部隊であった。
しかしながら、5ヶ月もの間進展が見られず、米軍はついに精鋭部隊である第442連隊を投入したのであった。二世兵のイタリア戦線再登板をドワイト・アイゼンハワー元帥に特別要請したのは、モンテカッシーノやアンツィオで二世兵と苦楽を共にしたマーク・クラーク大将であった。彼は人間としても、指揮官としても秀逸した能力を持っており、二世兵の最も頼れる指揮官であった事に違いは無かった。




