食事事情
激戦の中での二世兵の食事事情は、御世辞にも良いとは言え無かった。それどころか眠る事さえ満足に出来ずにいた。
持っていた携行食(缶詰・水筒)も尽き、寒さで筋肉が震える中、水分補給をする為に自らの尿を飲む事さえあった。食糧事情があまり良くなかったのは、二世兵達だけではない。米兵やドイツ兵や日本や英国などの兵士達も同じである。皆、ギリギリの中で戦っていた。
一度前線に出てしまえば、任務を終え基地に戻るまでは、温かい食べ物にはありつけない。前線において温かい食べ物を口にする事は、この時代は出来なかった。今でこそ、調理車やレトルト食品の発達により、前線にいてもお湯さえ沸かせれば温かい食事が出来る様になった。
無論、基地や家庭での食事にはかなわないが。それでも寒い飯ばかり食うよりはマシだ。寒い飯は心も寒くするからだ。冷えきった心は、人間の正常な理性を奪う。するといつしか冷徹な戦闘マシーンになってしまいかねない。戦場ではそれで良いかもしれないが、平時に戻った時にその体験がトラウマ化して、心に傷を残してしまう事さえある。
兵隊にとって食事や兵站と言うものは、戦争には欠かせない重要なものなのである。日本軍の戦死者の7割は餓死だったと言うデータもある。補給や兵站を無視した末路が悲劇的な程の死者を生み出して行ったのである。食事は人間のガソリンの様なもの。武器、弾薬があっても食糧が無ければ持久戦は戦えない。現場の指揮官は兵站の事まで考える事が求められる。




