ツリーバースト
ル・トラパン・デソールに向けて、負傷兵や重火器部隊を除く日系部隊1200人が出陣したのは、1944年10月27日の夜明け前。敵に察知されない様に、光源を一切消して縦列になり、人間の鎖を作りながらの進軍であった。
森の中の暗さは目の前にかざした自分の手さえ見えない程であった。深い霧に覆われたその森の中は、ドイツ兵がウヨウヨと潜伏する巣窟であった。地雷が炸裂し、砲弾が降りツリーバーストが刺さり、樹木の影に隠れたスナイパーが容赦なく襲いかかる。テキサス大隊に一歩近づく度に次々と友が倒れ死んで行った。まるで、ロシアンルーレットの様でこれが戦争なのだと言う事を改めて思い知らされた。
さて、"ツリーバースト"であるが、これを訳すと、"炸裂した木"という事になる。20メートルもある大木の先に敵弾が当たり、炸裂した木が凶器となり猛速度で降り落ちた。このツリーバーストが出現したのは、ブリエール戦であった。緯度は樺太並みの北緯48度であったブリエールは、秋雨(氷雨)あるいはみぞれが降りしきる中で、ドイツ軍の高所攻撃や地雷の嵐であった。
この状況はモンテカッシーノの戦いに極めて近く、厳しいものがあったが、"ツリーバースト"が加わり、その厳しさは増した。ブリエールを制圧する為には、ドイツ軍の占領下にあった人口3000人余りの小さな街を囲むように存在する4つの丘を奪取せねばならなかった。
ドイツ軍は当然の様に、この4つの丘に陣地を形成。随所に武器と兵士を潜ませた。逆に米軍はこれらの丘を奪取する為、針葉樹で覆われたブリエールの丘に進軍。針葉樹による複雑な樹海が広がる為、地元のレジスタンスと接触し、道案内を依頼した。こうして、なんとか"ツリーバースト"と言う新たな脅威から逃れた二世部隊はブリエールを制圧した。




