バンザイアタック
失われた大隊を巡るル・トラパン・デソールでの戦いにおいて、二世兵達は遂に決死の突撃を試みる事になる。
眠る事さえ満足に出来ず、食糧も尽き、寒さで筋肉が震える中で、水分補給の為己の尿を飲む。そんな状況下で、戦いが始まってから3日目の事であった。
それは、ある一人の兵士が突然前方隊からガバッと起き上がり、腰をえぐる様な雄叫びを上げて敵に突撃した事から始まった。その様子を見た他の二世兵達も、彼を追って狂った様に駆け出した。この無謀な攻撃は、日本軍の玉砕を連想させる事から、後に"バンザイアタック"と敬意をもって呼ばれた二世兵の決死の突撃であった。
バンザイアタックは、1944年10月30日の午後2時頃から20分程続いた。バンザイアタックと言えば、太平洋戦争における日本軍の愚かな戦法の代名詞とも言えるものだが、米軍に所属していた二世兵が日本兵と同じ様なバンザイアタックをしていた事は、あまり知られていない。
確かにバンザイアタックは、御世辞にも賢い戦法とは言えない。それでも敵にたった一丁の小銃で立ち向かって行く姿勢は、勇敢そのものである。誰もが死を恐れる中において、その死をも恐れぬ攻撃は、例え玉砕覚悟であったとしても、勇気のいる行為である。
そもそも、バンザイアタックの根本にあるのは死しても捕虜となる事を許さない日本の"戦陣訓"にある。自決する位なら潔く戦いの中で死にたい。こうした文化は第二次世界大戦の時だけの行為である。それでも彼らはバンザイアタックを敢行している。バンザイアタックをする事で、報いる事などたかが知れている。
とは言え、二世兵達が行ったバンザイアタックと日本兵が行ったものは全く異質のものであると言える。




