テキサス師団
1944年9月27日、第100歩兵大隊はナポリに次ぐ重要港であるリボルノ(レグホーン)に侵攻(同年7月19日入城)し、他部隊はフィレンツェ南方で戦闘を続けていた。
だが、フランスで苦戦中の第7軍からの援軍要請で、第442連隊戦闘部隊は、第5軍を離れる事になった。そしてフランス戦線に向かう事となる。
イタリアから海路南仏マルセイユ港へ渡る。二世部隊はここで第7軍第36師団に配属された。第36師団の別名は"テキサス師団"。1836年にアラモ砦でメキシコと戦った"アラモ隊"を源隊とする米国陸軍最古参の由緒正しき師団である。両者は2年前、米国本土マッコイ基地で会いモンテカッシーノの戦いでは、伴に参戦している。
第442連隊戦闘部隊がマルセイユから陸路ローマ平原を抜けてヴォージュ地方ブリエール周辺に至ったのは同年10月14日の事。そこには、国境を死守せんと背水の陣で臨むドイツ軍が待ち構えていた。
話が前後するが、ベルベデーレの戦い後二世部隊は尚北上して、セシナ川を越えると"アルノ・ライン"にぶつかった。アルノ・ラインとはドイツ軍がアルノ川から西海岸のリグリア海に注ぐ付近から南北を背骨の様に走るアペニン山脈に沿って築いた約120㎞の防衛線である。これを越えると、フィレンツェが落ちる。またしても高所を陣取るドイツ軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた。
この激戦を制し、ようやく第100歩兵大隊はフランスへの援軍要請に応える事が出来た。これらの欧州戦線での主要な敵は日本でもイタリアでもソビエトでもなく、ナチス・ドイツであったと言える。




